神様はもういない
「めちゃくちゃいい匂いじゃん。もしかしてシチュー?」
「うん、正解。よく分かったね」
「この香ばしくて美味しそうな匂いで気づかないはずないよ」
 さらりと料理の腕をほめてもらえたような気がして、頬が火照る。と同時に、胸がチクチクと痛み出す。
 だめよ、余計なことを考えたら。
 今姿が見えないあの人のことを思い浮かべながら、両目はしっかりとリビングにいる雅也のほうを見つめた。私の好きなひと。私を新しい世界へ連れて行ってくれるひとを。
 シチューがほどよく温まったところで器によそう。が、そのとき器を持っていた左手が滑って、床にシチューごとお皿を落とした。
 ガシャーン! バリン! という嫌な音と共に、シチューが床に飛び散り、お皿が砕ける様子がスローモーションで見えた。
「あっ……」
 咄嗟の出来事で、なすすべもなく壊れてしまった器の破片を呆然と見下ろす。
「あゆり、大丈夫!?」
 リビングから駆けつけた雅也が惨状を目にして、急いで私の手をぎゅっと握った。
「怪我してない? どこか痛いところは? 足も大丈夫?」
 額に汗を浮かべながら早口で捲し立てるように訊いてきた。彼の瞳は心配そうに揺れていて、心臓がぎゅっと鷲掴みにされてみたいに痛かった。
「う、うん……大丈夫」
「良かった〜……あゆりが怪我したらと思うと俺、どうしたらいいか分かんなくて」
 ほっと胸を撫で下ろす姿が、記憶の中の湊と重なる。
 湊もこんなふうに……私の身に何かあれば、真っ先に心配して飛んできてくれた。
 ちょっと転んだだけの時とか、生理痛がひどくてうずくまっている時とか。
 とにかく私をいちばん大事にしてくれているんだって分かるぐらい、大袈裟すぎるほどの勢いで労ってくれた。
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