あの星が降る空に向かって

あの星が降る空に向かって

*


 空に星が降った、あの日。
 私たちは、大切な人を取り戻したいと願ったんだ。


*


 一日の始まりは、いつも憂鬱。
 これが現実なんだということを知らされるから。
 閉めていたカーテンを開けると、眩しい朝日が目に入った。
 ……はぁ。
 静かにため息を吐く。

 「ちょっと一夏(いちか)、いつまで寝てるの!! 遅刻するよ!!」

 リビングから、お母さんの怒鳴り声が聞こえてくる。
 私は、耳を防いだ。
 お母さんの声だけじゃなく、何も聞こえなくなってしまえばいいのになんて思いながら。

 朝食はいつも、具のない食パンだけ。
 朝は喉を通らないし食欲もないけど、栄養のために食べなさいと昔から言われ続けてきている。
 ……気持ち悪い。
 胃の辺りがムカムカして、吐き気がする。でも、ここで吐くなんて絶対にできない。
 私は無理やり食パンを口に放り込み、家を出る準備を急いだ。

 「おや、一夏。おはよう」

 「……おじいちゃん。おはよ」

 「もう学校に行くのかい? 由紀(ゆき)ちゃんはまだ来てないよ」

 胸が刺されたように痛む。
 どうして。その名前はもう二度と聞きたくないのに。
 私は、おじいちゃんに苛立ちを覚える。

 「……おじいちゃん、いつの話してるの。最近はもう、ひとりで行ってるよ」

 「あぁ、そうかそうか。ごめんよ」

 「それに、もう……由紀は、いないんだから」

 おじいちゃんに捨て台詞を吐き、家を出る。
 自分でも最低だと分かっている。でもおじいちゃんが悪い。
 おじいちゃんは、最近どんどん物忘れがひどくなっている。それは仕方がないこと。
 でも、あの子のことだけは。絶対に、忘れてほしくなかった。


*


 学校には、友達なんて存在はいない。
 ネイルやメイクをしている可愛い女子も、友達と大きな声で笑い合う男子も、私には合わないから。
 いつも通り、ひとりで本を読むだけ。本を読めば、自分が主人公になった気分になれるから、好きだ。
 そう思って本を開こうとしたとき。

 「桜井(さくらい)

 誰かに名前を呼ばれて、振り向いた。
 私を呼んだのは、クラスで一番明るくて人気者の、星宮 夕維(ほしみや ゆい)くんだった。
 他のクラスメイトの名前はほとんど覚えていないけど、いつも目立っている彼の名前だけは分かる。

 「え、っと……」

 「桜井にちょっと用があるんだけど、来てくれない?」

 私は戸惑った。
 まだ高校に入学してから一ヶ月で、星宮くんとは一度も喋ったことがない。
 だから、どうして私なんかに用があるのだろうと疑問に思った。

 「あの……私」

 「いいから、早く来て。時間がない」

 はぁ……時間がない?
 意味が分からないまま、私は星宮くんに引っ張られ、誰もいない屋上へ連れ出される。
 もしかして私、知らないうちに星宮くんに何かしてしまっただろうか。
 そう不安になった。

 「なぁ、桜井」

 「は、はい」

 「時間がないから単刀直入に言う。……俺と一緒に、大切な人を取り戻さない?」

 頭のなかが真っ白になる。
 この人は、何を言っているのだろう。
 最初は冗談だと思ったけれど、星宮くんの真っ直ぐな瞳を見て、本気で言っていることが分かった。

 「それは……どういう、ことですか」

 「俺、去年ばあちゃんを亡くしてるんだ。それで両親とも仲悪くて、高校生になった今、一人暮らししてる。ばあちゃんだけだったんだよ、俺のことを分かったくれるのは。……だから、取り戻したいんだ」

 「……でも、どうやって?」

 そう問いかけると、星宮くんは空を指差した。

 「ばあちゃんが言ってたんだ。空に星が降る日、ある人を救いたいと願ったら、過去に戻った……って。今日、空に星が降るんだ」

 つまり、星宮くんのおばあさんが言っていたように、星に願い事を唱えるということ。
 失礼かもしれないけど、それが本当なのか、嘘なのかは分からない。だから私は、この話に乗るか悩んでいた。
 ……もし、嘘だったとき。大切な人を取り戻せるかもという希望を、今よりもっと失ってしまうから。

 「……他の人でも、いいじゃないですか。どうして、私?」

 「桜井は、いつも俺と同じ顔してたから」

 「星宮くんと、同じ顔……?」

 「うん。消えたいって顔に書いてあった。それはきっと、俺と同じように大切な人を失ったからじゃない? だから、桜井がいいと直感で感じたんだ」

 驚いた。
 確かに私は、大切な人を失っている。
 誰にも話していないのに、星宮くんが知るはずない。
 この人は、自分と同じ思いを抱えている人の気持ちが分かるんだ。

 「俺ひとりじゃ、勇気出ないんだ。桜井、お願い。こんなの変な願いだって分かってる。でも、どうしても取り戻したいんだ。……ばあちゃんに、伝えたいことがあるから」

 心臓がドクン、と跳ねた音がした。
 私も……由紀に。亡くなった親友に、伝えたいことがたくさんある。後悔が残っている。
 だから私も、由紀にもう一度会って、救うことができるなら。絶対に、やらない選択肢はない。
 私は差し出してきた星宮くんの手を握る。

 「私も……取り戻したい人が、いるので。星宮くんに、協力します」

 「……ありがとう。ていうか同い年なんだから、タメ口でいいよ。桜井、本当にありがとう」

 「うん、こちらこそ」

 私たちは、午後六時、高台にある公園での待ち合わせの約束をした。
 そのときに、私は願うんだ。由紀を取り戻したい……って。
 それがせめてもの、できること。

 だって、由紀は。
 私のせいで、亡くなってしまったから。


*


 小学生のときから、親友がいた。
 その子の名前は、小山(おやま)由紀。
 由紀が「友達になろう!」と声を掛けてくれたのがきっかけで、友達になった。

 私は、由紀が憧れだった。明るくて、優しくて、思いやりを持っていて。人間の鏡のような子だったから。

 中学二年生、九月。それは突然起こった。

 ーー大雨の日、私は由紀に傘を貸した。

 傘がない私は走って帰るしか方法がなかったから、駆け足で家に帰っていた。
 そして、赤信号のときに飛び出してしまった。

 でも。

 トラックが目の前に来たとき、誰かに弾き飛ばされた。
 それが誰なのか、そのときはまだ私には分からなかった。

 連絡が入ったとき、私は絶望しかなかった。
 ……私を弾き飛ばしてくれたのは、親友の、由紀だったから。
 私が注意していれば、こんなことにはならなかった。


 私が、由紀を殺してしまった。


 ずっと、取り戻したいと思っていた。
 また会いたい。あのときはありがとう、ごめんねと伝えたかった。

 だから、星宮くんから話を聞いたとき、奇跡だと思った。

 ーー絶対に、由紀を取り戻す。


*


 夜に家を出るのは、初めてだ。昨日までこんなことをするなんて思っていなかった。
 そんなことを考えながら、私は家を出る準備を済ませた。
 リビングで新聞を読んでいるおじいちゃんに話しかける。

 「おじいちゃん」

 「おや、一夏。どうしたんだい?」

 「……ちょっと友達との約束があって。行ってきてもいいかな?」

 もし断られたらどうしよう、と不安になる。
 けれどその不安とは裏腹に、おじいちゃんは笑って頷いてくれた。

 「分かったよ。お母さんたちにはおじいちゃんから言っておくよ。でも外は暗いから、気をつけてね」

 「……おじいちゃん、ありがとう」

 やっぱり、おじいちゃんはいい人だ。今朝おじいちゃんに対してイライラしてしまったことを申し訳なく思う。
 お母さんたちには後で怒られるかもしれないけれど、そんなこと気にしている暇はない。

 「行ってきます」

 そう言って家を出ると、夜空には満面の星が広がっていた。
 急がなきゃ、と思い約束の場所へ駆けていく。
 久しぶりに走ったからか、ハッ、ハッと息がすぐに切れてしまう。運動不足を後悔したのは初めてかもしれない……。

 「ほ、ほしみや、くん。お待たせ」

 「え、どうしたの? すごい息切れてるよ? もしかして走ってきた?」

 「う、うん。もし間に合わなかったら最悪だなって思って」 

 「ははっ、そっか。大丈夫、丁度……今からだよ」

 私は強く頷いて、星宮くんと一緒に空を見上げる。
 緊張で、心臓の鼓動が頭にまで伝わる。だけど、ひとりじゃない。隣には私と似た境遇にいる人がいる。
 だからきっと……大丈夫。それに私は、大切な人を取り戻すためにここに来たんだ。
 拳をぎゅっと握りしめて、覚悟を決める。

 「桜井、準備は大丈夫? 願い事、覚えてる?」

 「うん、大丈夫だよ」

 「おっけー。じゃあ、過去の世界で、お互い願いを叶えよう」

 「……うん!」

 そのとき、空に星が降った。
 その星はきらきらと輝いて、どの星よりも光っている。
 ゆっくりと。目で見えるくらいの速さで、空に降る。
 私は目を瞑って、心のなかで唱える。
 ーー……大好きな親友を、救いたい。


 目の前にひゅうっと風が吹いて、ハッと目を覚ます。
 私は、自分の部屋にいた。
 ーー……私、ちゃんと星に願ったよね。
 すぐさまカレンダーの日付を見る。そこには驚くべきことが書かれていた。

 「二年……前」

 書かれていたのは、私が生きていた時代より、二年前の日付だった。
 つまりタイムリープに成功した、ということ。星宮くんのおばあさんが言っていたことは、事実だったんだ。
 今、私は中学二年生。そして……由紀が、生きているんだ。
 そのとき、ピンポーンとインターホンが鳴る。

 「一夏! 由紀ちゃん来たよー」

 お母さんの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた気がした。
 本当に、由紀は存在しているんだ。ここに……この世界に、いるんだ。
 信じられないような、夢のような。ふわふわした足で由紀のもとへ向かう。

 「あ、一夏! もう、遅いよ! 今日テストだから早く行こうって言ったじゃんっ」

 そこには、ぷくっと頬を膨らましている、由紀がいた。
 高い位置で結んでいるポニーテールと、大きくて可愛い瞳、そして私を呼ぶ明るい声。
 ーー……由紀だ。

 「由紀……っ!!」

 「ちょっと、え!? 一夏、どうしたの? 変だよ?」

 私が涙目になりながら由紀に抱きついたから、驚くのは当然だ。由紀の前で泣いたことなんて、記憶にある限りなかったから。
 抱きしめると、ちゃんとあたたかかった。由紀が生きていることを実感できた。
 私は涙を拭いて、笑顔を見せる。

 「うん、ごめんね、おはよう。学校、行こっか」

 「もう、びっくりさせないでよねー。何かあったらすぐ相談してよ?」

 「もちろん。ありがとう、由紀」

 私と由紀は、一緒に学校へ行く。そんな日々だったなぁ、なんて懐かしく感じる。
 ーー……絶対に。絶対に、結依を取り戻す。
 そう、覚悟を決めた。


*


 「一夏、今日どうしたの?」

 「え?」

 「何か、私の知らない一夏な気がする。ずっと上の空だもん。何かあった?」

 由紀は心配そうに私の顔を覗き込む。
 言えるわけが、ない。あなたが今日死ぬから悩んでいるんだよ……なんて。
 そんな残酷なこと、本当は思い出したくもない。考えるだけで胸焼けするし、吐き気もする。
 だけど、由紀はいつも私のことを考えてくれていた。だから今度は、私が由紀のことを救いたいと思ったんだ。

 「何もないよ。大丈夫。ありがとう」

 「あ、もしかしてテストのことで悩んでるのー? それなら、これあげる! 昨日作ったんだー」

 そう言って由紀が渡してきたのは、ビーズのキーホルダーだった。
 ーー……こんなこと、昔はなかったのに。
 私が歴史を繰り返したことで、過去が変わったの?
 不思議に思いながらも、由紀からキーホルダーを受け取った。

 「可愛い、ありがとう」

 「うん、由紀は絶対大丈夫だよ! テスト頑張ろうね!」

 私は……絶対大丈夫。
 由紀が言ってくれるなら、それはきっと本当なんだ。
 必ず由紀のことを、助けてみせるからね。


 無事テストが終わり、放課後になる。
 久々に中学のテストを解いたから、過去の私より、ひどい点数だろう。でも、そんなのはどうでもいい。
 帰りのホームルームが始まった辺りから、急激に雨が降ってきた。

 「ねぇ、雨強すぎない?」

 「それなー。まぁ部活できないから、それはそれでいいんだけどねぇ」

 クラスメイトも、傘を持っていない子が多いのか、まだ大勢が教室に残っている。
 そのとき、由紀が私のところへ駆け寄ってきた。

 「一夏、傘持ってる?」

 「……うん、持ってるよ」

 「そっか、私持ってないんだよね。雨弱まったら帰ろうかなぁ。一夏は先帰ってて」

 今私たちがした会話は、過去と同じだ。
 つまり、ちゃんと同じように時が進んでいるということになる。
 私は事前に用意しておいた言葉を放つ。

 「私傘二つ持ってるから、一つ貸すよ」

 「え? 何で二つ持ってるの?」

 「今朝天気予報見たから、傘持ってきたんだ。たまたまバッグに入ってた折りたたみ傘もあるし」

 そう言いながら、折りたたみ傘を由紀に渡す。
 今朝天気予報を見たというのは本当だけど、たまたま折りたたみ傘を入れていたというのは嘘。
 二つ傘があれば私も由紀も、雨に濡れずに帰れる。結果、由紀の死を回避できるのではないかと考えていたから。

 「さすが一夏、用意周到だね。でもいいの?」

 「うん、雨いつ弱くなるか分からないじゃん。いいから使って」

 「分かった、明日返すね! ありがとう、一夏」

 にこっと笑いながら、由紀は傘を手に取り、帰っていった。
 ーー……やっと、由紀が幸せになれる未来を作れるのかな。
 そう思いながら、私は家に帰宅した。
 けれど、私のその考えは甘かったのかもしれない。翌日の早朝、信じられない言葉を耳にするーー。


*


 「一夏!!」

 ふいにお母さんの声がして、目が覚める。
 私はカレンダーを見て、ふと不思議に思ったことがあった。
 ーー……由紀を救ったはずなのに、どうして未来へ戻らないのだろう。

 「一夏……落ち着いて、聞いてね」

 お母さんの顔は、見たことがないくらい……ううん、一度見たことがある、青ざめた表情。
 私は、胸騒ぎがした。
 うそ。聞きたくない。信じたくない。そんなのおかしい。

 「由紀ちゃん家がね、火事にあって……由紀ちゃんだけ、亡くなったんだって」

 目眩と同時に、私は気を失った。


 ハッ、と意識を取り戻すと、私は公園のベンチに座っていた。
 隣のベンチを見ると、星宮くんが寝ている様子だった。
 ーー……どういうこと。あれは夢だったの?
 ふと、手に持っていたビーズのキーホルダーに気がつく。これは由紀から貰ったものだ。
 やっぱり夢じゃない。私は、ちゃんと過去に戻ることができたんだ。

 でも、“過去で”お母さんは言っていた。由紀の家が火事になったと。
 だから“今は”、由紀が亡くなった原因は事故ではなく、火事のせいで亡くなったことになっているはず。

 どうして、由紀を救えなかったの?
 事故は回避できたのに、何で違う原因で由紀は亡くなったの?
 やっぱり、過去は変えられないのかなーー。

 「……ん」

 ひとりで考え込んでいたとき、星宮くんの目が空いた。
 そうだ。まだ、希望はある。
 もしかしたら星宮くんは、おばあさんを取り戻すことができたのかもしれない。

 「星宮くんっ!」

 「さ……桜井」

 でも、星宮くんは悲しそうな顔をしていた。
 勘付いてしまった。やはり星宮くんも、取り戻せなかったのだろう、と。

 「桜井……どうだった?」

 「……うん」

 「だよな。俺もそう」

 しばらく沈黙が続いたけれど、やがて星宮くんが口を開いた。

 「……ばあちゃん、急な突然死だったんだ。回避しようとしたけど、だめだった」

 「私は……親友を、亡くしてて。事故死だったから、それを回避しようとしたの。でも、火事になっちゃって。それで……」

 自分で言っていることが混乱してしまう。
 今由紀がいないということも、過去を変えられなかったということも。
 何もできない自分に嫌気が差すと同時に、涙が溢れてくる。

 「桜井……」

 「私っ、ずっと後悔してて……由紀を、救いたくて。でもできなかった。辛いよ、苦しいよ、寂しいよ……! 由紀、もう一度、会いたい」

 嗚咽しながら泣く私の背中を、星宮くんは優しく擦ってくれた。
 星宮くんもきっと私と同じくらい辛いのに、優しくそばにいてくれる。

 「……桜井。俺も、同じ気持ち。だからさ、ふたりを救えなかった理由を探そう」

 「探す? どう、やって?」

 「それはまぁ、調べるしかないけど。でももしかしたら同じ体験をした人が身近にいるかもしれないしさ」

 確かに、その理由を探せば、今度こそ由紀を救うことができるかもしれない。
 私は、強く頷く。

 「うん、分かった」


*


 星に願ったあの日から、一週間後。
 私たちは、図書館へ行くことにした。
 もしかしたら本から何かヒントが得られるかもしれないから。

 「桜井っ」

 星宮くんが小走りで待ち合わせ場所へ来た。
 どうしてそんなに急いでいるのだろうと疑問になる。

 「あのさ、昨日母さんに聞いたんだけど、母さんも星に願って、過去へタイムリープしたことがあるんだって」

 「えっ」

 「でも、母さんもやっぱりその人を救うことができなかったみたい」

 星宮くんのお母さんも、大切な人を救えなかっんだ……。
 私の家族にも経験談があるかもしれない。今日帰ったら聞いてみよう。

 「じゃあ、ヒントになりそうな本を探してみよう」

 私たちは、隅々まで探した。
 星に関する本をたくさん集めたけれど、空に星が降る日に願い事をする、とまで書かれた本はなかった。

 「何もなかったな」

 「うん……やっぱり、私たち、夢を見てたんじゃないかな。星宮くんのお母さんも、おばあさんも同じように」

 悲しいことだけど、それしか考えられない。
 過去へタイムリープしたあの日、由紀から貰ったキーホルダーを握りしめながら言う。

 「え……桜井、それなに?」

 「これ? 親友から貰ったものだよ」

 「それ、何か裏に書いてあるよ」

 え? と思いながら、私はビーズキーホルダーの裏側を見る。
 するとそこには、確かに小さくメッセージが書かれていた。
 全然気がつかなかった。

 「小さくて、何書いてあるか分からないなぁ」

 「桜井の家に、パソコンってある?」

 「え、ないけど……」

 「じゃあ俺の家でそのキーホルダーをパソコンで拡大してみよう。俺、パソコン持ってるから」

 え、つまり、今から星宮くんの家に行くってこと?
 胸の鼓動が速くなったのが分かる。
 異性の家に行くなんて初めてだから、緊張してしまう。

 「行こう。それ、ヒントになるかもしれないし。早めのほうがいいでしょ?」

 「う、うん」

 星宮くんの家に行くことになった。
 でも確かに、このキーホルダーに何か隠されているのかもしれない。
 その謎を知りたいと、私は思った。


*


 星宮くんに案内されるがまま着いていく。到着したのは、とても広くて大きい家だった。
 私の家よりも遥かに大きい。
 確か前に、一人暮らしだと言っていた。こんなところに一人で住むなんて、私だったら落ち着かない気がする。

 「さ、どうぞ」

 「う、うん。お邪魔します」

 足を踏み入れて、ふと気づく。
 ……この家には、私と星宮くんの、ふたりきり。
 途端に顔が熱くなる。星宮くんの恋人でもない私が家に入ってもいいのかな。
 今更だけど、そう思った。

 「適当に座って。今パソコン持ってくるね」

 「ありがとう、お願いします」

 言われた通り、リビングにある椅子へ座る。
 そのとき、飾られている一枚の写真が視界に入った。
 幼い男の子と、優しい笑顔を浮かべるおばあさんが写っている。
 ……もしかして。これ、星宮くんと星宮くんのおばあさんかな。
 だとしたら、星宮くんは本当に心の底からおばあさんのことが好きなのだろう。私が想う、由紀と同じくらいに。

 「ごめん、お待たせ。……って、もしかして写真見た?」

 「あっ、うん。勝手に見てごめんなさい」

 「いや全然いいよ。ただ今まで家に友達を入れたことがなかったから、ちょっと恥ずいなって思っただけ」

 ニッ、と歯を見せて笑う星宮くん。
 友達。私のことをそう思ってくれていることが、とても嬉しかった。

 星宮くんはパソコンでビーズキーホルダーの写真を撮り、拡大して文字を見ている。
 本当に小さい文字で長文書かれているから、なかなか読めないのも無理はない。

 「……分かったかも」

 「えっ、嘘っ」

 星宮くんの肩が小刻みに震えているのが分かる。
 知りたい。そこに、何が隠されているのかーー。

 「桜井、驚かないで、聞いてね」

 「うん」

 「……大好きな一夏へ。ここから近くの、高台にある公園へ行ってください。そして、大きな木の下を、少しだけ掘ってみて。全て分かるよーー」

 胸がドクン、と跳ねる。
 どういうこと? 聞き間違いじゃない?
 私は、その場に立ち尽くしてしまう。

 「とにかく、急ごう。ここから近いし」

 「で、でも……嘘、かもしれないし……」

 「桜井は、自分の親友のこと、信じてるんじゃないの? きみの親友は、そうやってきみを騙すような人?」

 そう言われて、ハッと気がつく。
 確かにこれは、由紀からのメッセージ。
 ずっと一緒にいた私だから、分かること。由紀は嘘なんて吐かない。
 私は決心する。

 「ありがとう、星宮くん。私が由紀のことを疑ったらだめだよね。行こう」

 星宮くんは私の手を取り、走り出した。


*


 私たちは、公園へ急いだ。あの空に星が降った日、願い事をした場所。
 空を見上げて、私は考える。
 絶対、何かあるんだ。隠されていた秘密が。

 大きな木が一本だけ、目立っていた。
 そこの木の下を、ほんの少し掘ってみる。
 手が汚れるとか、周りの目を気にするとか、そんな暇はなかった。

 すると、二冊のノートが埋められていた。

 「桜井一夏さまへ……これ、私宛て?」

 「星宮夕維さまへ……俺宛てだ」

 由紀が書いてくれたのかもしれない。
 私は手に取った瞬間、そのノートを開いて、読み始めた。


 【一夏へ。
 これを読んでいるということは、私はもう、この世界にはいないということですね。
 なんてね、この台詞、一度は言ってみたかったの!
 綺麗な文章は私たちには合わないから、いつも通りでいくね。
 多分、一夏は怒ると思う。軽蔑すると思う。でも最後まで読んでね。

 ある日、一人のおばあさんに出会ったの。
 そのおばあさんは、何やら空をずっと見上げていて、とても寂しそうにしてた。
 どうしたんですかって話しかけたら、その人は笑って言ったの。
 大切な孫を、取り戻したいって。

 そのおばあさんの名前は、星宮洋子(ようこ)さん。
 星宮夕維さんという、私たちと同い年の人の、おばあさんだよ。
 この時点で、一夏は混乱してるよね。ここまで辿り着いたご褒美に、全部話すね。

 一夏は、亡くなっていたんだよ。
 中学二年生のあの日、私に傘を貸したせいで。
 トラックに轢かれて、亡くなったんだよ】


 ……何が何だか、さっぱり分からない。
 私は、震えている手で次のページをめくった。


 【あの日は、雨が強かったよね。
 傘を差してなかった一夏は、多分周りを見ずに走って帰ったんだと思う。
 それで……赤信号のときに飛び出して、轢かれてしまった。

 私は高校になってからも、ずっと悔いが残ってた。
 どうして私なんかが生きてて、あんなに優しくていい子の一夏がもういないんだろうって。
 そんなのおかしいって、ずっと思ってた。

 私ね。幼稚園のとき、ずっといじめられてたんだ。
 でも小学校に入ってから、頑張って話しかけた初めての友達が、一夏だった。
 一夏は誰にでも優しくて、おしとやかで、私にはもったいないくらい素敵な親友だよ。
 私を変えてくれた一夏に、何かしてあげたかった。
 そんなある日、一夏は亡くなってしまった。
 だから私は、決めたの】


 続きを読むのが、怖い。
 だって。そんなの、ひとつしかないもの。
 由紀が考えることくらい、親友の私だから、分かってしまう。


 【一夏を取り戻そうって思った。迷いなんてなかったよ。ただ一夏に生きていてほしいと思っていたから。

 だから今日、洋子さんと一緒に、星に願うよ。ふたりを取り戻したいって。
 怖い。本当はちょっぴり不安だよ。でもこれを読んでいるってことは無事、私が一夏を救うことができたんだよね。

 私、結構すごいことができたんだね。だって、過去を変えたんだよ】


 ……すごいよ。
 由紀は、すごい。誰よりもすごい。
 涙がノートにこぼれ落ちる。


 【そして、洋子さんは……やっぱり、それは秘密にしておこうかな。
 洋子さんも夕維さんに、手紙を書くって言ってたよ。
 もし夕維さんと出会えたら、真実を聞いてみてね。

 ていうか私、夕維さんのこと何も知らないんだよね。女性なのかも、男性なのかも。
 もし女性だったら、一夏の友達になっちゃうのかな?
 そしたら、一夏は私のことなんて忘れちゃうんじゃない?
 だめだからね、そんなのー!
 嫉妬しちゃうよ、私】


 思わずふっ、と笑ってしまう。
 頬を膨らます由紀の姿が想像できてしまうから。
 由紀、星宮くんは男の子だよ。それにしても、由紀が嫉妬するなんて……。
 そんな由紀も見てみたかったよ。


 【そろそろ、星が降るみたい。私の手も疲れちゃったし、ここらへんにしておこうかな。

 ねぇ、一夏。
 ごめんね、勝手なことして。一夏はきっと、私が大好きだから、怒ってるよね。
 えへへ、なんてね!

 大好きなのは、私のほう。
 一夏、大好きだよ。ずっと自慢の親友だよ。
 私、一夏を救うことができて何よりも嬉しい。一夏が生きていることが、本当に幸せだよ。

 私の分まで生きて。見守ってるから。

 一夏のことが大好きな、小山由紀より】


*


 私は、ぶわっと涙が溢れてきた。ボロボロになっていたノートをぎゅっと抱きしめる。
 ……本当に、由紀は勝手なことするよね。
 怒るよ。ひどいよ。由紀がいない世界なんて嫌だよ。
 でも、救ってくれて、ありがとう。由紀のことはずっと親友だと思ってるよーー。

 大切な人を救いたいと願っていたのは、私と星宮くんじゃない。
 本当は、由紀と星宮くんのおばあさんだったんだ。

 真実を知った今、ひとつだけ思ったことがある。
 由紀の話によると、星宮くんのおばあさんは、孫を取り戻したいと言っていた。
 もしかして。星宮くんのおばあさんが取り戻した相手はーー。

 「……俺、なのか」

 ハッ、とする。
 それは、星宮くんの言葉だった。

 「星宮、くん……それ、おばあさんからの手紙、だよね」

 「……うん。俺は……通り魔に刺されて、死ぬ運命だったらしい。でも、ばあちゃんが過去に戻って俺を助けてくれたんだ。俺のせいでばあちゃんは……っ」

 星宮くんは、目に涙をいっぱい溜めて、そう言った。
 私は、静かに口を開く。

 「それは……違うと思うよ」

 「え……?」

 「私もね、ずっとそう思ってたの。私のせいで由紀は死んじゃったんだって。でも、さっきの手紙を読んで分かったんだ。大好きなんだって」

 「は……?」

 何を言っているのか分からない、と言った顔で、星宮くんは私の目を見つめる。

 「私のことが大好きだから救ってくれたんだって分かった。だから、星宮くんのおばあさんもそうなんじゃないかな。星宮くんのことが大好きだから、救いたいと思ったから。自分の意思で、自分を犠牲にして、星宮くんを取り戻すことを選んだんだよ」

 「……桜井に、俺とばあちゃんの、何が分かるの。自分だって、大切な人を取り戻したかったんでしょ」

 「そうだよ。私は今でも、由紀のことを取り戻したいと思ってるよ。由紀がいないこの世界で、生きていたくなんかないよ……!! でも、だめなんだよ。由紀のしてくれたことが無駄になっちゃうから」

 私は、唇を噛みしめる。
 本当は、悔しい。悲しい。寂しい。信じられない。
 こんな残酷な世界で、生きていたくなんかない。
 ……でも。そんなこと、由紀は望まない。
 だから、私にできることは、ただ一つだけ。
 大切な人が残してくれたこの世界で、今を生きること。

 「桜井は、強いんだな」

 「え?」

 「最初は、おとなしくて弱い感じしたのに。今は別人みたい」

 「……それは、由紀と星宮くんのおかげだよ」

 そう言うと、星宮くんはふっ、と笑みをこぼした。

 「ははっ、何それ」

 「えっ? 私今、変なこと言った?」

 「いや、ただ、桜井には敵わないなって。……そうだな。桜井の言う通り。いつまでも悲しんでいたら、ばあちゃんに心配されちゃうし。前に進むよ。もう少し時間掛かるだろうけど」

 星宮くんは、空を見上げて、そう言った。
 私たちは、空に手を伸ばした。

 届きそうで、届かなくて。
 会いたくて、会えなくて。
 話したくて、話せなくて。

 でも、私たちは変わることができた。
 前に進むことができた。

 時間は必要かもしれないけれど、いつかきっと、また会えることを信じて。
 私たちは、空に向かって歩き出せるんだ。

 「なぁ、桜井」

 「どうしたの?」

 「……あの空に向かって、一緒に生きていこう。大切な人と、また会うために」

 「それは、遠回しの告白……ですか?」

 そう答えると、星宮くんは「えっ」と恥ずかしそうに頬を赤らめた。
 その反応が可愛くて、面白くて、思わず口角が上がってしまう。

 「……うん」

 「私も、星宮くんと一緒に生きていきたい。大切な人と、また会うために」

 どこまでも広がっている空に、掌を掲げる。
 すると星宮くんの手も、私の手に重ねた。

 「ばあちゃん、また会おうな」

 「由紀、ずっと見守っててね」

 “もちろん。一夏たちのこと、見守ってるよ”

 ふと、そばから声がした。
 私と同時に、星宮くんも振り返る。

 「星宮くんも……聞こえた?」

 「あぁ……桜井も?」

 「うん!」

 私たちは目を合わせて、にっこりと笑う。
 大切な人がいる日常は、当たり前じゃない。
 そのことを、由紀や星宮くん、星宮くんのおばあさんのおかげで気がつくことができた。

 「じゃあ帰ろうか、桜井」

 「うん、帰ろう、星宮くん」

 私たちは手を取り合って、歩き出す。
 あの星が降る空に向かって。
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