捨てられ令嬢は田舎で新たな家族と夢をかなえることにします!
第1章 自由って素晴らしい
「アリーシャ、すまないが我がギャレット家から出ていってもらおう」
ある日突然、夫ハロルドは、妻である私にそう告げた。なんの前置きもなく。
「二年前、君が嫁いできてからずっと、君を放置していたことは謝る」
状況が呑み込めずにぽかんとしている私に、彼はどことなく芝居がかった声音で続ける。
「私たちが結婚してすぐ、君の父親であるピアソン伯爵は投獄され、ピアソン家は取り潰された。私の親戚たちはそんな君と離縁しろと、ずっとそうせっついていた。そんな事情もあって、私は君と距離を置くほかなかったんだ。本当に、申し訳なかった」
それが言い訳だと、私は知っている。単に彼は、政略結婚で嫁いできた私のことが気に入らなかっただけなのだ。だから彼はまる二年もの間、私を放置していた。
普通の令嬢なら、この仕打ちに傷つき、嘆き悲しむだろう。でも私は、ちょっとばかり普通ではなかった。
今の私は、ギャレット伯爵夫人アリーシャ。ハロルドのところに嫁ぐ前は、ピアソン伯爵家の娘アリーシャ。でも私には、もう一つの記憶……前世の記憶があったのだ。
かつての私はそこそこ大きな企業の社員で、出世コースにも乗っていた。まあ、割と優秀なほうだったかも。……『仕事の鬼』なんてあだ名がつくくらいには頑張っていたし。
毎朝電車に揺られ、会社で一日働いて、くたくたになって家に帰る。平日は仕事を頑張って、休日はたまった家事を片付けて。
恋人なし、趣味なし。職場と家を往復するだけの、どうにも味気ない日々。そんな日々が、ずっと続くんだろうなと思っていた。
でもある日、私は風邪をこじらせて寝込んでしまったのだ。一人暮らしだったこともあって誰にも頼れずに、そのまま意識を失って……。
気がついたら、赤ん坊になっていた。しかも私がいたのは見慣れた味気ないアパートではなく、古くどっしりとした西洋風のお屋敷だったのだ。
なんとも驚いたことに、私はまるで別の世界の人物として生まれ変わっていたのだ。
今の私は、春の花のようなピンク色の髪に、蜂蜜色の目をした、生き生きとした表情の美女へと成長を遂げていた。前世よりずっと健康的で、明るく活発な女性に。
前世では怖そうとか強そうとか言われていたから、まるで逆の雰囲気の自分になれたことは、結構嬉しかった。
とまあ、そんな事情のおかげで、結婚してからも割と平然としていられたのだった。だって、放置されているだけならさほど害はないし。パワハラもセクハラもないし残業もないから、これはこれでとても気楽だったのだ。
「……せめて君のギフトがもう少し役に立つものであれば、親戚たちを説得できていたかもしれないが。残念だ」
そんなことを思い出していたら、ハロルドがわざとらしいくらい切なげに言った。
彼は一応それなりに整った面差しではあるものの、そこを鼻にかけているのか、仕草も態度もいちいち大げさなところがあった。うっとうしくはあるけれど、ちょっとこっけいでもある。
今彼が口にしたように、この世界にはギフトと呼ばれる不思議な力が存在する。水や風を操ったり、動物たちに言うことを聞かせたり、とにかく色んな種類がある。
けれどギフトを有するのは、ごく限られた一部の人間だけだ。しかも、一人につき一種類のみ。さらに、誰がいつ、どんな力に目覚めるのかはまったく予測できない。
とはいえ、ギフトを得ることができれば、そこからの人生はぐっと楽になる。その力を活かしてあちこちで活躍することもできるし、縁談にも事欠かない。身内にギフト持ちがいるというのは、この世界の人間にとっては誇らしいことなのだ。
ただ同時に、ギフトを持っているということが公になれば、当然のごとく注目を浴びる。そうしておごりたかぶった結果、身を持ち崩す者も少なくはない。あるいは、周囲から頼りにされまくって疲労困憊する者も。
だから、それまでの暮らしが壊れることを嫌って、ギフトについて隠している者も多いのだ。
……あと、犯罪なんかに向いているギフトの場合、危険視されて国から厳しい監視がついたりもする。
そういうギフトの持ち主の一部は、ギフトの存在をひた隠しにして、こっそり裏で悪さをしているとか、いないとか。実際にそういう例を見聞きしたことはないから、本当かどうかは知らないけれど。
そして私も、とあるギフトを持っていた。ただ私はその真の力をひた隠しにして、『好きなだけタンポポを生み育てることができるギフト』ということにしてきたのだ。横暴な父に、私の力を利用されないように。
そうしたら父は、なんと大嘘をついて私をハロルドに嫁がせてしまった。あれはまだ私が、十六歳の時のことだった。
「植物を思いのままに生み出す力だと聞いて妻にしてみれば、まさかタンポポしか生やせないとは……! こんな情けないギフトが、あっていいのか……」
ハロルドはハロルドで、私の力を利用……悪用? しようとたくらんでいたらしい。しかし正式に夫婦になった彼は、せっせとタンポポ畑を作っている私の姿を見て、露骨にがっくりしていた。あれは面白かった。
その時のことを思い出してうつむく私に、ハロルドは大げさなくらいに悲しそうな声をかけてきた。
「ああ、君が役立たずだということを責めているのではないのだ。恥じる必要はない」
どうやら彼は、私がショックを受けて落ち込んでいるのだと勘違いしているらしい。本人は励まそうとしているのかもしれないけれど、どちらかというとほんのり馬鹿にされている気もする。
しかし私は今、落ち込んではいなかった。逆に、必死に笑いをこらえているのだった。かつて父の嘘を信じて私を妻とし、そして今は私の演技を信じ込んでしまっているハロルドが、どうにもおかしくて。
そんなあれこれを思い出していると、さらに笑いが込み上げてきた。駄目、このままだと本気で笑い出しそう。
肩を震わせながら必死にこらえていると、突然知らない声が聞こえてきた。
「ハロルド様ぁ、アリーシャ様ったら、泣いてるみたいですよぉ?」
舌っ足らずな甘い声に、顔を上げる。奥の続き部屋への扉が開いていて、そこから愛らしい少女が顔をのぞかせていた。
砂糖菓子のようなふわふわの金の髪に、ぱっちりとした青い目、ほっそりとした華奢な体。でもその目には、やけに意地の悪そうな光が時折ひらめいている。まだ若い。たぶん十五歳くらいかな。
そういえばこの子……ハロルドが主宰するお茶会かなんかで、ちょくちょく見かけた気がしなくもない。
ただそういう場ではいつも、早く終われと祈るのに忙しくて、他の出席者なんてろくに見ていなかった。だって、お飾りの妻としてお茶会に出るのって、とにかく面倒で退屈だったし。ともかくそんな訳で、彼女についてもうろ覚えなのだ。
すると、その少女はハロルドにするりと近づき、腕にしなだれかかった。そうして不敵な流し目を、こちらによこしてくる。
あ、思い出した。この子、毎回わざとらしくハロルドに絡んでいた子だ。そしてそのたびに、こちらをちらちら見ていた。このねっとりとした目つき、間違いない。
「大丈夫だ、ノエル。アリーシャは強い女性だ……愛する夫との別れも、乗り越えていけるだろう」
涙をこらえているような表情で、ハロルドがその少女、ノエルに答えている。彼は手を伸ばして、とても親しげにノエルの肩を抱いていた。
ああなるほど、愛人ができたのね。それで、私が邪魔になった、と。
というかノエルは、たぶんずっと前から私にあてつけていたのだろう。あなたの夫、もらっちゃうわよ、とかなんとか、そんな感じで。あいにくとこちらには、まったく伝わっていなかったのだけれど。
ハロルドは悲しげに肩を落としながら、それでもノエルをまっすぐに見つめている。とっても演技がかっているし、自分に酔っている。真実の愛に生きるため、貞淑な妻を泣く泣く離縁する男の役、楽しそうね。
どういう訳かハロルドは、私が彼のことをひたむきに思っているのだと、そう勘違いしてしまっているのだ。思わせぶりな態度を取った覚えはないのだけれど……男の勘違いって怖い、というか気持ち悪いわね。『愛する夫』って……うう、寒気がしてきた。
私がいることを忘れているかのように熱く見つめ合う二人を、のんびりと観察する。
しかし、まさかこの二人がねえ。ハロルドは今二十歳だから、ノエルとはちょっと年が離れている。というか彼、こういうのが好みだったのか。ひたすらに甘々で、ちょっぴり頭が足りない感じの子。……私とは真逆かも。
「本当にごめんなさい、アリーシャ様。でもあたしとハロルド様は、運命の相手なのよ。一目で恋に落ちてしまったんだもの……」
しみじみとそんなことを考えていると、ノエルが申し訳なさそうに、しかし勝ち誇った表情で声をかけてきた。
あーはいはい、どうでもいい。それよりも、さっきハロルドは「出ていってもらおう」って言ってたし……世間体のこともあるだろうから、婚姻関係はそのままで修道院送りかしらね。不自由には慣れているけれど、厳しそうでちょっと嫌かも、修道院。
そんな私に、ちょっぴり鼻の下を伸ばしたハロルドが宣言した。
「よって今日この時をもって、君とは離縁だ」
……離縁? 本当に? ……ぃやったあああああ!! これで、自由だ!!
ある日突然、夫ハロルドは、妻である私にそう告げた。なんの前置きもなく。
「二年前、君が嫁いできてからずっと、君を放置していたことは謝る」
状況が呑み込めずにぽかんとしている私に、彼はどことなく芝居がかった声音で続ける。
「私たちが結婚してすぐ、君の父親であるピアソン伯爵は投獄され、ピアソン家は取り潰された。私の親戚たちはそんな君と離縁しろと、ずっとそうせっついていた。そんな事情もあって、私は君と距離を置くほかなかったんだ。本当に、申し訳なかった」
それが言い訳だと、私は知っている。単に彼は、政略結婚で嫁いできた私のことが気に入らなかっただけなのだ。だから彼はまる二年もの間、私を放置していた。
普通の令嬢なら、この仕打ちに傷つき、嘆き悲しむだろう。でも私は、ちょっとばかり普通ではなかった。
今の私は、ギャレット伯爵夫人アリーシャ。ハロルドのところに嫁ぐ前は、ピアソン伯爵家の娘アリーシャ。でも私には、もう一つの記憶……前世の記憶があったのだ。
かつての私はそこそこ大きな企業の社員で、出世コースにも乗っていた。まあ、割と優秀なほうだったかも。……『仕事の鬼』なんてあだ名がつくくらいには頑張っていたし。
毎朝電車に揺られ、会社で一日働いて、くたくたになって家に帰る。平日は仕事を頑張って、休日はたまった家事を片付けて。
恋人なし、趣味なし。職場と家を往復するだけの、どうにも味気ない日々。そんな日々が、ずっと続くんだろうなと思っていた。
でもある日、私は風邪をこじらせて寝込んでしまったのだ。一人暮らしだったこともあって誰にも頼れずに、そのまま意識を失って……。
気がついたら、赤ん坊になっていた。しかも私がいたのは見慣れた味気ないアパートではなく、古くどっしりとした西洋風のお屋敷だったのだ。
なんとも驚いたことに、私はまるで別の世界の人物として生まれ変わっていたのだ。
今の私は、春の花のようなピンク色の髪に、蜂蜜色の目をした、生き生きとした表情の美女へと成長を遂げていた。前世よりずっと健康的で、明るく活発な女性に。
前世では怖そうとか強そうとか言われていたから、まるで逆の雰囲気の自分になれたことは、結構嬉しかった。
とまあ、そんな事情のおかげで、結婚してからも割と平然としていられたのだった。だって、放置されているだけならさほど害はないし。パワハラもセクハラもないし残業もないから、これはこれでとても気楽だったのだ。
「……せめて君のギフトがもう少し役に立つものであれば、親戚たちを説得できていたかもしれないが。残念だ」
そんなことを思い出していたら、ハロルドがわざとらしいくらい切なげに言った。
彼は一応それなりに整った面差しではあるものの、そこを鼻にかけているのか、仕草も態度もいちいち大げさなところがあった。うっとうしくはあるけれど、ちょっとこっけいでもある。
今彼が口にしたように、この世界にはギフトと呼ばれる不思議な力が存在する。水や風を操ったり、動物たちに言うことを聞かせたり、とにかく色んな種類がある。
けれどギフトを有するのは、ごく限られた一部の人間だけだ。しかも、一人につき一種類のみ。さらに、誰がいつ、どんな力に目覚めるのかはまったく予測できない。
とはいえ、ギフトを得ることができれば、そこからの人生はぐっと楽になる。その力を活かしてあちこちで活躍することもできるし、縁談にも事欠かない。身内にギフト持ちがいるというのは、この世界の人間にとっては誇らしいことなのだ。
ただ同時に、ギフトを持っているということが公になれば、当然のごとく注目を浴びる。そうしておごりたかぶった結果、身を持ち崩す者も少なくはない。あるいは、周囲から頼りにされまくって疲労困憊する者も。
だから、それまでの暮らしが壊れることを嫌って、ギフトについて隠している者も多いのだ。
……あと、犯罪なんかに向いているギフトの場合、危険視されて国から厳しい監視がついたりもする。
そういうギフトの持ち主の一部は、ギフトの存在をひた隠しにして、こっそり裏で悪さをしているとか、いないとか。実際にそういう例を見聞きしたことはないから、本当かどうかは知らないけれど。
そして私も、とあるギフトを持っていた。ただ私はその真の力をひた隠しにして、『好きなだけタンポポを生み育てることができるギフト』ということにしてきたのだ。横暴な父に、私の力を利用されないように。
そうしたら父は、なんと大嘘をついて私をハロルドに嫁がせてしまった。あれはまだ私が、十六歳の時のことだった。
「植物を思いのままに生み出す力だと聞いて妻にしてみれば、まさかタンポポしか生やせないとは……! こんな情けないギフトが、あっていいのか……」
ハロルドはハロルドで、私の力を利用……悪用? しようとたくらんでいたらしい。しかし正式に夫婦になった彼は、せっせとタンポポ畑を作っている私の姿を見て、露骨にがっくりしていた。あれは面白かった。
その時のことを思い出してうつむく私に、ハロルドは大げさなくらいに悲しそうな声をかけてきた。
「ああ、君が役立たずだということを責めているのではないのだ。恥じる必要はない」
どうやら彼は、私がショックを受けて落ち込んでいるのだと勘違いしているらしい。本人は励まそうとしているのかもしれないけれど、どちらかというとほんのり馬鹿にされている気もする。
しかし私は今、落ち込んではいなかった。逆に、必死に笑いをこらえているのだった。かつて父の嘘を信じて私を妻とし、そして今は私の演技を信じ込んでしまっているハロルドが、どうにもおかしくて。
そんなあれこれを思い出していると、さらに笑いが込み上げてきた。駄目、このままだと本気で笑い出しそう。
肩を震わせながら必死にこらえていると、突然知らない声が聞こえてきた。
「ハロルド様ぁ、アリーシャ様ったら、泣いてるみたいですよぉ?」
舌っ足らずな甘い声に、顔を上げる。奥の続き部屋への扉が開いていて、そこから愛らしい少女が顔をのぞかせていた。
砂糖菓子のようなふわふわの金の髪に、ぱっちりとした青い目、ほっそりとした華奢な体。でもその目には、やけに意地の悪そうな光が時折ひらめいている。まだ若い。たぶん十五歳くらいかな。
そういえばこの子……ハロルドが主宰するお茶会かなんかで、ちょくちょく見かけた気がしなくもない。
ただそういう場ではいつも、早く終われと祈るのに忙しくて、他の出席者なんてろくに見ていなかった。だって、お飾りの妻としてお茶会に出るのって、とにかく面倒で退屈だったし。ともかくそんな訳で、彼女についてもうろ覚えなのだ。
すると、その少女はハロルドにするりと近づき、腕にしなだれかかった。そうして不敵な流し目を、こちらによこしてくる。
あ、思い出した。この子、毎回わざとらしくハロルドに絡んでいた子だ。そしてそのたびに、こちらをちらちら見ていた。このねっとりとした目つき、間違いない。
「大丈夫だ、ノエル。アリーシャは強い女性だ……愛する夫との別れも、乗り越えていけるだろう」
涙をこらえているような表情で、ハロルドがその少女、ノエルに答えている。彼は手を伸ばして、とても親しげにノエルの肩を抱いていた。
ああなるほど、愛人ができたのね。それで、私が邪魔になった、と。
というかノエルは、たぶんずっと前から私にあてつけていたのだろう。あなたの夫、もらっちゃうわよ、とかなんとか、そんな感じで。あいにくとこちらには、まったく伝わっていなかったのだけれど。
ハロルドは悲しげに肩を落としながら、それでもノエルをまっすぐに見つめている。とっても演技がかっているし、自分に酔っている。真実の愛に生きるため、貞淑な妻を泣く泣く離縁する男の役、楽しそうね。
どういう訳かハロルドは、私が彼のことをひたむきに思っているのだと、そう勘違いしてしまっているのだ。思わせぶりな態度を取った覚えはないのだけれど……男の勘違いって怖い、というか気持ち悪いわね。『愛する夫』って……うう、寒気がしてきた。
私がいることを忘れているかのように熱く見つめ合う二人を、のんびりと観察する。
しかし、まさかこの二人がねえ。ハロルドは今二十歳だから、ノエルとはちょっと年が離れている。というか彼、こういうのが好みだったのか。ひたすらに甘々で、ちょっぴり頭が足りない感じの子。……私とは真逆かも。
「本当にごめんなさい、アリーシャ様。でもあたしとハロルド様は、運命の相手なのよ。一目で恋に落ちてしまったんだもの……」
しみじみとそんなことを考えていると、ノエルが申し訳なさそうに、しかし勝ち誇った表情で声をかけてきた。
あーはいはい、どうでもいい。それよりも、さっきハロルドは「出ていってもらおう」って言ってたし……世間体のこともあるだろうから、婚姻関係はそのままで修道院送りかしらね。不自由には慣れているけれど、厳しそうでちょっと嫌かも、修道院。
そんな私に、ちょっぴり鼻の下を伸ばしたハロルドが宣言した。
「よって今日この時をもって、君とは離縁だ」
……離縁? 本当に? ……ぃやったあああああ!! これで、自由だ!!