調香師の彼と眼鏡店の私 悩める仕事と近づくあなた
「そうだねぇ。一応本人からは、『保育園からの急なお迎え要請の際にはサポートをしてほしいけど、それ以外は皆と同じで構わない』と言われてしまってね」
「そうですか。でも無理はしてほしくないので、声をかけてみますね」
「そうしてもらえると助かるよ。僕みたいなおじさんには言いにくいかもしれないから」

 ははは、と柔らかく笑う店長は、あと数年で定年となる大ベテランだ。オールバックのグレイヘアと焦げ茶色の眼鏡がとてもよく似合っている。優しい人柄と柔らかな物言いは、店員からもお客様からも好かれているし、紗奈も信頼を寄せていた。

(配属先がこの店舗で本当に幸運だったわ。ノルマがきつい店舗もあるって聞くし……)

 紗奈が入社当時の思い出に浸っていると、店長がポンと手を叩いた。

「そうだ。亀井さんにはちょっと提案があるんだけど」
「なんでしょう?」
「亀井さんを店長に推薦しようと思うんだ」
「……へ?」

 気楽に構えていた紗奈は、店長の言葉が頭に入ってこなかった。

(今なんて? テンチョウ? スイセン? ……店長に推薦!?)

「えぇ!?」

 大きな声がバックヤードに響き渡る。紗奈は慌てて口を手でふさいだ。
 幸いなことに、この時間は店長と紗奈の二人きりだったため、間抜けな叫び声を他の人に聞かれずにすんだ。

「どっ、どっ、どうしてですか?」

 言葉につまった紗奈に、店長は笑いながら「落ち着いてね」と声をかけてくれる。

「亀井さん、今年で七年目でしょ? 仕事熱心だし、結果も出しているし、そろそろ任せてもいいと思うんだ。確か亀井さんはキャリア向上志望だったよね?」
「それは……そうですけど」

 確かに紗奈は年に一度のキャリアアンケートにそのような回答をしていた。
 けれど、急に「店長」という重い肩書きが降ってくるとは思っていなかったのだ。

 黙り込んでしまった紗奈に店長は優しく笑いかけた。

「亀井さんが嫌なら推薦はまだしないでおくよ。これを断ったらキャリア終了なんてことはないから安心して」
「あ、ありがとうございます。あの、少し考えてもいいですか?」
「勿論だよ。すぐに結論を出せる話じゃないよね。ゆっくり考えてみて」
「はい」

(店長か……)

 紗奈は悩みながら家路についた。



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