恋はもっと、すぐそばに

第10章 評価という名の試練

月曜日の朝九時、美咲は編集部に足を踏み入れた。手には週末に書き上げた記事のプリントアウトが握られている。いつもなら緊張で手が震えるところだが、今日は不思議と落ち着いていた。

「おはようございます」

同僚たちへの挨拶もいつもより自然で、声に力があった。美咲は朝一番で編集長のデスクに向かった。

「編集長、先週お話しいただいた記事が完成いたしました」

美咲の声に迷いはなかった。編集長が顔を上げる。

「うん、見せてもらおうか」

美咲は記事を差し出した。表紙には「現代女性の自己実現における社会的圧力とその克服」というタイトルが印刷されている。編集長の表情が微かに曇った。

「美咲ちゃん……このタイトルは……」

「今回は、本当に価値のある記事を書かせていただきました」美咲は静かに、しかし確信を込めて言った。

編集長の表情が複雑になった。でも、美咲の堂々とした態度に、何かを感じ取ったようだった。

「分かった。読ませてもらうよ」編集長は記事を受け取った。「ただし、内容によっては……」

「承知しております」美咲は深く頭を下げた。

自分のデスクに戻りながら、美咲は心の中でつぶやいた。

「今度こそ、後悔はない」

これまでと全く違う気持ちだった。結果がどうなろうとも、本当の自分で勝負できたという充実感があった。

火曜日の午前中、編集部内にざわめきが起こった。美咲の記事が話題になっているようだった。

「美咲の記事、読んだ?」

「今度はすごく本格的だよね」

同僚たちの会話が聞こえてくる。昼休み、田中が美咲のデスクにやってきた。

「美咲、編集部で君の記事が話題になってるよ」田中の声に興奮が混じっている。「みんな『こんなこと考えてたんだ』って驚いてる」

美咲の頬がわずかに赤くなった。

「でも、批判的な意見もあるんじゃ……」

「確かに一部からは『また難しいことを』という声もある」田中は正直に答えた。「でも、『深くて読み応えがある』という声の方が多いよ」

隣のデスクの先輩女性編集者が振り返った。

「美咲ちゃん、あの記事、本当にあなたが書いたの?」

美咲は緊張したが、はっきりと答えた。

「はい、そうです」

「すごいじゃない。あんなに深い分析ができるなんて、見直したわ」

一方で、水曜日には別の反応もあった。吉田先輩が小さな声でつぶやいた。

「男性に嫌われるわよ、ああいう記事を書いてると」

でも、美咲はもう動揺しなかった。拓也の言葉を思い出す。「理解されないのは、相手の問題です」。

午後には、営業部の女性社員が美咲のところにやってきた。

「美咲さん、記事読ませてもらいました。すごく共感しました。私も同じようなことで悩んでたんです」

美咲の心が満たされた。本当に伝えたかった人に、メッセージが届いている。

「ありがとうございます。そう言っていただけて、とても嬉しいです」

水曜日の夕方、美咲は一日の反応を振り返った。賛否両論あったが、確実に心に響いた人がいる。それが何より嬉しかった。編集長の最終判断はまだ出ていないが、美咲の心には静かな確信があった。

木曜日の朝、編集部には微妙な緊張感が漂っていた。美咲の記事の最終判断が今日下される予定だった。

午前十時、企画会議が始まった。美咲も会議室に向かう。

「それでは、美咲ちゃんの記事について検討しましょう」編集長が口を開いた。

美咲の鼓動が一瞬高鳴った。

「まず内容についてですが……確かに質は高い。分析も深いし、説得力もある」

美咲に希望の光が差し込む。

「でも……読者の反応が読めないんです」

田中が手を挙げた。

「編集長、最近の読者アンケートを見ると、『もっと深い内容を』という要望も増えているんです」

編集長は資料を見直した。

「確かにそういう意見もありますね……」

美咲は静かに口を開いた。

「編集長、私はこの記事に心から価値があると信じています」

編集長は美咲の目をじっと見つめた。そこには、これまでにない強い意志の光があった。

「分かりました。明日の朝までに、最終判断をお伝えします」

会議が終わり、美咲は自分のデスクに戻った。不安はあったが、以前のような恐怖はなかった。自分の信念を貫けたという満足感があった。田中が小さく手を振ってくれる。その姿を見て、美咲は微笑んだ。

結果がどうであれ、一人じゃない。そう思えることが、美咲にとって大きな支えになっていた。
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