芸能人、田所さんと平川さん
芸能人、田所さんと平川さん
「——はい、カット!十分休憩」
カットがかかり、それまで張り詰めていた心が一気に解放される。マネージャーの佐々木さんに水の入ったペットボトルを渡され刺さっているストローを口に含む。はあ。喉が潤う。水が一番美味しい。
私、平川京子はスターラルバ所属の若手女優だ。今は秋ドラマに向けて撮影中。タイトルは『くすぶる恋をもう一度』、内容としては学生時代に付き合っていた元カレと転職先で再会し、再び恋が動き出す——という、まあ王道のラブストーリーだ。
「今のシーン、ちょっと顔引き攣ってましたよ」
「え、やっぱり?あー、だよね。はあ。だめだ」
「まあ、気持ちわからんこともないですけど」
佐々木さんは「事情が事情ですし」と私の髪を梳かしながら言う。
「……撮影に私情を持ち込むのは演者として失格だよ」
「仕方ないですよ、だってお相手は——」
私と佐々木さんの視線は反対側のスペースで同じく休憩を取っている俳優——田所雪人に向いていた。
「……やっぱりかっこいいね」
「オーラが違いますもんね」
「はあ」
「休憩明けも頑張りましょう」
「今日終わったら軽く飲まない?」
「すべての撮影が終わるまで我慢ですよ」
「はあい」
あっという間に十分が経ち、それぞれの持ち場に戻る最中、田所雪人と目が合った。にこりともしない冷徹さに背筋が伸びる。けれど私は知っている。彼の優しさも甘さも、全部。
撮影が再開され、覚えたセリフに感情を乗せる。私は物語の主人公。みんな私を見ている。私を——…
「カット!平川さん、ちょっと表情が硬いかも」
「えっ、あ、すいません」
「もう少し相手に委ねる感じで」
「はい。もう一度お願いします!」
目の前には私の髪に触れようとした手を引っ込める雪人さんがいる。鼻筋がスッと通り、彫刻のようなきめ細やかな肌と薄い唇、切れ長なのにどこか柔らかい瞳。ひさしぶりにこんなに近くで彼を見た気がする。
「大丈夫か」
テノールが小さく鼓膜を揺らす。
「…だ、大丈夫です、少し、動揺して」
雪人さんとの距離の近さにフリーズしてしまったなんて口が裂けても言えない。撮影中なのに情けないよ。
今、撮影しているシーンは深夜まで残業をしているヒロインの郁美と、そんな郁美を気にかける元カレ和馬の二人の心情にフォーカスを当てている。少ないセリフだからこそむずかしい。視線と温度で役になりきる。
深夜のオフィス、オレンジ色の照明に照らされた私はパソコンの前で深いため息をつく。キーボードに指を滑らせていると、背後から足音が聞こえてきて、振り返るとそこには雪人さんの姿があった。どうやら彼も残業をしている様子。どこか疲れた表情をしているから。じーっと彼を見ていると名前を呼ばれ、彼の大きな骨張った手のひらが頭の上に乗る。
『あんま無理しすぎるなよ』
台本を読んだとき、自分と重なる部分があって正直、今日を迎えることが怖かった。
私と雪人さんは二年前にお付き合いをしていた。新人だった私の演技指導係として雪人さんにお世話になり、同じ時間を過ごしているうちに恋心が芽生えた。雪人さんは今をときめく人気俳優だし、私なんか比にならないくらい忙しい人だけど時間を作ってそばにいてくれた。けれど私が軌道に乗り始めてから二人の生活が徐々にすれ違うようになり、結果お別れをすることに。まもなくして雪人さんは独立、私たちの関係は完全に消滅した。
世間は私たちが付き合っていたことを知らない。私のマネージャーである佐々木さんだけ。だからドラマの話が来たとき、二人でとても悩んだ。佐々木さんは「断ってもいいですよ」と手を握ってくれた。私は雪人さんのことを嫌いになったことは一度もない。むしろ。
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「俺、ちゃんと自然な演技できてたよな」
撮影を終えた二十二時。俺、田所雪人はマネージャーが運転する車の中で頭を抱えていた。
「できていたと思いますよ、所々あやしかったけど」
「え、やっぱりそうだよな」
「まあ、でも仕方ないですよ、相手が相手ですし」
「はあ…」
ドラマの話をもらったとき、素直にうれしかった。また京子と共演ができる、また京子に会える、と、別れたことなんて一瞬忘れてしまっていたけれど、それぐらい、うれしいが勝っていた。
京子とは約一年付き合った。毎日が輝いていた。俳優としての田所雪人じゃなく、ひとりの男として彼女と向き合えることに喜びを感じていた。
新人として伸び代があった京子を一人前の女優に育てたくて、朝から晩まで指導した日もある。逆に、ただの男と女として過ごした日も数えきれないほどある。どんなときも平川京子を愛していたし、愛せる自信があった。
『私たち、もう、無理ですよ』
「……愛してたんだけどな」
「なんか言いました?」
「いや、ひとりごと」
「了解です」
台本を開く。
今日の撮影を振り返る。
京子、撮影のために髪をロングからボブにしたって言ってたな。髪色も少し明るくなってたし。
いやいや、綺麗だった京子に対しての振り返りじゃなくて。
「あー…だめだ、京子のことばっかり考えてしまう」
これって重症なのでは?そう思ったとき、ローテーブルに置いてあるスマホに着信が入り、画面に表示されている名前を見れば、飛びつくように通話ボタンを押した。
「…もしもし」
『や、夜分遅くにすいません——平川です』
「うん、知ってる。名前表示されてるから」
『あっ、はは、そう、ですよね』
電話の主は、まさに、今、焦がれていた京子だった。別れてからも京子の連絡先は消していない。一緒に撮った写真だってまだフォルダに残っている。我ながら情けないと思う。でもどうしたって俺は京子がまだ好きだ。
「どした?」
『大したことじゃなくて、本当はもっと早く、ちゃんと挨拶しなきゃと思ってたんですけど、今回こうして田所さんと共演することができて嬉しい、です。なので、あの、』
「—呼んで」
『えっ』
「あの頃みたいに、雪人って」
『あ、』
一体なにをお願いしているんだ、俺は。電話越しでも伝わる京子の困った様子に訂正を入れようとすれば『…雪人、さん』と細い声が名前を紡いだ。
『…もう、呼ぶことなんてないと思ってました』
「むりやり呼ばせてごめん」
『違うんです!そうじゃなくて!』
すぅ、と深呼吸の音がする。
『心の中で、ずっと呼んでました、いつも』
「……」
『恥ずかしいこと言ってごめんなさい、今日はこの辺で、』
「京子」
『……はい』
「いいドラマにしよう」
『っはい!』
京子の自信に満ちあふれた返事を聞いた電話を切った。
本当はもっと伝えたいことがあった。けれど、それは今じゃなくてもいい。
一年後
《速報・田所雪人と平川京子、熱愛!!きっかけはドラマ共演。双方所属事務所はプライベートは本人たちに任せていると回答》


