私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第1話 崖っぷちJKに希望がみえた

こういう時こそ冷静になるのよ。杏奈はお腹に力をこめた。
よし、次は深呼吸……でも喉がつまって酸素が胸まで入ってこない。けれどなんとか声を出すことはできそうだ。
「日本の法律では、親の借金を子供が返済する義務はないはずです」

「なめた口きくんじゃねえ!」
チンピラみたいな男が凄んで杏奈に一歩近づいた。ひるむな。ここで手をあげてきたら警察に通報できる。
ああ、でもちょっと押すぐらいにしてほしい、お願いだから殴らないで。
「オイ!」
チンピラ男の怒号に思わず目をつぶる。
「下がってろ」
低音の落ち着いた声がして、チンピラ男たちが黙った。そっと目を開けるといかにも高級な、けれど堅気なら絶対に着ないスーツを着た男が立っていた。
「さすがは秀礼学園に通うお嬢さまだ。ものの道理をわかっていらっしゃる。高校生に5千万なぞ払えるわけもないし、お嬢さんには親の借金を肩代わりする義務もない」
「そうです、わかってるならお帰り下さい」
震えを抑えて杏奈は毅然と言った……つもりだ。
だが男はニヤニヤ笑うと言った。
「ただねえお嬢さん。私たちはこの家の抵当権をあなたのご両親からいただいている。つまり3か月以内に借金5千万円を返済していただけなければ、我々はこの家を売却できるんですよ」
「そんな! この家がなくなったら私たちはどこに住めば」
「さあ。それこそ私たちには関係ない。とにかくお伝えしましたので、今日のところはこれで」
男はチンピラたちを引き連れて玄関を出て行こうと背を向けた。
とんでもない通告をされて、杏奈は体から力が抜けていくのを感じた。
「ああそうだ!」
男が振り向いたので、杏奈はびくっとしてしまう。
「私は紳士的な金貸しですから、ひとつご助言しましょう。あなたがた3姉弟が通われている秀礼学園、退学届けを出せば支払い済みの授業料が戻ってくるはずです。それを元手に新しいお住まいを探されては?」
男の悪魔的な微笑みを見ながら、杏奈は今度こそ本当に絶望の底に突き落とされた。

「お姉ちゃま、どうしたの? 誰か来たの?」
妹の響(ひびき)の声がして、杏奈は我に返った。
金貸しの男たちが帰ってからも、しばらく玄関で放心していたようだ。響が弟の游(ゆう)と一緒にピアノのお稽古から帰ってきたということは、もう夕方なのだろう。
「もしかしてお父様とお母様が帰っていらしたの?」
「ううん、お父様とお母様はまだ海外よ」
響と游には、両親は仕事で海外に行っていると嘘をついていた。響は小学6年生。游は1年生。
まさか両親が多額の借金を残して失踪したなんて言えるわけがない。でもこのままでは3か月後、私たちは家を追い出され、住む所を得るために学校まで辞めなくてはならない。そんなの絶対に絶対にイヤ!
「お姉ちゃま、お腹すいたよう」
游が口をとがらせた顔があまりに可愛くて、杏奈はちょっとだけ元気が出た。嘆いていても始まらない。私がなんとかして妹弟を守らなくちゃ。

「はああ」
大きなため息をついた杏奈に、ゆりぴょんが「どした」と話しかけてくる。
ここは秀礼学園高等部の3年A組。
「ちょっと寝不足なの」
昨夜は高校生でもできるアルバイトを探していて寝ていなかった。でも時給1000円ちょっとじゃ3か月後に5千万円の借金を返せるはずもない。せめて学校を辞めずに家を借りるお金を貯めることってできるだろうか。学校の帰りに3時間だけ働いて、土日は丸一日働いて……無理だ。それでも全然足りないし、現実的じゃない。響と游の食事作りから洗濯まですべての家事も杏奈がしなければならないのだから。
……パパ活は?
うわー無理、絶対無理。パス! けど他にお金を稼ぐ手段ある? 
考えれば考える程、杏奈は憂鬱になって、挙句ちっとも眠れなかったのだ。
ゆりぴょんが「寝不足はお肌に悪いよ!」と言いながら手鏡で前髪をチェックしている。
いつも可愛いゆりぴょん。
「ねえ、ゆりぴょんは悩みとかある?」
「あるよう、失礼だなあ」
「あるんだ……ちなみにどんな?」
「ゆり、おでこにすぐニキビできちゃう。ねえ、ちゃんと隠れてる? 見えてない?」
そういうとゆりぴょんは杏奈におでこを近づけた。杏奈はそんなゆりぴょんが羨ましくて可愛くて、ついじっくり見つめてしまった。
 もし私の悩みを打ち明けたら……いや、アルバイトを探していると言っただけで、ゆりぴょんは驚いちゃうだろうな。だって秀礼学園の生徒は、恵まれた家の子供たちばかりが集まる学校なんだもの。私だって先月までは自分が恵まれた子供だと信じて疑ってなかった。
 杏奈はまたため息をつきそうになる。
「なによう、ゆりは真剣に悩んでるんだから」
「大丈夫、ゆりぴょんは今日もすっごく可愛い」
途端にゆりぴょんがパッと顔をきらめかせて笑う。こういうところが最高にいい子。
「じゃあ杏奈ちゃんにトップシークレット教えちゃう。S組にあの三山財閥の御曹司が編入してくるんだって」
ゆりぴょんが目を輝かせている。
「三山財閥って、三山商事、三山銀行、三山石油、三山不動産、三山ホテル、三山重工、三山……」
「そう! その三山の御曹司がイギリスの提携校から編入してくるの! 親戚がS組にいるから確かな情報だよ」
「へえ」
ちょっと前までの杏奈なら、ゆりぴょんと一緒に大騒ぎしたかもしれない。
でも借金問題を抱えた今は、三山財閥の御曹司なんて世界が違い過ぎて、全然心が動かない。
杏奈は投げやりな気持ちになるのを必死でおさえた。
「もう、杏奈ちゃんってば反応鈍すぎ」
「だってS組でしょう? 私たちには関係ないじゃない」
「だよねー」
秀礼学園は金持ちの子女が多いが、その中でもトップクラスの子女が集まるのがS組だった。
杏奈たちのいるA組B組C組はそこそこの金持ちの子供だけど、世間的にみて金持ちという程度だったり、杏奈に至ってはハッキリ言って成金の家の子供だった。比べてS組は由緒正しく先祖代々に渡って富を築いてきたような家柄の子女たちが通うクラスなのだ。だからS組とは校舎も違うし、交流もほとんどない。
「でもぉ、御曹司が日本に帰って来たのは、婚約者探しのためって噂なんだよね」
「婚約者?!」
「うん、御曹司が大学に入る前に、秀礼学園の生徒から婚約者を選ぶのが三山家の伝統なんだって。これも親戚から聞いたんだけどね、多分ホントだよ」
「婚約者になるとどうなるの? 私たちってまだ高校生じゃない」
ちょっとした好奇心で聞いているだけ、と装いつつも杏奈の心はざわめき始めている。
そんな杏奈の焦燥に気が付いた様子もなく、ゆりぴょんはいつもの楽しそうな笑顔で会話を続けてくれる。
「大学に行きながら~、三山家の嫁としていろんな習い事させられるんだって。花嫁修業的な?」
「ふうん……大変なんだね、お金もかかりそうだし」
「ねー! でもお金は三山家から支度金を渡されるらしいよ」
支度金……?! 杏奈はもはやハッキリと胸の動悸が高まるのを感じた。
「それっていくらぐらい?」
ゆりぴょんは可愛い唇をすぼめて、小さな声で
「1億円だって」とささやいた。
1億円?!
杏奈の視界をふさいでいた重たい扉が開いた気がした。まばゆい光でなにも見えないような感覚。
頭の中が完全にホワイトアウトだ。
三山財閥の御曹司の婚約者……秀礼学園の生徒から選ぶしきたり……これこそ私に用意された大逆転カードかもしれない。
杏奈はまだ顔も知らない御曹司を頭に思い浮かべようとした。
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