消えない消せない、僕たちの
私の緊張を感じ取ったのか、小幡くんは眼鏡の奥の目を優しく細め、またコーヒーに口をつけた。

「学部一緒だし、入学した時から河野さんのこと気づいてはいたんだけど……河野さんが覚えてるかわからなくてあまり話せないままだった」
「うん……私も」

私は、ぎゅっとチャームを握りしめた手に視線を落とす。

彼とお揃いになるのは、これが初めてではない。
居住地が近い私と小幡くんは同じ小学校に通っていて、クラスも同じ。
そして、好きなゲームも同じだった。

お互いランドセルにつけていたキーホルダーが偶然そのゲームの同じキャラクターのもので、出席番号も近かったので私たちはすぐに打ち解けた。
ただ、同じ教室で授業を受け、休み時間を過ごし、次第に決まったグループに属するようになり。
月日が経つにつれ、彼との距離を感じるようになった。

小幡くんは凛として物静かな人だった。誰とつるむでもなく、休み時間にはいつも姿勢良く本を読んでいるような人。
同じクラスになったばかりの頃、私とゲームの話をしていた時は明るく振る舞ってくれたけれど、たぶん元々人とわいわいお喋りをしたり遊んだりするのは好きではなかったのだろう。

私は当時友達がそれなりにいて騒がしくしていたタイプだったから、自然と彼との関わりは減った。
それでも、彼のことを嫌いになったわけじゃない。お揃いの星型キーホルダーはずっとランドセルにつけて大切にしていたし、たまに同じ当番になった日やゲームの新情報が出た時には私から声を掛けて言葉を交わしていた。

——ねぇ、それあいつと一緒だね。仲いいの?

ある日、友達にキーホルダーのことを指摘された。
クラスの中心的な存在だったその女の子は、いつもひとりでいる小幡くんのことをあまり好ましく思っていないようだった。
きっと、その子にそんなつもりはなかったのかもしれないけれど。
私はそれを跳ね返せるほど強くはなくて。
軽蔑の目を向けられたような気がしたその一瞬が、私には心臓が凍りつくほど、恐ろしくて。

次の日から、私はキーホルダーをつけて行かなくなった。

そしてそのことに気付いたのか、しばらくして小幡くんのランドセルからもキーホルダーが消えた。

……あぁきっと、私は彼を傷つけた。
子供ながらに負い目を感じ、気まずくなった私は小幡くんに話しかけなくなった。
当然、彼から話しかけてくることもない。

その後何かが起こるわけでもなく、私たちは一言も話さないまま小学校を卒業し、静かに彼との縁は切れた。
私は友人をひとり失い、そして、6年後。

大学生になり、思いがけず彼と再会したのだ。


「私も小幡くんのこと覚えてたし、気付いてたけど、なんて声を掛けていいのかわからなかった。……ごめんなさい」
「全然。小学生以来で久しぶりすぎたしね」
「それもだけど、……あの頃も。キーホルダーのことも、話しかけなくなったことも、ごめん」

コーンポタージュで温まっていた指はすでに冷え、心臓も大きく脈打ち嫌な音を立てる。

保身のために彼を傷つけ、弁解もせず、彼をまたひとりにした。
そして再会してからの大学4年間、知らない顔をして、会話を避け、なるべく関わらないように過ごしてきた。

ずっと後悔していた。
忘れたことなんてなかったのに。
なんて自分勝手で、感じの悪い女だろう。

「……逃げてばっかりで、ごめん」

ぽろ、と目からこぼれ落ちてくる涙でさえも、憎たらしくて、情けない。
彼は今、どんな顔をして私を見ているだろう。
今更こんなことを言われても困るに決まっている。

やっぱり、一緒に帰るなんて言わなければよかった。
大人しくひとりでタクシーで帰って、卒業までこのまま知らないふりをしていれば——

「逃げてたのは、俺のほうだよ」

ただ俯いて漏れ出てきそうな嗚咽を堪える私の頬に、不意に温かい手が触れる。
そして親指でぐい、と目尻に溜まった涙を拭われた。

恐る恐る顔を上げると、小幡くんが、笑っていた。

「あの頃、ずっとひとりだった俺に話しかけてくれるの嬉しかった。今日だって、一緒に歩いて帰るって言われて本当は嬉しかったんだよ。嫌われたと思ってたから受け身になりすぎてた」

——あの頃。小学生の頃、私と話をしていた時の、私にだけ見せる一番星のようなキラキラとした彼の笑顔を思い出す。

もう、失ったと思っていたのに。
彼はまだ私を気にかけてくれていた。
いつもは参加しない苦手な飲み会に顔を出してくれたのも、私が帰る時について来てくれたのも。

きっと彼は最後にもう一度、勇気を出して私の手を掴もうとしてくれた。

「……嫌ってるわけ、ないよ」
「それならよかった」

小幡くんはもう片方の手に握ったままだったチャームを、ボディバッグのリングにつけた。
どう? と見せてくる彼に、つられて私も笑ってしまう。

「ふふ、可愛い。私もつけようかな」

かじかむ指で自分のチャームをバッグの持ち手に掛けようとしたが、手が震えて上手くいかない。
見かねた小幡くんが手を差し伸べてくれ、数十秒の格闘の末私もチャームを身につけることができた。

……これで、やっとまた、お揃いだ。
誰に何を言われても、もう手放したりしない。


「さ、あと1駅分頑張ろう」

寄り道をしている間に、時刻はもう1時になっていた。
コーンポタージュとコーヒーを手に、私と小幡くんは静かな寒空の下をまた歩き始める。
先ほどまでのぎこちなさが嘘のように、空白だった時間を埋めるように、私たちはゆっくりと尽きることなく言葉を紡いでいく。

……あとで、冬休みの予定も聞いてみよう。
私はそんなことを考えながら、バッグに揺れる星をそっと撫でた。



END.
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