幼なじみと帰る場所〜照れ屋な年下男子は人生の設計図を描く
第4話 執着されるなんて最悪!
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翌日、出社した私から啓介は目をそらした。不手際を追及するために来たと思われたのだろう。
バツが悪いのはわかるけど事実を受けとめてほしい。個人のミスを攻撃するよりも、今は製品を無事に発売するのが優先事項だと私は考えているのだけれど。
不具合が出た製品の設計図、仕様書。資料を切り替えながら、私は文字と数字とにらみ合う。
「――あ」
しばらくして気づいた。
いくつかの部品で、当初指定されていた部材と工場に納品された部材のグレードが違う?
「部長」
私はその発見をそっと部長に報告した。まずは事を荒立ててはいけない。この取り違えは意図的なものなのかミスなのか、誰がやったことなのかもわからないのだから。
「うん……確かに別物だ。品番の一文字違いじゃないか。高梨さん、よく気づいたね」
「はあ、まあ。ラッキーでした」
謙遜したが、実はこれ、運なんかじゃない。
この部材の選定にあたって性能調査データを計算したのは何を隠そうこの私だ。啓介に押しつけられて、ね。
その経験から考えるに、実機の状態は推奨条件ぎりぎり。わずかな環境の差で不具合を起こす物が出るのは当然だった。
「じゃあ、まずはこのセンを調査しよう」
「お願いします」
頭を下げ、私は自席に戻った。それを――軽く青ざめた啓介がひっそり見つめているのがわかった。
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「由依?」
夜遅く、電車を降りた私は駅前で声をかけられた。やさしい声。振り向くと思った通り、それは悠真だった。同じ電車だったのかもしれない。
はにかみながら小走りで来る悠真。私の肩から力が抜ける。
「由依も今帰りか。わりと遅いんだ」
「今日はちょっとね」
隣に並んだ悠真は「ん?」と一拍考えうなずいた。
「緊急の会議って言ってたやつのせい?」
「そ。でも平気。取っかかりは見えたかも」
「おお、仕事早いな」
笑ってくれるまなざしに、胸がきゅ、とした。そのことに驚く。
(――え)
自分のことなのに真顔になった。
待ってよ、悠真相手にそんな――どうしちゃったんだろう私。
(……でもそっか。今日はいろいろ緊張してたし。気がゆるんだのよ、きっと)
自分に言い訳をしてみた。ご近所の年下男子なんて――駄目だよね?
「俺はクライアント待ちだったんだ。ほら、自宅の新築なんかの依頼だと、先方の仕事が終わってから打ち合わせになるだろ? 夕方以降が多いんだ。それか週末」
「へえ。大変そう」
悠真は普通に話している。私だけが妙に意識するのはよくないよね。深呼吸して心を立て直した。
「悠真って、本当に仕事してるんだね。子どもの頃しか知らなかったから新鮮だわ」
「ひでえ。それはお互いさまなのになあ」
文句を言う口調は昔のまま。
でも今の悠真は私より頭ひとつほど背が高く、胸板は厚く、声はバリトンだ。さらに女性を気づかうことまで覚えたらしい。
「家まで送ってく」
別れるはずの角でそんなことを言われ、私は思わず顔を赤らめた。
「……いいよ、すぐそこだし」
「すぐそこなんだから行くよ。由依っておとなしく見えるから、なんか心配なんだ」
有無を言わせず、悠真はついてきてくれる。
それがただ幼なじみへの配慮にすぎないのはわかっているのに――私は頬がゆるむのを抑えられなかった。
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「部品を上の規格に戻せば解決できるってことですよね」
「おそらく不具合そのものは解消します」
「じゃあそうするしかない。受注は一時停止してるけどユーザーの期待も高いんだぞ」
「それはコスパのおかげだろうが!」
不具合についての検証会議は紛糾していた。
特に生産管理部の担当が渋い顔。コスト計算は試作機の部材ではなく、取り違えた資材でなされていたからだ。
「今さら価格設定を変えるのか……」
うめきたくなるのは全員同じだ。
高規格で計算されたカタログスペック。低規格ベースの価格。どの時点で誰がそんな入れ替えをやらかしたのか。宙に浮く部品のことを考えれば単純に損金も発生している。
部長がため息と共にしぼり出したのは、ヤケクソのセリフだった。
「もう関税でも円安でも石油高騰でも言い立てて、価格改定するしかないだろ。発売前だってのにな」
「部長、落ち着いて下さい」
私はさすがに横から口を出した。苦笑いになった部長が手をヒラヒラして告げる。
「……わかってるよ。仕方ない、皆さん規格を戻して発注し直す場合の試算、及び生産工程のリスケに動いて下さい!」
会議後、私は淡々と業務に戻った。
元々あれは私の担当する製品ではない。処理方針が決まったなら後は啓介たちが責任を取ってくれないと困るのだ。私には私の仕事があるし。
だが終業後、着替えた私がエレベーターに乗ろうとすると、いきなり腕を引っ張られた。
「きゃ――」
「ちょっと来いよ、由依」
それは啓介だった。まだ作業着のままなのは、さすがに残業やむなしだからだろう。
啓介は私を廊下の隅まで引きずっていくと低く押し殺した声で言う。
「なあ、いいかげん意地張るのやめないか」
「――え?」
私は怯えを隠しながら問い返した。何を言ってるの、この人。
「まだ俺のこと好きだろ? 悪かったよ、俺もちょっと忙しくてかまってやらなかったよな。由依がいなくなってわかったんだ。俺にはおまえが必要なんだって」
ひと息に告げられて、私はあきれ果てた。
(私が? 啓介のことを? 好き?)
その薄ら寒い自信はどこから来るんだろうか。
啓介の目の下には疲労の影が濃い。彼の言う「必要」とは翻訳すれば、「私のサポートが必要」という要求にすぎなかった。私なしでは仕事が回せないだけのくだらない男なのだ。
人の話し声と足音が近づくのがわかった。今なら逃げられる。間をみはからって私は冷ややかに告げた。
「馬鹿言わないで。あなたなんか、お断りよ」
啓介の表情が歪んだ。その腕を振り払い、エレベーターホールに走る。退勤する人々の間に駆け込んだ私を、啓介は見送るしかなかった。
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電車を降りた私は、夜の駅前でそっとあたりを見回した。
また悠真がいないか無意識に期待したのだと思う。自分の心があさましくて眉間にしわが寄った。
(馬鹿――あんな偶然そうそうないでしょ)
でも、こんな日こそ悠真に会いたかった。
啓介に迫られたことは鮮明な恐怖として私を揺さぶっている。改札では定期をタッチする手がふるえた。泣きそうなのを必死にこらえて帰ってきたのだ。
(悠真――助けて悠真。怖いよ)
一人で歩きながら背後の足音にビクビクした。残業中の啓介が追ってくるはずもないのに、怯えてしまうのはどうしようもなかった。
(――〈laurel〉、寄ってみようか)
思いついて時計を確認する。もうすぐ閉店だ。
(明日からリモートを増やせるから。その挨拶だけでも。サクラ役に復帰します、てお知らせしに行くだけ)
言い訳を探しながら私の足は速くなる。自宅への角を曲がらずに、カフェへ向かってしまった。
――カランカラン。
ドアチャイムに振り向いたのは、もうカップやお皿を棚に片づけているおばさん。そして――テーブルを拭いている悠真だった。
「由依?」
「あ、あの……」
変な時間にあらわれた私に、悠真は目をみはった。私はいきなり恥ずかしくなって口ごもる。でも悠真は心配そうに私の顔をのぞき込んてくれた。
「仕事帰りだよな? 何かあった? ひどい顔してる」
「あ……そう、かな」
「まあ悠真! 言い方!」
キッチンからおばさんの叱責が飛んでくる。
「女の子に『ひどい顔』はないでしょ。あんたいっつも由依ちゃんのこと可愛いって言ってたくせに」
「ちょ、いつの話だよ!」
悠真が振り向いて抗議する。おばさんは平然と答えた。
「小学校に入ったばっかりぐらい? 登校班の由依ちゃんをお嫁さんにしたいってお目々キラキラさせてねえ」
「黙っ……! 二十年も前のことバラすなよっ!」
ぼう然とする私の前で、真っ赤になった悠真は肘で顔を隠しそっぽを向いてしまった。