私と御曹司の始まらない恋の一部始終
第5話 S組女子の淑女協定
ここがS組専用のカフェテラスか。さすがに豪華だな。
ウタちゃんこと善財詩子のグループに思いがけず混ぜてもらった杏奈は、S組女子のことを知るいい機会と気持ちを切り替えることにした。どんなライバルがいるのかは大事な情報だ。
ウタちゃんたち女子グループは、奥の方のソファ席(!)に座った。やっぱりウタちゃんたちが3年S組の最上位女子グループのいようだ。
「杏奈ちゃん、今日はここでいい?」
ウタちゃんが自分の横に杏奈を座らせる。
本当に優しい子なんだな、ウタちゃん。
ソファに座るとみんなスマホを見て
「キヌアのサラダにしようかな」
「ダイエット?」などと話し始めた。
杏奈はウタちゃんに「何してるの?」と聞いてみる。
「ランチのオーダーよ。杏奈ちゃんはまだS組のアプリは登録してないの?」
そういえば担任の門倉先生が、S組には学園生活をサポートするアプリがあると言っていたっけ。杏奈はA組からの一時的な編入だから、認証に時間がかかるとも……。
「アプリね! まだ登録できてないの」
「じゃあ今日は私が杏奈ちゃんの分もオーダーするね、何にする?」
ウタちゃんが見せてくれたメニューを見て杏奈は驚いた。メニューというより値段に。
ハンバーグランチ3000円、パスタランチ2500円、仔牛のカツレツ4000円、カレーライス2500円、サンドイッチ2000円。和食や中華もあるが高いのは同じだ。握り寿司や北京ダックがメニューにあるカフェテラスってなんなんだ!
ツッコミたいけど、とりあえずどうしよう……。
杏奈は今、贅沢ができない状況だ。借金取りが家にあった現金や金目のものはあらかた持って行ってしまった。今は杏奈がこれまでもらってきたお年玉やお小遣いでなんとかやりくりしている。今日だって妹の響と、弟の游には、杏奈手作りの海苔弁当しか持たせていない。ご飯の上に海苔と梅干と鮭とピーマンをうまいこと配置してキャラ弁風にした材料費100円程度のお弁当だ。それなのに私が何千円もするランチ、食べてられないよ……。
「どうする? 今日はキヌアのサラダにする子が多いみたいだけど」
「キヌアのサラダ?」
ウタちゃんのアプリで見せてもらう。スーパーフードの穀類であるキヌアを使ったサラダ。栄養価が高くてローカロリー。気になるお値段は1200円。他のに比べたら安い。
「私もこれにする」
「杏奈ちゃんも? じゃあ私も。今日は私が払っておくね」
S組のカフェテラスではアプリでオーダーし決済もする。座席を入力しておけば食事は運んでもらえるそうだ。とても高校生の学食とは思えない。
運ばれてきたキヌアのサラダは、たくさんの野菜が使われていてカラフルで美味しくて、けど思ったより少なかった。
「これだけじゃ足りないかも」女の子の1人が言って
「我慢しよ! ダイエットするって決めたんだから」と別の子が励ましている。
「ふふ、みんな三山君が編入してきたから張り切ってるのよ」
ウタちゃんの発言に、杏奈は様々な情報を読み取る。
やっぱりみんな、三山家の御曹司の編入に浮足立っているのだ。そして御曹司に見初められたくて、必要もなさそうなのにダイエットなんて始めてるってわけだ。杏奈はS組に女の子たちに急に親近感を覚えた。けど私も負けていられない。
「ウタちゃんも張り切ってたりするの?」
ライバルになったら手ごわそうなウタちゃんにも探りを入れてみる。
「私は……」
「ウタちゃんは審判者よ」
グループの女の子が代わりに答えた。桜月(サツキ)と呼ばれていた子だ。ほっそりとした黒髪の美人なのに、さっきダイエットすると言っていた。
「審判者?」杏奈が聞くと、ウタちゃんは困った顔をした。
代わりに桜月が話し出す。
「三山君が三山財閥のご令息というのはご存知?」
「え、そうなのー?」
杏奈はとぼけておくことにした。棒読みになったのは否めないけど。
「ふふ。私たちも先週、三山君の編入を聞いたときはさすがにちょっと驚いたわね」
S組の人も驚くほど三山財閥は格上なのね、と杏奈は認識を新たにする。
「それでね、私たちS組の女子は、淑女協定を結んだの」
「淑女協定?」
「三山君に話しかけられるまでは、自分からは話しかけないって」
「え、どうして?」
「だって、ほら……」桜月がウタちゃんを見る。
「浅ましいでしょう? いくら三山財閥のご令息だからって、おもねったり、媚を売ったりするのは」
「あーうん、そうね」
杏奈が同意したのに安心して、ウタちゃんが続ける。
「三山君本人が、お話したいと思う女子をお決めになればいいのよ」
「だから杏奈ちゃんも自分から話しかけちゃダメよ」
桜月に釘を刺されて杏奈はドキリとする。
今朝、応接室ですでに話しかけたことは、今は黙っていよう。淑女協定なんて知らなかったし。そもそも三山君に話しかけられるまで待つって、ここは源氏物語の世界なの? それとも大奥ですか? けど今歯向かうのは得策じゃないだろう。
「わかった」
杏奈は従順にうなずいてみせた。
ウタちゃんも桜月も他の女子も満足気な様子だ。
うーん、三山君には彼女たちが見ていないところで近付かなくちゃと杏奈は思った。
ウタちゃんたちはいい子で、数か月前の杏奈なら是非お友達になりたいと願ったと思う。でもごめんね、友情で借金は返せないの。今の私に必要なのは支度金1億円をくれる婚約者なんだ。
「ねえウタちゃん、あの執事の方はどうするの?」桜月が聞く。
「執事?」
「田鍋ケイイチロウ君。田鍋家は先祖代々三山家の執事を務める家柄なの。杏奈ちゃんて本当に何も知らないのね」
桜月が笑う。
「そうねえ、執事の方におもねるなんて、もっとはしたないと思うわ」
「じゃあ田鍋君にもこちらからは話しかけない、で決まりね。みんなわかった?」
女の子たちがにっこりとうなずく。
ウタちゃんの言葉で、また新たな淑女協定が締結された瞬間だった。
いやー、情報量多かったな。
杏奈はフリードリンクのサーバーで、メロンソーダを注いでいた。
カフェテリアのメニューは高いけど、ドリンクサーバーの飲み物はセルフサービスになるので無料らしい。ウタちゃんたちは有料のアイスカフェラテや茶葉を指定した紅茶を頼んだので、ドリンクサーバーに来たのは杏奈だけだ。無料というのもあるけど、杏奈はメロンソーダが好きだった。子供の頃、両親と……いや、親のことは今は思い出したくないな……。
メロンソーダを持ってソファ席へ戻ろうとすると、前を田鍋ケイイチロウが歩いていた。
執事の家系、そんな家があるなんて初耳だったなあ……。
ドン! バシャ! え?!
「何するんだ!」
メロンソーダをシャツにかけられて田鍋ケイイチロウが怒っている。
「そっちが急に振り返るから」
「俺のせいだと言うのか?」
完全にそうでしょ? 杏奈がケイイチロウに言おうとしたその時。
パチン。
カフェテリア全体に響く音がして振り向くと、三山タイシが片手をあげ指を鳴らし、スタッフを呼んでいた。
「おしぼりか濡らしたタオルを持って来てください」
三山タイシはすばやく田鍋ケイイチロウに近寄ると
「たい……(大紫様と言おうとしたのをごまかして)じょうぶか? 医務室で着替えよう」とケイイチロウの腕をとった。
そして杏奈を見ると
「佐藤さんは大丈夫ですか?」と聞いた。
「私は平気です」メロンソーダがかかったのは田鍋ケイイチロウだけだ。
「それなら良かったです。佐藤さんは何も悪くありません。申し訳ない」
そう言うと、三山タイシは不服そうな田鍋ケイイチロウを連れてカフェテリアを出て行った。
入れ替わるようにカフェテリアのスタッフが駆けつけ、すぐにフロアの清掃を始め出す。
杏奈は三山タイシの後ろ姿を見ながら思った。
推せる……。
私、この人になら本気で恋ができるかもしれない!
婚約者になって1億円の支度金をもらえればと思ってたけど、そのまま結婚して三山財閥の花嫁っていうのもアリだ。アリよりのアリ。むしろ是非。両親の借金返済どころか事業の立て直しだって余裕だ。
杏奈は心が躍った。
一方、圭一郎に連れ出された本当の三山大紫は、緑色に染まったシャツを見ながら、あの女子だけは本当にあり得ないと思っていた。
ウタちゃんこと善財詩子のグループに思いがけず混ぜてもらった杏奈は、S組女子のことを知るいい機会と気持ちを切り替えることにした。どんなライバルがいるのかは大事な情報だ。
ウタちゃんたち女子グループは、奥の方のソファ席(!)に座った。やっぱりウタちゃんたちが3年S組の最上位女子グループのいようだ。
「杏奈ちゃん、今日はここでいい?」
ウタちゃんが自分の横に杏奈を座らせる。
本当に優しい子なんだな、ウタちゃん。
ソファに座るとみんなスマホを見て
「キヌアのサラダにしようかな」
「ダイエット?」などと話し始めた。
杏奈はウタちゃんに「何してるの?」と聞いてみる。
「ランチのオーダーよ。杏奈ちゃんはまだS組のアプリは登録してないの?」
そういえば担任の門倉先生が、S組には学園生活をサポートするアプリがあると言っていたっけ。杏奈はA組からの一時的な編入だから、認証に時間がかかるとも……。
「アプリね! まだ登録できてないの」
「じゃあ今日は私が杏奈ちゃんの分もオーダーするね、何にする?」
ウタちゃんが見せてくれたメニューを見て杏奈は驚いた。メニューというより値段に。
ハンバーグランチ3000円、パスタランチ2500円、仔牛のカツレツ4000円、カレーライス2500円、サンドイッチ2000円。和食や中華もあるが高いのは同じだ。握り寿司や北京ダックがメニューにあるカフェテラスってなんなんだ!
ツッコミたいけど、とりあえずどうしよう……。
杏奈は今、贅沢ができない状況だ。借金取りが家にあった現金や金目のものはあらかた持って行ってしまった。今は杏奈がこれまでもらってきたお年玉やお小遣いでなんとかやりくりしている。今日だって妹の響と、弟の游には、杏奈手作りの海苔弁当しか持たせていない。ご飯の上に海苔と梅干と鮭とピーマンをうまいこと配置してキャラ弁風にした材料費100円程度のお弁当だ。それなのに私が何千円もするランチ、食べてられないよ……。
「どうする? 今日はキヌアのサラダにする子が多いみたいだけど」
「キヌアのサラダ?」
ウタちゃんのアプリで見せてもらう。スーパーフードの穀類であるキヌアを使ったサラダ。栄養価が高くてローカロリー。気になるお値段は1200円。他のに比べたら安い。
「私もこれにする」
「杏奈ちゃんも? じゃあ私も。今日は私が払っておくね」
S組のカフェテラスではアプリでオーダーし決済もする。座席を入力しておけば食事は運んでもらえるそうだ。とても高校生の学食とは思えない。
運ばれてきたキヌアのサラダは、たくさんの野菜が使われていてカラフルで美味しくて、けど思ったより少なかった。
「これだけじゃ足りないかも」女の子の1人が言って
「我慢しよ! ダイエットするって決めたんだから」と別の子が励ましている。
「ふふ、みんな三山君が編入してきたから張り切ってるのよ」
ウタちゃんの発言に、杏奈は様々な情報を読み取る。
やっぱりみんな、三山家の御曹司の編入に浮足立っているのだ。そして御曹司に見初められたくて、必要もなさそうなのにダイエットなんて始めてるってわけだ。杏奈はS組に女の子たちに急に親近感を覚えた。けど私も負けていられない。
「ウタちゃんも張り切ってたりするの?」
ライバルになったら手ごわそうなウタちゃんにも探りを入れてみる。
「私は……」
「ウタちゃんは審判者よ」
グループの女の子が代わりに答えた。桜月(サツキ)と呼ばれていた子だ。ほっそりとした黒髪の美人なのに、さっきダイエットすると言っていた。
「審判者?」杏奈が聞くと、ウタちゃんは困った顔をした。
代わりに桜月が話し出す。
「三山君が三山財閥のご令息というのはご存知?」
「え、そうなのー?」
杏奈はとぼけておくことにした。棒読みになったのは否めないけど。
「ふふ。私たちも先週、三山君の編入を聞いたときはさすがにちょっと驚いたわね」
S組の人も驚くほど三山財閥は格上なのね、と杏奈は認識を新たにする。
「それでね、私たちS組の女子は、淑女協定を結んだの」
「淑女協定?」
「三山君に話しかけられるまでは、自分からは話しかけないって」
「え、どうして?」
「だって、ほら……」桜月がウタちゃんを見る。
「浅ましいでしょう? いくら三山財閥のご令息だからって、おもねったり、媚を売ったりするのは」
「あーうん、そうね」
杏奈が同意したのに安心して、ウタちゃんが続ける。
「三山君本人が、お話したいと思う女子をお決めになればいいのよ」
「だから杏奈ちゃんも自分から話しかけちゃダメよ」
桜月に釘を刺されて杏奈はドキリとする。
今朝、応接室ですでに話しかけたことは、今は黙っていよう。淑女協定なんて知らなかったし。そもそも三山君に話しかけられるまで待つって、ここは源氏物語の世界なの? それとも大奥ですか? けど今歯向かうのは得策じゃないだろう。
「わかった」
杏奈は従順にうなずいてみせた。
ウタちゃんも桜月も他の女子も満足気な様子だ。
うーん、三山君には彼女たちが見ていないところで近付かなくちゃと杏奈は思った。
ウタちゃんたちはいい子で、数か月前の杏奈なら是非お友達になりたいと願ったと思う。でもごめんね、友情で借金は返せないの。今の私に必要なのは支度金1億円をくれる婚約者なんだ。
「ねえウタちゃん、あの執事の方はどうするの?」桜月が聞く。
「執事?」
「田鍋ケイイチロウ君。田鍋家は先祖代々三山家の執事を務める家柄なの。杏奈ちゃんて本当に何も知らないのね」
桜月が笑う。
「そうねえ、執事の方におもねるなんて、もっとはしたないと思うわ」
「じゃあ田鍋君にもこちらからは話しかけない、で決まりね。みんなわかった?」
女の子たちがにっこりとうなずく。
ウタちゃんの言葉で、また新たな淑女協定が締結された瞬間だった。
いやー、情報量多かったな。
杏奈はフリードリンクのサーバーで、メロンソーダを注いでいた。
カフェテリアのメニューは高いけど、ドリンクサーバーの飲み物はセルフサービスになるので無料らしい。ウタちゃんたちは有料のアイスカフェラテや茶葉を指定した紅茶を頼んだので、ドリンクサーバーに来たのは杏奈だけだ。無料というのもあるけど、杏奈はメロンソーダが好きだった。子供の頃、両親と……いや、親のことは今は思い出したくないな……。
メロンソーダを持ってソファ席へ戻ろうとすると、前を田鍋ケイイチロウが歩いていた。
執事の家系、そんな家があるなんて初耳だったなあ……。
ドン! バシャ! え?!
「何するんだ!」
メロンソーダをシャツにかけられて田鍋ケイイチロウが怒っている。
「そっちが急に振り返るから」
「俺のせいだと言うのか?」
完全にそうでしょ? 杏奈がケイイチロウに言おうとしたその時。
パチン。
カフェテリア全体に響く音がして振り向くと、三山タイシが片手をあげ指を鳴らし、スタッフを呼んでいた。
「おしぼりか濡らしたタオルを持って来てください」
三山タイシはすばやく田鍋ケイイチロウに近寄ると
「たい……(大紫様と言おうとしたのをごまかして)じょうぶか? 医務室で着替えよう」とケイイチロウの腕をとった。
そして杏奈を見ると
「佐藤さんは大丈夫ですか?」と聞いた。
「私は平気です」メロンソーダがかかったのは田鍋ケイイチロウだけだ。
「それなら良かったです。佐藤さんは何も悪くありません。申し訳ない」
そう言うと、三山タイシは不服そうな田鍋ケイイチロウを連れてカフェテリアを出て行った。
入れ替わるようにカフェテリアのスタッフが駆けつけ、すぐにフロアの清掃を始め出す。
杏奈は三山タイシの後ろ姿を見ながら思った。
推せる……。
私、この人になら本気で恋ができるかもしれない!
婚約者になって1億円の支度金をもらえればと思ってたけど、そのまま結婚して三山財閥の花嫁っていうのもアリだ。アリよりのアリ。むしろ是非。両親の借金返済どころか事業の立て直しだって余裕だ。
杏奈は心が躍った。
一方、圭一郎に連れ出された本当の三山大紫は、緑色に染まったシャツを見ながら、あの女子だけは本当にあり得ないと思っていた。