残業以上恋未満

1 残業中の出逢い



「うっわ!ひっどいくま!」


 手鏡に映る自身の顔に、私は思わず驚きの声を上げる。
 鏡に映った女性は、顔に生気がなく目の下は真っ黒。化粧もよれよれで見るに堪えない顔だった。

「あー、もう!どうしてこんなことになっちゃったかなぁ……」

 口にした不満が、無人のオフィスに響き渡る。
 時刻は午後十時。定時はとっくに過ぎていて、残業しているのは私だけ。
 不満を口にしたってどうにもならないことはもちろんわかっているのだけど、どうしても口に出さずにはいられない。

 今年この会社に入社して三年目になる私、早河 沙織(はやかわ さおり)は商品開発企画部に所属している。

 三年目ともなるとチームの商品開発だけでなく、個人での商品企画も社内コンペに出してもらえるようになった。
 商品というのは、主にコンビニで展開されるお菓子やスイーツだ。うちの部署はそれらの開発を中心に動いている。
 以前は先輩や上司の企画開発のチームに参加するだけだったけれど、今年に入ってから個人での商品企画を社内コンペに出すことが許されるようになった。以前から他のチーム企画でもアイデアを出していたことから、社内コンペに出してみないかと声が掛かったのだ。
 それ自体はすごく有難く嬉しいことではあったのだけれど、タイミング悪く自身の商品企画の社内コンペと、チームでの開発企画の〆切が重なってしまった。
 業務中はほどんどチームでの作業に掛かりきりで、結局自分のコンペの準備は終業後にするしかなくなってしまったのだ。

「有難いことだよ?もちろん!だってせっかく自分で考えた商品が通るかもしれないってチャンスなんだもん。でもさぁ……」

 チームも個人もやることが多く、正直言ってここのところお疲れ気味だ。月曜から慌ただしく、水曜になった今日も連日連夜の残業。
 だからと言って、せっかくのチャンスを無駄にしたくはない。
 常に仕事に全力を出していたおかげもあっての個人コンペ参加。忙しくもやりがいのある仕事で充実しているとも思う。


 しかし一方で私生活の方はてんでだめだめだった。


 社外でも仕事のことばかり考えていたせいで、先週付き合っていた彼にフラれたのだ。
 家でも持ち帰りの仕事をしていたため、なかなか二人の時間が取れず、せっかくデートに行っても新商品のスイーツやお菓子があればすぐに仕事モードになってしまう。
 そんなことを繰り返しているうちに、とうとう愛想をつかされてしまったのだ。

 曰く、「沙織ってなんのために俺と付き合ってんの?本当は時間の無駄とか思ってない?」である。

 もちろんそんな風に思ったことなんて一度もない。
 でもたしかにデート中も彼のことよりせっかくお店を見るならなにか仕事のインスピレーションに繋がらないかな、とか、いい商品からアイデアをもらえないかななんて、そんなことを考えていたけれども。
 そうして先週とうとう別れを切り出されてしまった。
 驚いたことに、これは私が悪かったなフラれても仕方がない、と思うだけで、それ以上の感情は湧いてこなかった。
 私って案外薄情なやつだったんだなぁ、なんて他人事のように思ったのだった。

「しばらく恋愛はいいかな……」

 しばし先週のことに思いを馳せていた私は、いかんいかん!と首を振る。
 思い出して感傷に浸っている時間はないのだ。
 うん、多分こういうところだろうなぁ、私がフラれたのは。

「よし!そういうときはやっぱりこれでしょ!」

 机の一番下の引出しを勢いよく開けると、私はその中にたくさん入っている袋のひとつを取り出した。


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