調香師の彼と眼鏡店の私 悩める仕事と近づくあなた
 小笠原様と呼ばれた彼は、笑みを深める。

「偶然ですね。もしお時間がありましたら、寄っていきませんか?」
「でも……」

 紗奈は若干躊躇していた。

(お客様から接客を受けるのって……ちょっと気まずい。外を歩いていたから汗もかいてるし、化粧も崩れてるかもだし)

 ピシッとした姿で接客していたのに、今は仕事帰りでヨレヨレだ。そんな姿を大切なお客様の前で晒すのは躊躇われた。
 もう既に見られているけれど、これ以上の失態は避けたい。

 それでも小笠原は扉を開けて紗奈を歓迎している。

「窓から眺めていたでしょう? 是非店内からご覧になってください」
「えーっと……」

 何と言って断ろうか。
 じりじりと紗奈が後退りした時、後ろから自転車の音がした。

「危ないっ!」

 小笠原の声とともに、紗奈の真後ろを自転車がものすごいスピードで通り過ぎた。
 接触はなかったものの、自転車の勢いに押された紗奈は、その場でバランスを崩して膝をついた。

「いっ……!」

 ゴツゴツとしたアスファルトが膝に刺さる。膝からはうっすらと血が滲んでいた。

「大丈夫ですか!?」
「ははは、お恥ずかしい。全然大丈夫です」

 駆け寄ってきた小笠原を手で制止ながらへらりと笑みを浮かべる。
 幸いなことに、足を捻ったりはしていない。本当にただ転んだだけなのだ。

(小笠原様に格好悪いところ見せちゃった)

 本当は顔から火が出るほど恥ずかしかったのだが、その姿を見られるのも恥ずかしく、平気なフリをして立ち上がる。
 立ってみると、ジンジンとした痛みが紗奈の顔を歪ませた。

「救急箱がありますから、こちらへ」
「あっ……」

 小笠原が紗奈の腕を引いて店内へと入っていく。
 その力は思いの外強く、紗奈は大人しく従うことにした。


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