私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第2話 御曹司の企み

三山大紫(みやま・たいし)は苛立っていた。
日本へ向かう飛行機のファーストクラスは、完全なプライベート空間になっているものの、退屈で仕方がない。
ノックの音がして「大紫様、お呼びですか」と圭一郎の声がする。
「入れよ」
シャツにブレザーを着た圭一郎が、大紫のブースに入ってくる。
「上着なんて着なくていいのに」大紫が咎めると、「大紫様をお訪ねするなら当たり前のことです」と圭一郎が頭を下げる。
 やれやれ、面倒くさい奴だ。だがもっと面倒なのは圭一郎の父親だろう。大紫が圭一郎を呼びよせるのはわかりきったことなのだから、初めから圭一郎にもファーストクラスを取ってやればいいのに、執事のわきまえなどと言ってビジネスクラスにしたのは、圭一郎の父だった。本当に融通が利かない、と大紫はため息をつく。
 圭一郎の生まれた田鍋家は先祖代々、三山家の執事をしてきた家だ。よって圭一郎は秀礼学園幼稚舎のころから大紫と同い年にもかかわらず、大紫の世話をし、手となり足となり仕えてくれている。そして6歳になると大紫と共に、英国の全寮制名門パブリックスクールに編入学し、11年間を共に過ごしてきた。
「その話し方、なんとかならないのか」
「日本に帰国するのですから、しかるべき言葉で接するように心得ております」
はあ。めんどくさい。
大紫は2度目のため息をついた。イギリスにいた時も丁寧な英語で話しかけられていたが、もっと親しみが感じられた。だが日本語の尊敬語はよくない。距離と隔たりを感じる。
「なあ圭一郎」
大紫はわざとフランクに語りかけた。
「なんで日本に帰らなきゃいけないんだよ」
「それは」つかの間、圭一郎が口ごもる。「日本の大学を見学される良い機会だからです」
「俺はオックスフォードに行くと言ってるんだがな」
「日本には日本独自の学閥があります。大紫様が三山財閥を率いていくためにも、日本の大学に進学されることをお父上様が望んでおられま……ふ!」
大紫に頬をつねられて、圭一郎の声が上ずる。「大紫しゃま!」
「悪い悪い。大真面目に嘘をつく圭一郎がおかしくてな、つい」
「私は嘘などついておりません」
「だが大事なことを隠しているだろう」
圭一郎の目が泳ぐ。
「最重要ミッションは、俺の婚約だろ?」
黙っていた圭一郎の左眉がかすかに上がった。これは「認めます」という意味だ。
「父上と母上の馴れ初めを、俺は子供の頃に何度も聞かされた。だったら俺にも同じことを望んでいるって、予想はしていた」
三山家の考えはわかっている。大学に進学してからどこの馬の骨ともわからない女子に引っかかる前に、自分たちの目が行き届く秀礼学園の中で相手を選ばせたいのだ。
 祖父より前の代は、生まれた時から許嫁がいたり、見合いとは名ばかりで顔合わせにすぎない対面をへて結婚が決まっていた。だが父は母と秀礼学園の中で出会い、三山家初の恋愛結婚をしてのけたのだ。それを誇りに思っている両親は、俺に自由に恋愛し、自分で結婚相手を選んでほしいと思っている。
ただし、秀礼学園という安全圏の中で!
フッ。つい自嘲気味に笑ってしまう。
「大紫様?」
「なあ圭一郎。俺は与えられた自由に感謝すべきなのか?」
皮肉で聞いたつもりだが、圭一郎には伝わらなかったようだ。
「はい、ご両親様のお気持ちは大変ありがたいことと思います」
やっぱり圭一郎は三山家の執事であって、俺の執事ではなかったか。
「ですが大紫様。大紫様がそこまでお分かりならばあえて率直に申し上げます。このミッションは大変な危険をはらんでいると」
は? 突然どうした圭一郎。
「危険、とは?」
「お父上様が英国でおすごしになったのは、中学の3年間だけです」
「だから?」
「ですから大紫様とは大きな違いが……」
圭一郎の語尾が小さくなる。ええい、まどろっこしい!
「はっきり言え!」
「大紫様は……女子に免疫がありません!」
な。なにを言い出す圭一郎。
「そ、そんなことはない。我々が通っていたパブリックスクールも時代にあわせて男女共学になったではないか」
「ですね、アンダースクールには女子生徒がご入学されました。みな、6歳ですが」
「……去年の夏休み、チャールズの別荘に妹のメアリーが来ていた」
「メアリー様は9歳でした」
「ぐ……では寮にいた看護師は? 熱が出た時は手厚い看護を受けた。あれはどうみても大人の女だ」
「ミセス・ハリスは60代です。大人すぎます」
「……母上とは週に一度オンラインで話していた」
「大紫様、どうかお認め下さい。我々は同じ年ごろの女性に免疫がないのです」
我々? 大紫はハッとした。そうだ、俺にないように圭一郎も同世代の女子と交流がないのだ。
「恥ずかしながら私は、男女共学の秀礼学園に編入するのが、怖くてたまりません」
圭一郎のまつ毛が揺れている。それを見て大紫はかえって気持ちが奮い立った。
「大丈夫だ、なにも怖がることはない」
「しかし“私”は経験値が低すぎます。もし大紫様にふさわしくないお心の女性が近づいて来たとき、それを見抜けるのか……」
なるほど。圭一郎にとって責任が重いということだな。俺が自分にふさわしい女性を見誤るということはないだろうが、なんらかの瑕疵があったときに圭一郎が責めを負うのは可哀想ではある……。
「よし、俺に策がある」
大紫はにやりと笑った。

「大紫様、本当に大丈夫でしょうか」
圭一郎が小声で聞いてくる。ここは秀礼学園高等部の応接室である。
「問題ない。俺の顔を知っているのは理事長だけだ。それより学園内で俺の名を呼ぶな」
「ですが……」
「ここではお前が三山タイシ、俺が田鍋ケイイチロウ。わかったらうまくやれ」
「……はい」
ドアが開き、小太りの男が入ってくる。
「お待たせしました、担任の門倉です。今からS組にご案内いたしますのでどうぞこちらへ」
大紫はすっと立ち上がると
「行きましょう、タ・イ・シ様」と、圭一郎にウインクした。
「そ、そうだな、ケイイチロウ」ぎこちなく圭一郎が立ち上がる。
ふと見ると、担任の門倉の後ろに女子学生が立っていた。
はやくも女子高校生と遭遇するとは。これが共学か、恐ろしい。大紫は気を引き締めた。
「そちらは?」圭一郎のふりをした大紫が聞く。
門倉は女子学生に初めて気が付いたようで、「外で待つようにと言ったじゃないか」と小声で言うと、大紫たちに釈明を始めた。
「彼女も今日からS組に編入することになった生徒でして……」
「佐藤杏奈です」
名乗った女子生徒は、門倉の後ろからすっと前に出てくると
「お二人は?」と首をかしげながら、自己紹介するように促してきた。
大紫は「田鍋ケイイチロウです」と名乗ると「こちらは三山タイシ……君だ」と圭一郎を紹介した。
すると杏奈と名乗った女子学生は、パッと目を輝かせ
「一緒に編入する人がいて、とても心強いです。これも何かの縁ですよね、仲良くしてください」
と、三山タイシと紹介された圭一郎ににっこりと微笑んだ。
その横に立つ本物の大紫のことはスルーである。
「……はい」微笑まれた圭一郎は、頬を赤くしている。
おい圭一郎! この程度で赤くなるな! 今お前は俺なんだぞ! 大紫は圭一郎を睨みつけた。
大紫の険しい視線に気が付いた圭一郎は、コホンと咳払いすると落ち着きを取り戻して
「よろしくお願いします」と女子学生に右手を差し出した。
女子学生は「握手で挨拶してくれる男の子は初めてです。感激しちゃう」といっそうにこやかに笑うと圭一郎の手を握った。
「わあ、三山くんの手って大きいね。それに骨ばってる! 男の子の手ってみんなそうなのかしら?」
女子学生は圭一郎の手を握って放そうとしない。
圭一郎は「え……ああ……そうかもです」などと意味不明な相槌をうっている。
「三山くんて面白いね」また女子学生が笑う。
そしてその間ずっと、田鍋ケイイチロウと名乗った本物の三山大紫は完全に無視されていた。
なるほど、こういうことなのだな、圭一郎が危惧していたのは。と大紫は思った。秀礼学園S組に編入すれば、このような女子学生の攻撃を受けてしまう。圭一郎ほど冷静で何をやらせても優秀な男が、完全に手玉に取られている。大紫も客観的に観察しているから冷静でいられるが、いきなり女子学生にあんなふうに近寄られたら無様なところを見せてしまったかもしれないと思うとゾッとした。圭一郎と入れ替わっておいて良かった。大紫は自分の慧眼を自画自賛した。
 それにしても、この佐藤杏奈という女子学生は要注意だな、と大紫は心の中にその名を刻んだ。
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