婚約破棄されたので辺境で新生活を満喫します。なぜか、元婚約者(王太子殿下)が追いかけてきたのですが?
 ジェームスが小声で挨拶をするようにと促してくれたため、エステルも我に返る。
「お初にお目にかかります。エステル・ヘインズです。このたびは滞在の申し出を快く受け入れてくださり、心から感謝いたします」
 やはり第一印象は大事だろう。これからこの城で世話になるのだから、城主には嫌われるよりは好かれたほうがいい。そんなことを考えながら、できる限りの極上の挨拶をしたつもりだった。
 しかしエステルの声が響いた後、落ち着きのある色調の室内はシンと静まり返り、時を刻む針の音だけが聞こえる。
 失敗してしまったのだろうかと、鼓動が変に高まっていく。
「コホンッ、旦那様……」
 遠慮がちなジェームスの声に、辺境伯は「ああ、すまない」と低い声を発した。
「アドコック領に歓迎する。私がギデオン・アドコックだ」
 日差しがやわらぎ、ギデオンの姿がはっきりと見え始める。
 鍛えられた体躯は、父や兄と比べてもがっしりとしている。焦げ茶の髪は日に当たると明るく見え、毛先が跳ねている様子は野性味に溢れる。目の色は紫で、雪解けに咲く菫を思わせるようなやわらかなものだった。
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