私と御曹司の始まらない恋の一部始終
第4話 S組にご挨拶
「今日からS組に編入する、えーと」
「佐藤杏奈です」
杏奈は伏し目がちに、でも口元には微笑みを浮かべて挨拶をした。
ここは日本有数のお金持ちや名家のご息女が集まるS組だ。上品にふるまっておくのが正解だろう。ついこの間までA組にいました、なんて情報は言わない。担任の門倉先生も説明が面倒なのか、この編入がイレギュラー過ぎるからか黙っている。生徒から何か聞かれるかもしれないが、とりあえず今はその心配はなさそうだ。
だってみんな、私の横にいる三山財閥の御曹司にしか関心なさそうだもの!
「三山タイシです。よろしくお願いします」
端正な顔立ちの三山タイシが名を名乗った瞬間、教室の空気が変わった。
息をのむ女子生徒、微笑みを浮かべる女子生徒。だがイケメン御曹司を前にして嬌声をあげる女子生徒はいない。
これがS組女子の品格か。
そして男子は、興味なさそうだけどチラ見しているタイプと、無遠慮に品定めするタイプと、無表情でよくわからないタイプと、大まかに3種類が見て取れた。
前に立っていると生徒たちの顔がよく見えるので、杏奈はここぞとばかりにしっかりと観察した。これから1か月、うまく立ち回って、三山タイシを「恋は盲目」状態にしなくちゃいけないのだ。誰がライバルになるのか、邪魔になりそうな人はいるのか、良く見極めておく必要がある。
「田鍋ケイイチロウだ。よろしくな!」
御曹司と一緒に編入してきた男子学生が続いて自己紹介した。
S組の生徒たちがスッと興味を失くしたのがわかる。
田鍋ケイイチロウは、クラスメートの反応が悪いことにあからさまに驚いて、憮然としている。たしかにちょっと場違いというか、横柄な感じの男。今どき片手をあげて挨拶するのもどうなんだろうか。政治家のおじさんか?
御曹司とは知り合いのようだったけど、彼は何者なのだろう。さっきの応接室では杏奈を見る目が厳しかった。リサーチしなければならないことがたくさんある。
杏奈の席は廊下側。その後ろに田鍋ケイイチロウ。ケイイチロウの隣に三山タイシ。
ちょっと振り向けば三山タイシと目が合う、素晴らしいポジショニング!
杏奈がS組にいられるのはとりあえず1か月。さっきの応接室で一目惚れしてもらえてれば話は早いけど、杏奈もそこまで自分に自信があるわけではない。手早く距離を縮めて、何か劇的なことがあるといいらしい。どうすれば?
そうだ、消しゴムに好きな人の名前を書くっていうおまじないだか都市伝説があったな。で、その消しゴムを好きな人本人に見られてしまって、気持ちが伝わってしまうんだ。いいかもしれない。杏奈はすぐに消しゴムに油性ペンで「三山君」と書き記した。これを来週になったら三山君の目で落とそう。来週は早すぎる? いや時間ないしな。少しだけ様子をみて考えよう。でも消しゴムのおまじないって、ロンドン帰りの三山君に伝わるのかなあ。
杏奈はちらちらと斜め後ろを振り返り、三山タイシを見ていた。
三山大紫は気に食わなかった。
英国の伝統あるパブリックスクールで大紫は人気者だった。自分の家が日本で一番大きな財閥であることは言っていない。そもそも7歳で渡英したのだから、親や家がどうかなど関係ない。
大紫はその明るい性格と大きな心で人心をつかみ、友人を作って来たと自負している。だから自分が田鍋ケイイチロウと名乗ったところで、何一つ変わらないはず、というのが大紫の読みだった。
それがさっきはどうだ? 圭一郎が真面目くさったつまらない挨拶をしたときは、関心ありありだったくせに、俺がオープンマインドっぷりを示し、気さくに話しかけていいのだと自ら表明したのに、目をそらした奴らときたら!
席に着いてから、大紫は速攻で圭一郎にメッセージを送る。
「このクラスの生徒は変じゃないか?」
圭一郎から秒で返事が来た。
「大紫様がまぶしすぎて緊張しているのでしょう」
なるほど! そうか。俺のもともとの資質に加え、英国紳士のノーブルな振る舞いが、日本の高校生には刺激が強すぎるのかもしれないな。しかたない、後でまた俺の方から話しかけてやろう。
しかしまあ、女子生徒と目が合わなかったのは、かえって良かったかもしれないな。圭一郎の言葉を認めるのは癪にさわるが、大勢の女子から一気にみつめられたら、少しぐらい戸惑ったかもしれない。
最後列の席にいる大紫は、あらためて教室の中を見渡した。男女の比率がほぼ半分。これまでの10年間になかった光景である。どことなく甘い香りがただよっているのは女子生徒がいるからなのか? なにかくすぐったい気持ちになる。日本の女の子は骨格が細くて筋肉質でないのも新鮮だった。婚約者をここから選ぶなんてバカバカしいと思っていたが、意外とありかもしれない。
だが……大紫は前の席に座る女子生徒の背中を見た。
名前は佐藤杏奈だったか。今朝、応接室で俺が「田鍋ケイイチロウ」と名乗ると、さっさと興味をなくしたくせに、「三山タイシ」と名乗った圭一郎には笑いかけた女。
こういう裏表のある女は要注意だ。俺は圭一郎になりすまして、「三山タイシ」に近づく女の本性をしっかり見極める。そして女子生徒に話しかけられて醜態をさらす圭一郎を objective view…… 日本語だと他山の石と言ったっけ?として、俺は毅然とした男の振る舞いを手に入れるのだ。まず女子学生にも男子学生にも同じ態度で接する。男女関係なく、フランクかつポライト、それが俺、本物の三山大紫の在り方だ。
お昼になった。
杏奈は生徒たちがS組専用カフェテリアに移動を始めるのを観察する。女子生徒がいくつかのグループにわかれて行動を始めた。
その中でもひときわ華やかな女子のグループがあった。
杏奈は、先日S組編入を認めてもらった後に、日下部家の母親に呼び止められたのを思い出す。
「もしかすると娘はイジメにあっていて、学園が隠蔽しているのかもしれない」
だから杏奈にこっそり、S組内にイジメがなかったか調べてほしいと言ったのだ。
もしかすると日下部家の娘、日下部雪華をイジメていたのはこの女の子たちかもしれない。だったら尚更好都合だ。
「あの」後ろから杏奈が声をかけると、裕福層で綺麗な女の子たちが一斉に振り向いた。
A組のゆりぴょんも可愛かったけど、S組の女子にはさらに何かオーラがある感じ。
「私も一緒にお昼を食べてもいい?」
思い切って杏奈が言うと、女の子たちは皆、戸惑った表情をして1人を見た。
ウェーブのかかった茶色のロングヘアがふわっとしていて、目が大きくて、お人形みたいな子だ。ちょっと意外だったけど、多分この子がリーダーだ。
彼女がなんと答えるか、同じグループの女子だけでなく、クラス中が注目しているはずだ。
「なんで貴女と食べなくちゃいけないのよ、フン!」
みたいな感じで答えてくれないかな。と杏奈は期待を寄せる。
これは杏奈の作戦。クラスのイジメっこかもしれないリーダーグループにあえて声をかけ、冷たくあしらわれる。大事なのはそれを御曹司に見てもらうこと。そして御曹司が一人で歩いているところを待ち伏せし、しくしくと泣く杏奈を見つけてもらうのだ。三山君ならばきっと声をかけてくれる。そしたら杏奈は、クラスでいじめられて心細いこと、同じ日に編入してきた三山タイシだけが頼りだと潤んだ目で訴えかけるのだ。ぐっと同情を引き、杏奈が気になってしまうはずだ。
さあお願い! 御曹司の目の前で、私につらくあたってちょうだい!
杏奈は期待を込めて、お人形のようなリーダーを見つめた。
「もちろん! みんなもいいでしょ?」
え? 杏奈はキョトンとしてしまう。
他の女子も当然のように同意し始めた。
「佐藤さん、杏奈ちゃんって呼んでもいいかしら? 私は善財詩子(ぜんざい・うたこ)。みんなからはウタちゃんって呼ばれてるわ。よろしくね」
「こちらこそよろしく……ウタちゃん……」
えええ? 受け入れられちゃったよ! 最難関グループだと思ったのに、もしかしてS組の底辺グループだった? それともS組のお嬢さまたちはみんな親切でお優しいの?
杏奈はハッとした。お人形のようなルックスのウタちゃんが、性格もいいとわかったら、三山家の御曹司はどう思う?
振り返ると、三山タイシは杏奈たちに背を向けていた。
良かった……セーフ! ウタちゃんみたいな子がライバルになったら大変だ。しかも苗字が善財って、めちゃくちゃお金持ちそう! あぶないあぶない。
ただ……杏奈は気に留めなかったが、田鍋ケイイチロウこと本物の三山大紫は、善財詩子に熱い視線を向けていたのだった。
あの厚かましい佐藤杏奈を受け入れるとは、なかなか度量の深い女子だと……。
「佐藤杏奈です」
杏奈は伏し目がちに、でも口元には微笑みを浮かべて挨拶をした。
ここは日本有数のお金持ちや名家のご息女が集まるS組だ。上品にふるまっておくのが正解だろう。ついこの間までA組にいました、なんて情報は言わない。担任の門倉先生も説明が面倒なのか、この編入がイレギュラー過ぎるからか黙っている。生徒から何か聞かれるかもしれないが、とりあえず今はその心配はなさそうだ。
だってみんな、私の横にいる三山財閥の御曹司にしか関心なさそうだもの!
「三山タイシです。よろしくお願いします」
端正な顔立ちの三山タイシが名を名乗った瞬間、教室の空気が変わった。
息をのむ女子生徒、微笑みを浮かべる女子生徒。だがイケメン御曹司を前にして嬌声をあげる女子生徒はいない。
これがS組女子の品格か。
そして男子は、興味なさそうだけどチラ見しているタイプと、無遠慮に品定めするタイプと、無表情でよくわからないタイプと、大まかに3種類が見て取れた。
前に立っていると生徒たちの顔がよく見えるので、杏奈はここぞとばかりにしっかりと観察した。これから1か月、うまく立ち回って、三山タイシを「恋は盲目」状態にしなくちゃいけないのだ。誰がライバルになるのか、邪魔になりそうな人はいるのか、良く見極めておく必要がある。
「田鍋ケイイチロウだ。よろしくな!」
御曹司と一緒に編入してきた男子学生が続いて自己紹介した。
S組の生徒たちがスッと興味を失くしたのがわかる。
田鍋ケイイチロウは、クラスメートの反応が悪いことにあからさまに驚いて、憮然としている。たしかにちょっと場違いというか、横柄な感じの男。今どき片手をあげて挨拶するのもどうなんだろうか。政治家のおじさんか?
御曹司とは知り合いのようだったけど、彼は何者なのだろう。さっきの応接室では杏奈を見る目が厳しかった。リサーチしなければならないことがたくさんある。
杏奈の席は廊下側。その後ろに田鍋ケイイチロウ。ケイイチロウの隣に三山タイシ。
ちょっと振り向けば三山タイシと目が合う、素晴らしいポジショニング!
杏奈がS組にいられるのはとりあえず1か月。さっきの応接室で一目惚れしてもらえてれば話は早いけど、杏奈もそこまで自分に自信があるわけではない。手早く距離を縮めて、何か劇的なことがあるといいらしい。どうすれば?
そうだ、消しゴムに好きな人の名前を書くっていうおまじないだか都市伝説があったな。で、その消しゴムを好きな人本人に見られてしまって、気持ちが伝わってしまうんだ。いいかもしれない。杏奈はすぐに消しゴムに油性ペンで「三山君」と書き記した。これを来週になったら三山君の目で落とそう。来週は早すぎる? いや時間ないしな。少しだけ様子をみて考えよう。でも消しゴムのおまじないって、ロンドン帰りの三山君に伝わるのかなあ。
杏奈はちらちらと斜め後ろを振り返り、三山タイシを見ていた。
三山大紫は気に食わなかった。
英国の伝統あるパブリックスクールで大紫は人気者だった。自分の家が日本で一番大きな財閥であることは言っていない。そもそも7歳で渡英したのだから、親や家がどうかなど関係ない。
大紫はその明るい性格と大きな心で人心をつかみ、友人を作って来たと自負している。だから自分が田鍋ケイイチロウと名乗ったところで、何一つ変わらないはず、というのが大紫の読みだった。
それがさっきはどうだ? 圭一郎が真面目くさったつまらない挨拶をしたときは、関心ありありだったくせに、俺がオープンマインドっぷりを示し、気さくに話しかけていいのだと自ら表明したのに、目をそらした奴らときたら!
席に着いてから、大紫は速攻で圭一郎にメッセージを送る。
「このクラスの生徒は変じゃないか?」
圭一郎から秒で返事が来た。
「大紫様がまぶしすぎて緊張しているのでしょう」
なるほど! そうか。俺のもともとの資質に加え、英国紳士のノーブルな振る舞いが、日本の高校生には刺激が強すぎるのかもしれないな。しかたない、後でまた俺の方から話しかけてやろう。
しかしまあ、女子生徒と目が合わなかったのは、かえって良かったかもしれないな。圭一郎の言葉を認めるのは癪にさわるが、大勢の女子から一気にみつめられたら、少しぐらい戸惑ったかもしれない。
最後列の席にいる大紫は、あらためて教室の中を見渡した。男女の比率がほぼ半分。これまでの10年間になかった光景である。どことなく甘い香りがただよっているのは女子生徒がいるからなのか? なにかくすぐったい気持ちになる。日本の女の子は骨格が細くて筋肉質でないのも新鮮だった。婚約者をここから選ぶなんてバカバカしいと思っていたが、意外とありかもしれない。
だが……大紫は前の席に座る女子生徒の背中を見た。
名前は佐藤杏奈だったか。今朝、応接室で俺が「田鍋ケイイチロウ」と名乗ると、さっさと興味をなくしたくせに、「三山タイシ」と名乗った圭一郎には笑いかけた女。
こういう裏表のある女は要注意だ。俺は圭一郎になりすまして、「三山タイシ」に近づく女の本性をしっかり見極める。そして女子生徒に話しかけられて醜態をさらす圭一郎を objective view…… 日本語だと他山の石と言ったっけ?として、俺は毅然とした男の振る舞いを手に入れるのだ。まず女子学生にも男子学生にも同じ態度で接する。男女関係なく、フランクかつポライト、それが俺、本物の三山大紫の在り方だ。
お昼になった。
杏奈は生徒たちがS組専用カフェテリアに移動を始めるのを観察する。女子生徒がいくつかのグループにわかれて行動を始めた。
その中でもひときわ華やかな女子のグループがあった。
杏奈は、先日S組編入を認めてもらった後に、日下部家の母親に呼び止められたのを思い出す。
「もしかすると娘はイジメにあっていて、学園が隠蔽しているのかもしれない」
だから杏奈にこっそり、S組内にイジメがなかったか調べてほしいと言ったのだ。
もしかすると日下部家の娘、日下部雪華をイジメていたのはこの女の子たちかもしれない。だったら尚更好都合だ。
「あの」後ろから杏奈が声をかけると、裕福層で綺麗な女の子たちが一斉に振り向いた。
A組のゆりぴょんも可愛かったけど、S組の女子にはさらに何かオーラがある感じ。
「私も一緒にお昼を食べてもいい?」
思い切って杏奈が言うと、女の子たちは皆、戸惑った表情をして1人を見た。
ウェーブのかかった茶色のロングヘアがふわっとしていて、目が大きくて、お人形みたいな子だ。ちょっと意外だったけど、多分この子がリーダーだ。
彼女がなんと答えるか、同じグループの女子だけでなく、クラス中が注目しているはずだ。
「なんで貴女と食べなくちゃいけないのよ、フン!」
みたいな感じで答えてくれないかな。と杏奈は期待を寄せる。
これは杏奈の作戦。クラスのイジメっこかもしれないリーダーグループにあえて声をかけ、冷たくあしらわれる。大事なのはそれを御曹司に見てもらうこと。そして御曹司が一人で歩いているところを待ち伏せし、しくしくと泣く杏奈を見つけてもらうのだ。三山君ならばきっと声をかけてくれる。そしたら杏奈は、クラスでいじめられて心細いこと、同じ日に編入してきた三山タイシだけが頼りだと潤んだ目で訴えかけるのだ。ぐっと同情を引き、杏奈が気になってしまうはずだ。
さあお願い! 御曹司の目の前で、私につらくあたってちょうだい!
杏奈は期待を込めて、お人形のようなリーダーを見つめた。
「もちろん! みんなもいいでしょ?」
え? 杏奈はキョトンとしてしまう。
他の女子も当然のように同意し始めた。
「佐藤さん、杏奈ちゃんって呼んでもいいかしら? 私は善財詩子(ぜんざい・うたこ)。みんなからはウタちゃんって呼ばれてるわ。よろしくね」
「こちらこそよろしく……ウタちゃん……」
えええ? 受け入れられちゃったよ! 最難関グループだと思ったのに、もしかしてS組の底辺グループだった? それともS組のお嬢さまたちはみんな親切でお優しいの?
杏奈はハッとした。お人形のようなルックスのウタちゃんが、性格もいいとわかったら、三山家の御曹司はどう思う?
振り返ると、三山タイシは杏奈たちに背を向けていた。
良かった……セーフ! ウタちゃんみたいな子がライバルになったら大変だ。しかも苗字が善財って、めちゃくちゃお金持ちそう! あぶないあぶない。
ただ……杏奈は気に留めなかったが、田鍋ケイイチロウこと本物の三山大紫は、善財詩子に熱い視線を向けていたのだった。
あの厚かましい佐藤杏奈を受け入れるとは、なかなか度量の深い女子だと……。