君と解きたい数式がある

虚数と好きのあいだに


4月の帰り道。
春風に乗って、制服の袖がふわっと揺れる。

咲良は、となりを歩く瑛人の横顔をちらっと見た。

最近、ずっと胸がもやもやする。
でもその理由が、自分でもちゃんとわからない。

「ねえ、一ノ瀬くん」

「ん?」

「“虚数”ってさ、本当に“存在しない数”なの?」

「“i”のこと?」

「そう。“i=√−1”って、現実には存在しないんだよね?
でも、数学の中では“ある”ことになってる」

瑛人は少しだけ立ち止まって、
空を見上げるように答えた。

「うん。“見えないけど、確かにある”って定義されてる。
“存在しない”んじゃなくて、“目に見えない”だけなんだ」

「……なんか、恋に似てるなって思った」

「恋?」

「うん。自分の中に“好き”って感情があるのに、
それが正しいのか、存在するのかもわからなくて、
だから、証明できなくて……苦しくなる」

瑛人はふっと息をのんだ。
その横顔が、少しだけ強ばった気がした。

「俺も、たまに思う。
君のこと、好きかもしれないって。
でも、それが“本物”なのか、“ただの憧れ”なのか……
自分でさえ、わからない」

咲良は立ち止まって、真っすぐ彼を見た。

「じゃあさ、それって“虚数”なんじゃない?」

「え?」

「“存在するかどうかはわからないけど、確かにある”って思ってる。
ねえ、そういう感情があっても……いいと思わない?」

瑛人の瞳が、わずかに揺れた。
そして、静かに答えた。

「……うん。そう思う。
だったら、俺の“i”も、ここにあるって言っていい?」

「私の中にも、ずっと前から“i”があるよ」

その日、咲良と瑛人は
“虚数の気持ち”を少しだけ現実に近づけた。
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