幼なじみと帰る場所〜照れ屋な年下男子は人生の設計図を描く
第3話 サクラ役うけたまわります
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啓介が私と別れたがらないのは何故なのか。
粘着される意味がわからなかったけれど、出社したくないという私の気持ちはより強固になった。
だって、怖い。
相手は同期だ。役職も対等。実務能力的に負けている気はしない。だけどそういうことじゃなかった。
私が女だから。あっちは男だから。
標準の体格や筋力が、そもそも違うのだった。もし啓介がキレて暴力に走ったら、誰かが止めてくれる前に私は怪我をするか殺される。
女だというだけで人類の半分を警戒して暮らさなければならないのが、この世の真理。
だからこそ信じられる人と心を通わせていたいのに。どうしてこうなった。
数年前に啓介を選んだ時点へ戻れればと願った。今では人生の汚点と感じているミスを修正したかった。
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私はノートパソコンを持参し、ちょくちょくカフェ〈laurel〉に顔を出している。リモートでの会議がない時だけではあるけど。
居心地がいいのでと言い訳した私に、桐谷のおばさんはサクラになるからちょうどいいと言ってくれた。
「若い女の子が居着いてるなんて、すごくカフェっぽいわあ。ねえねえ、こう……SNS? そういうので宣伝とかできる?」
「えーっと。私じゃなんの拡散力もないですけど。載せてみるぐらいなら」
にこにこされて私もホッとする。仕事を持ち込むのはやはり気が引けるものだから。
会社と違い、私もここにいる時は作業着じゃない。女の子枠で考えてもらえたのが少し嬉しかった。
(じゃあなるべく華やかに……でも駄目だわ、シンプルな服しか持ってない)
私は自分を見下ろして腕組みしてしまう。ふんわりヒラヒラした雰囲気は自分に似合わない気がして避けていたけど、カフェのサクラならそういう路線も取り入れるべきだろうか。
「……あの、私でお客さんなんて呼べますか?」
「何言ってるのよ。由依ちゃん可愛いもの。子どもの頃は悠真の憧れのお姉さんだったしねえ」
「ふぁっ!?」
「あらやだ。こんなことバラしたなんて、悠真に怒られちゃう。内緒ね」
とんでもない発言をなかったことにして、おばさんはカウンターに引っ込んでしまった。
(ど、どどど、どういうこと?)
私が悠真の憧れ? ううん、ただ一緒に登校していただけだし、中学では一年間の先輩後輩でしかなかった。高校以降は会ってもいない。
おばさんがそう思い込む何かがあったのかもしれないけれど――悠真本人に確かめるのは。
(……そんなの絶対できないわ)
照れ屋の悠真のことだもの、真っ赤になって絶句するに決まっているのだ。
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「――高梨さん、現状どうです?」
部長に訊かれたのは、社員休憩室の隅で行われたラフな面談の時だった。
現状、というのは増やしたリモート勤務のことだけじゃないだろう。神崎啓介との関係性はどうなったかが本題だと思う。それ次第では普通勤務に戻した方が業務がやりやすいのだから。
「仕事に関して言えば、やはり不便は感じます。私の所属チームも実験中ですし……出社して実験室にこもろうかな、と思うことも」
「ははは。そうかー、つまり神崎くんと顔は合わせたくないんだなー」
「まあ、そうですね。ヨリを戻せ、とかの脅すような口ぶりもありまして。警戒しています」
「ああ……それは嫌だろうね。あっちがヘタ打ってると俺ですら思うわ」
乾いた笑いで困り顔。五十代男性の部長は意外と話しやすい。女性にも気をつかってくれて助かるのは、娘さんがいるからかもしれなかった。
「いやあ神崎くんさ、最近ポカが多いんだよ。期日に資料出来上がってなかったり、連絡ミスしたり」
「それは……」
そういう業務、私が押しつけられていましたから。口にするのは自粛した。
でも啓介の業績は、そんな雑務を省いた時間を利用して成されたもの。彼の効率の良さをお膳立てていたのは私だ。
その歪みは別れからの短期間で表面化しつつあるのだった。
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個人経営のカフェなんて、店内がガラガラだと入りづらいものだ。というわけで、私のサクラ席は外からチラリと見える場所が指定された。
サクラ代はコンセント使用可なことと、ドリンクおかわり無料。破格の待遇だと思う。
「すっかり常連じゃないか。まいどあり」
たまに会う悠真には笑われる。でもその笑顔はからかうようなものではなく、私の来店を心から喜んでいるようだった。
はち合わせるのは悠真が遅出の時か、悠真も在宅の時ぐらい。互いにリモート勤務になると隣のテーブルに座り仕事をする。
そっとパソコン越しにのぞく悠真の横顔は、集中して唇を結んでいたり、上を向いてぼうっとしていたり――それを見てなんだか和むのが不思議だ。でも盗み見に気づかれると、さすがに気まずかった。
「……ん? どうした?」
「なんでもないよ」
私は笑って首を振る。悠真の隣では何も怖がらなくていいのだった。
だけどそんな穏やかな時間に会社からの通知が割り込んだ。
「あれ」
緊急の会議の連絡。三十分後、と。議題によるけど発言の可能性もあるのでカフェからは参加できない。私はため息をついた。
「……仕方ない、家に帰るわ」
「何かあった?」
「会議だって。面倒な話じゃないといいな」
パソコンを閉じ、残りのカフェオレを飲み干す。悠真はその右手を一瞬伸ばしかけてためらった。ごまかすように髪をかきあげる。
「あんまり根詰めるなよ」
「悠真こそ」
「……だな。気をつける」
私はバッグにパソコンをしまうと、おばさんに「ごちそうさまでした」と声をかけお会計をする。
店のドアを開ける時に振り向くと、悠真が微笑みを返してくれた。
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「不具合が出ました」
その絶望的な報告に、会議がため息に包まれたのがイヤホン越しにもわかった。
画面に共有された資料の冒頭でもう、私は頭を抱える。
(啓介の製品じゃないの)
先日開発完了会議にかけ承認されたはずの製品だ。まだ生産中で実売はしていないはずだが、どうしたというのだろう。
詳しく報告を読んでみれば、工場で組み立てたものがスペック通りに駆動しないらしい。
(なんでそんな――)
設計。試作。耐久試験。
別チームの私は直接関わっていない。だけどしょっちゅう手伝わされていたし、無関係を決め込む気にはなれなかった。手元に残る資料をあさった。
「原因は調査中ですけど……」
「部品の規格選定に問題なかったですかね……」
「その可能性が高いか……」
いろいろな声が飛び交う。そこに混じった言葉が誰のものか、名乗られなくてもわかった。
「工場の問題じゃないんですか。こっちは手順踏んでやったんですよ」
啓介。なんて無責任な言い方だろう。
でも思い返せば彼はそういう人だった。
後輩に対しては指導が丁寧に見えるけど、実際の作業は人任せにしがち。チェックが甘く、彼の作図にミスを発見し私が差し止めたこともあった。
「指示書の通りに組んでますよ!」
抗議の声を上げたのはリモートで参加していた工場のライン責任者だ。
「本社から講習しに来てもらった時にも合格もらってますしね。ああ、来たのは神崎さんじゃなかったですけど!」
「じゃあその時出張した奴のチェック不足です。誰でしたっけ――」
「神崎くん」
啓介のへらず口を制止したのは部長だった。
「だとしても、君はチームの中心だったはずだよ。責任を持ってくれないと」
それに対する啓介の声はマイクが拾わなかった。何も言わず、ふてくされていたのかもしれない。そういう人なのだと思うとため息がとまらなかった。
おかしいね。以前はこんな人の背中を信じていたなんて。
馬鹿だった自分を思い返し、ギュッと胸が締めつけられた。
紛糾した会議が終わって、私はどんよりしながらも覚悟を決めた。明日からはしばらく出社せざるを得ないだろう。
「――〈laurel〉のサクラ役はお休みかなぁ」
そのことが、すごく寂しい。
カウンターのお客さんとおしゃべりするエプロン姿のおばさん。おじさんの淹れるコーヒーの香り。
――そして、悠真の控えめな笑顔。
あの空間に帰りたい。
そう感じてしまったことに私は戸惑った。