調香師の彼と眼鏡店の私 悩める仕事と近づくあなた
「おや? 何かお悩みですか?」
「いえ、ちょっと仕事を思い出してしまって。なりたい自分というか、キャリアについて決めきれなくて」

 ははは、と笑ってみたけれど、乾いた声しか出なかった。
 紗奈をじっと見つめていた小笠原の眉がピクリと動く。

「よければお話を伺っても?」

 そう言われても面白い話ではない。それに自身のお客様に仕事の悩みを打ち明けるのは憚られる。
 けれど、柔らかい小笠原の表情をみているうちに紗奈は自然と口を開いていた。

「実は……」

 店長に推薦されて嬉しかったこと。
 将来の夢のためにキャリアアップが必要であること。
 けれど、店長になると大好きな接客が出来なくなること。
 店内の人間関係を取りまとめる自信がないこと。

 話の途中で小笠原が心地よい相づちを入れるものだから、紗奈は全てを吐き出してしまった。


「亀井さんは転機を迎えているのですね」
「そう、でしょうか。でも私なんかでは……」

 口から出た声は細く、震えていた。紗奈は慌てて口をつぐむ。
 すると小笠原がスッと白いハンカチを差し出した。

「え? ハンカチですか?」

 訳がわからず受けとると、小笠原は自分の頬をトントンと指差した。
 気がつくと、紗奈の頬には涙が一筋伝っていたのだ。

「ご、ごめんなさい!」

 紗奈は慌てて涙をぬぐう。

「謝ることはありません。泣くのは良いことですから」
「お見苦しいところをお見せしましたっ……」

(他人の前で泣くだなんてっ! 迷惑かけすぎ!)

 恥ずかしくて、申し訳なくて。紗奈は俯いて目をぎゅっと閉じた。
 このまま消えてしまいたい。

 すると頭上にふわりと温かいものが触れた。
 思わず顔をあげると、紗奈の頭を撫でていた小笠原と視線が絡む。心配そうにこちらを見つめている彼の瞳は、じっと見つめると吸い込まれてしまいそうだ。

 ほんの数秒、時が止まったような気がした。


「申し訳ありません。出すぎた真似をしました」

 パッと手を離され、頭上の熱が消えていく。
 彼の不思議な雰囲気が消え、「店員の小笠原さん」に戻っていた。

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