旦那様は二人きりになると無口になるから仮初の夫婦なのかと思っていたけど、意外とそうでもなかった
 まだまだダンスの時間が終わらない庭園は、ひとけがなく誰もいない。
 私は王宮の豪華な花々が眺められるところまで旦那様をつれてきて、ひとまずベンチに座らせた。

「…………すまない」
「本当ですよ、もう……」

 ベンチに座るまでの間に、旦那様は額に玉のような汗を浮かべていた。
 そして今は、お腹に手を当てている。おそらくお腹の下にある傷は、結構深刻なのだろう。
 私はため息をつきつつ、旦那様の前に立ち、口を開いた。

「とりあえず、ここの執事さんにお願いして御者さんを呼んでもらってきます。旦那様はここで静かに――きゃっ!」
「…………」

 怪我人を放っておくのはどうかとは思ったが、このまま夜会にいても怪我がひどくなるのみ。
 そう思ってのことだったが、旦那様は私の腕を掴み、私の体を引き寄せて自身の膝の上に乗せた。

「――っ!」
「ちょ、ちょっと!」

 声にならない痛そうな呻きが聞こえる。
 勢いよく旦那様とぶつかったものだから、傷に当たっていたのだとしたらかなりの痛みだろう。
 だというのに、旦那様は私の体をぎゅっと抱きしめて放さなかった。

「御者さんを呼びにいけないので、放してください」
「…………」
「旦那様?」

 顔だけ振り向くと、彼はゆっくりとかぶりを振っていた。
 そしてなぜかその口元には、かすかに笑みを浮かばせていた。
 なんでこの状況で笑ってるの!?

「ふはっ」
「……なんでこんな状況で笑ってるんですか」
「……笑ってなど、いない」
「いや、絶対に笑ってましたよね」

 もう一度彼の顔を見るが、やはり笑っている。しかも普段よりも表情が雄弁だ。
 怪我をしていて、しかも自身の傷に追い打ちをかけようとしているというのに笑っているなんて、本当に意味がわからない。

「あら! こちらにいたわぁ」
「ごきげんよう、ミランダ夫人」

 頭に疑問符を浮かべていると、以前の夜会で夫婦仲について聞いてきた夫人、ミランダ夫人がやってきた。
 旦那様の上から放れようともがくも圧倒的腕力には叶わず、その間に旦那様が返事をした。
 夫人は、私が旦那様の膝の上で抱きしめられている状況を確認するなり、「あらあら!」と一際高い声で言い、口角をにやりとあげ目を細めた。

「ごめんなさいね、邪魔しちゃって」
「そ、そんなことないですわ!」
「まぁ、我々は仲の良い夫婦ですからね」

 もう一度放れようとするけれど、体の前に回った旦那様の腕はがっちりと私を捕らえて逃がしてくれない。
 すると夫人は「いいわよ、そのままで」と、相変わらず面白そうなものを見る目つきでそう告げた。

「そろそろ帰ろうと思っていたのだけど、今日はまだご挨拶できていなかったものだから。夫がいないけど来ちゃったわ」
「とんでもない。こちらこそ公爵にご挨拶ができておらず、申し訳ございません」
「いいのよ。今日、急遽お仕事が入っていたのでしょう? 噂で持ち切りなんだから」

 私がダンスをしているときには特にそんな話はしなかったし、そのあとも広間の端っこで小腹を満たしていたから、旦那様の噂など聞いていない。

「噂……ですか?」
「あらもう、ルイーゼさんったら。謙遜しちゃって」

 夫人の楽しげな視線がこちらに向く。
 質問をする間もなく、夫人はその噂とやらについて説明しはじめた。

「普通ならこういう時、妻っていうのは先に会場入りするのが普通なの。なのにルイーゼさんは、遅くなった侯爵と一緒に来たでしょう? それって、ルイーゼさんが侯爵のことは愛して愛して止まない、ってことなのよ!!」

 頬に手を当てて、きゃっ!とのたまう夫人。

(私、旦那様に言われて待ってただけなんだけど!?)

 そもそも、そんな夜会の慣習なんてまったく知らない。
 とはいえ否定するのもなぁ……と思っていると、背後の旦那様が口を開いた。

「実は、私が待っててほしいとお願いしたんです。彼女が一人で夜会に行って、寂しい思いをさせるのが嫌で」
「あらあらまぁまぁ!」

 途端に夫人の声が大きくなる。目に見えて表情も驚きと楽しさが倍増していた。

「もうルイーゼさん、前に夫婦仲のことを聞いたときにわからなそうな顔してたけど、とっくにラブラブじゃない!」
「は、はぁ……」

 とはいえこのスキンシップは人前用で、二人きりになると行っても手をつなぐだけなのですが……
 そう思うけれど、さすがに口には出せない。
 悩んでいると、夫人は庭園に設置されている時計に視線をやって「あら、いけない」と言った。

「そろそろ行かなきゃいけないわ。邪魔しちゃってごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです。またぜひルイーゼともお話ししてやってください」
「当たり前よぉ! ルイーゼさんも、夫婦仲の極意、教えてちょうだいね」
「は、はい……」
「それじゃあ、ごきげんよう!」

 そして嵐のような勢いで夫人は去っていった。
 庭園は再び沈黙が落ちる。慣れてきたと思っていたけど、旦那様の切り替えの早さはいつ見ても少し驚く。
 しかし、普段とは違うところが一つあった。

「あの、そろそろ放してもらえませんか」
「…………」

 旦那様が私を膝の上から降ろしてくれないのだ。

「……もう少しだけこうさせてくれ」

 怪我をひどくしているだけだろうに、旦那様は普段よりも少し息を荒くしながらも、なんとなく幸せそうに私を抱きしめる。
 心配が勝ってはしまうけれど、その表情を見るとこちらもなんだか嬉しくなってくる。

(……仕方ないわね。まぁ、怪我のことはあとでジェイクに叱ってもらおう)

 ジェイクは意外と無理をしたときなんかは怒ることが多い。しかも声を荒くすることは一切なく、ただひたすらに淡々と事実を列挙していくのだ。
 以前、1度だけ見たことがある。書斎の椅子に座って無表情にジェイクを見上げる旦那様と、そんな彼の前で姿勢よくこんこんとお説教するジェイクの姿を。
 それを思い出して、ふふ、と笑ってしまう。

「……っ!」

 すると旦那様は目を見開いたかと思うと、頬にキスを落としてきた。
 さらには体だけでなく頭までぎゅっと抱きしめてくる。

(な、なになに!? なんなの!?)

 急な行動すぎて、理解が追いつかない。
 二人きりなのに、なんでこんなに恋人みたいなことをしてくるの!?
 目だけで彼を見ると、本当に幸せそうな表情で私のことをじっと見つめている。

「さて、そろそろ帰ろう」

 そして旦那様は私を横抱きにして抱き上げると、ゆっくりと出口に向かっていった。
 その間も頬に幾度か口づけが落とされ、終始彼は私を幸せそうな表情で見下ろしていた。
 私はあっけに取られ何も言えず、抱かれるままに旦那様と屋敷に帰ったのだった。

(――なんなの!? もう、旦那様のことが何もわからないわ!!!!)
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