まだ触れられたくて、でも触れたい。
光の中で、永遠を誓う
ウィーンの朝は、思ったよりも穏やかに訪れた。カーテンの隙間から差し込む光が、薄いカーテンを透かして柔らかく杏奈の頬を撫でる。昨夜の夜の静けさ、紫苑と交わした温かい時間――互いに寄せ合った体の感触、耳元で囁かれた言葉、そして静かに重ねた唇の感触が、胸の奥でじんわりと輝いている。
目をゆっくり開けると、隣には穏やかな寝顔の紫苑。眠っているその表情は、普段の凛とした姿からは想像できないほど柔らかく、まるで無防備な子どものように安らいでいる。昨夜、互いに心と体を寄せ合ったまま眠った証がここにある。体に残る温もりが、まだ指先や肩に感じられて、杏奈は思わず小さく息を吐き、微笑む。
(……こんなにも近くで、安心して眠れるんだ……)
そっと体を動かすと、紫苑がまだ眠りながらも腕を伸ばし、背中を軽く抱き寄せる。杏奈はその温もりに全身を預け、胸の奥がゆっくりと満たされるのを感じた。昨夜から続く甘さと安心感が、まだ心の中で波打ち、やさしい鼓動となって体に伝わる。
***
キッチンでは、紫苑が朝食の準備をしていた。小さな香りが漂い、窓の光と混ざって家全体が柔らかく温かい。パンを焼く香ばしい匂い、淹れたてのコーヒーの香り――どれもが朝の静かな幸福を象徴しているようだった。杏奈はそっと起き上がり、彼のそばに立つ。
「……おはようございます、紫苑さん」
「おはよう、杏奈さん」
微笑む声には、昨夜の時間を経てさらに深まった信頼と優しさが込められていた。杏奈はその声を聞くだけで、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
二人は一緒に朝食を準備する。皿を並べる手、トーストをバターで軽く塗る手、コーヒーカップを置く手――すれ違うたび、自然に互いを意識する。菜央ちゃんも元気に飛び回り、陽の光に照らされながら小さな足音を響かせる。家全体に笑い声が満ち、柔らかい光と温かい香りが混ざり合う。
***
朝食を終えたあと、紫苑はふと杏奈の手を握った。しっかりとした手の温もりが、今度は甘くも力強く胸に響く。杏奈は思わず手を握り返し、その感触を全身で受け止める。心臓が少し高鳴り、胸の奥が甘く熱を帯びる。
「杏奈さん……これからも、ずっとそばにいてくれますか?」
その問いに、杏奈は少しだけ考え、でも迷いなく答える。
「はい……紫苑さん。ずっと、そばにいたいです」
紫苑の瞳が一瞬だけ潤む。微笑みと、優しさ、そして愛情が混ざった表情。杏奈はその表情を見て、胸が熱くなるのを感じた。手を握る力が少し強くなる。
「……ありがとう。俺も、杏奈さんをずっと守りたい。家族として、恋人として、すべてを分かち合いたい」
その言葉に、杏奈はそっと唇を彼に寄せる。軽く重なるだけのキスには、これまでの距離をすべて越えた愛情と安心感が込められていた。互いの鼓動を感じながら、二人は静かに、しかし確かに結ばれていることを確認する。目を閉じ、互いの存在を胸に刻みながら、穏やかな幸福感に包まれる。
***
その日の午後、三人で散歩に出かける。秋の匂いを含んだ街の空気、柔らかな光の中で手をつなぐ二人と小さな菜央ちゃん。落ち葉がカサリと舞い、遠くで鐘の音が響くたび、心の奥に静かな安心感が広がる。
杏奈は小さく息を吐き、紫苑の腕に軽く体を寄せる。
(……この人となら、どんな時間も、一緒に歩いていける)
紫苑も同じ気持ちを胸に抱き、自然に杏奈の手を握り返す。互いの目が合うたび、言葉はなくても全てが伝わる。小さな距離はもう恐れるものではなく、むしろ心を近づけるための優しい糸のようだった。菜央ちゃんの笑顔がその糸をさらに柔らかく、強くしてくれる。
***
夕暮れが街をオレンジ色に染める頃、三人は公園のベンチに腰掛ける。菜央ちゃんは無邪気に遊び、杏奈と紫苑は互いの肩を軽く寄せ合い、穏やかに笑い合う。
「……こうして、毎日が続けばいいな」
「うん……ずっと、こうして」
互いに微笑みながら手を握る。夜が訪れる前の柔らかい光が、二人の顔を照らす。過去の不安も、迷いも、すべてがこの時間の中で静かに溶けていく。杏奈の胸には、今までになく深い安心感と幸福感が広がっていた。紫苑もまた、彼女の存在を通じて心の中の温かさを実感している。
(……これが、私たちの“日常”なんだ……)
二人の間に生まれた絆は、もう揺るがない。互いの心と体を受け入れ、少しずつ重ねてきた時間は、確かな愛情と信頼の証として、静かに輝いている。
夜のウィーン。街灯の光と遠くの鐘の音が、二人と菜央ちゃんの小さな幸せを見守るように静かに響く。杏奈は小さく笑い、紫苑の手を握り返した。
「……ずっと、そばにいてくれる?」
「もちろん。これからも、ずっと」
その言葉に、杏奈は胸の奥で深く頷く。夜が静かに更ける中、三人の新しい日常が、光の中で穏やかに始まっていった。窓の外の月明かりも、二人と菜央ちゃんの未来を祝福しているかのように、淡く優しく照らしている。
***
数年が過ぎ、ウィーンの街には柔らかな春の光が差し込んでいた。杏奈は少しだけ大人っぽくなった笑顔を浮かべながら、リビングで菜央ちゃんと一緒に絵本を読んでいる。紫苑はその隣で、静かに笑いながら新聞をめくり、時折二人を見守る視線を送る。
菜央ちゃんはすでに小学校に通い始め、元気いっぱい。文字を覚えるのも早く、時折、杏奈の肩に頭を寄せて甘える仕草は昔と変わらない。杏奈はその小さな体を抱きしめながら、自然と微笑む。
「菜央、もう読める単語増えたね」
「うん! 先生が褒めてくれたから頑張ったの!」
紫苑はそっと杏奈の手を握り、目を合わせて微笑む。互いの生活の中に溶け込んだ愛情は、言葉にしなくても十分に伝わる。手を握るだけで、胸の奥に温かさがじんわりと広がり、安心感が体を包む。
(……あの頃と変わらない、でももっと深い信頼と愛情……)
杏奈も紫苑も、互いの目を見つめるだけで、これまで歩んできた時間とこれからの日々への思いが胸に溢れるのを感じる。小さな距離から始まった二人の関係は、家族として、恋人として、少しずつ確かな形になっていた。
***
午後の光が窓から差し込み、菜央ちゃんは庭に小さな花を摘みに出かける。杏奈と紫苑も自然に立ち上がり、手をつないで庭へ向かう。春の風に髪をなびかせながら、二人は何気ない日常の中で、互いの存在を心から楽しんでいる。
「……こうして一緒にいられるのが、やっぱり一番幸せだね」
「うん……杏奈さんと、菜央と、毎日こうしていられることが、一番大事だ」
紫苑の言葉に、杏奈は胸が熱くなり、自然に微笑み返す。手のぬくもりが、過去の不安や迷いをすべて洗い流してくれる。遠い日の緊張や戸惑いも、今では柔らかい思い出になっていた。
庭先の光の中で、杏奈はそっと紫苑の肩に頭を寄せる。紫苑も優しく頭を傾け、互いに軽く触れ合う。小さな家族の笑い声と温もりが、静かに春の空気と溶け合っていく。
「これからも、ずっと一緒だよね」
「もちろん。ずっと、一緒だ」
その言葉は、過去のすべての瞬間と、これからの未来をつなぐ約束。杏奈は深く頷き、心の中で確かに誓う。
(……この光の中で、私たちはずっと一緒にいられるんだ……)
遠くの街の鐘の音と、木々の葉が揺れる風の音が、家族の静かな幸福を祝福するかのように優しく響く。杏奈、紫苑、そして菜央――三人の小さな日常は、光に包まれながら、永遠に続いていく。
それから私は母に連絡をするのを忘れちゃったことに気づいてやっと返信をした。菜央ちゃんが撮影したツーショットの写メを添付して。
【私、今とても幸せなのでお見合いはしません】
まぁ、恋愛に無縁の娘だったからか驚いて使わない国際電話がかかってきたけれど。
END


