根暗な貴方は私の光
子供の元を離れてどれほど歩いたのか分からない。長らく歩き続けていたせいで足の裏が痛みを発してきた。しかし立ち止まるわけにはいかず、少しでも自身の家から離れられるよう遠くの世界を目指した。
辺りを見渡せば笑顔を浮かべる人々がいる。紬からしてみれば侮辱以外の何物でもない笑顔。
町人達の話し声で騒がしい町であるはずなのに、やけに強い寂しさが紬の胸を焼いた。
「紬?」
不意に呼び止められ立ち止まる。現実から目を逸らすために足元に落としていた視線を前に向けた。
ワンピース型の黒いセーラーの制服を身に纏い、丁寧に編まれた三つ編みを両肩に乗せた可憐な少女。自身が通っていた女学校で一番と言っていいほど仲が良かった稚春が紬の視線の先に立っていた。
「何をしているの? その格好……」
「稚春」
紬がその名前を口にすると、名を呼ばれた少女は目を見開いて紬を見つめる。
桜の匂いが混ざった風が紬の頬を撫で、稚春の制服の裾を靡かせた。本来なら今この瞬間自分も着ていたであろう女学校の制服。そんな制服は捨てた家の襖の奥底に眠っている。
嗚呼、羨ましい。今もまだ制服を着られる貴方が変わらず可愛いままの貴方が。
「私、疲れちゃった」
「紬……ねえ、どうしたの?」
「もうね、お母さんの目に私が映ることはないの。あの家にもこの世界にも私の居場所はない」
「何を言っているの? ねえ! 紬!」
窶れた笑みを浮かべる紬には、今の稚春がただ妬ましいとしか思えなかった。両親が生きていて学校に通えて、制服を着て身なりを整えられる。将来を夢見ることができて、理想の相手ではないとはいえ夫婦になることが決まっている殿方がいる。
稚春は紬に無いものを全て持っていた。本来ならば自分も持っていたはずのもの、それらを全て失った紬にとって明日などなかった。
「友達になってくれてありがとうね。私、稚春のこと大好きよ」
震える声でそう吐き捨てれば、ふっくらとした桜色の唇を強く噛み締めた稚春が走り出す。
真っ直ぐと紬に向かって駆けた稚春は、走ってきた勢のまま紬に抱き付いた。
「いきなり学校に来なくなったと思ったら別れの挨拶? 巫山戯ないでよ!」
震えていながらも強く心を持った稚春の凛とした声が辺りに響いた。周囲にいた人々が何事かと様子を伺っている。
それでも周囲の目など無いことのように扱う稚春は、締め上げるように紬の身体を抱き締めた。
「素敵な殿方を見つけて、互いに幸せになろうって……約束したじゃない!」
目の前に掛かっていた霧が晴れたようだった。稚春の叫びが紬の心の奥底にあった扉を押し開ける。
そうだ、そうだった。約束した。親友といつか幸せになろうと、約束したのだ。
「ええ、ええ! なる、幸せになる!」
失いかけていた光を取り戻すには、やはり傍にいてくれる存在が必要であった。
紬にとってのその存在は、親友であった稚春だったのだ。
辺りを見渡せば笑顔を浮かべる人々がいる。紬からしてみれば侮辱以外の何物でもない笑顔。
町人達の話し声で騒がしい町であるはずなのに、やけに強い寂しさが紬の胸を焼いた。
「紬?」
不意に呼び止められ立ち止まる。現実から目を逸らすために足元に落としていた視線を前に向けた。
ワンピース型の黒いセーラーの制服を身に纏い、丁寧に編まれた三つ編みを両肩に乗せた可憐な少女。自身が通っていた女学校で一番と言っていいほど仲が良かった稚春が紬の視線の先に立っていた。
「何をしているの? その格好……」
「稚春」
紬がその名前を口にすると、名を呼ばれた少女は目を見開いて紬を見つめる。
桜の匂いが混ざった風が紬の頬を撫で、稚春の制服の裾を靡かせた。本来なら今この瞬間自分も着ていたであろう女学校の制服。そんな制服は捨てた家の襖の奥底に眠っている。
嗚呼、羨ましい。今もまだ制服を着られる貴方が変わらず可愛いままの貴方が。
「私、疲れちゃった」
「紬……ねえ、どうしたの?」
「もうね、お母さんの目に私が映ることはないの。あの家にもこの世界にも私の居場所はない」
「何を言っているの? ねえ! 紬!」
窶れた笑みを浮かべる紬には、今の稚春がただ妬ましいとしか思えなかった。両親が生きていて学校に通えて、制服を着て身なりを整えられる。将来を夢見ることができて、理想の相手ではないとはいえ夫婦になることが決まっている殿方がいる。
稚春は紬に無いものを全て持っていた。本来ならば自分も持っていたはずのもの、それらを全て失った紬にとって明日などなかった。
「友達になってくれてありがとうね。私、稚春のこと大好きよ」
震える声でそう吐き捨てれば、ふっくらとした桜色の唇を強く噛み締めた稚春が走り出す。
真っ直ぐと紬に向かって駆けた稚春は、走ってきた勢のまま紬に抱き付いた。
「いきなり学校に来なくなったと思ったら別れの挨拶? 巫山戯ないでよ!」
震えていながらも強く心を持った稚春の凛とした声が辺りに響いた。周囲にいた人々が何事かと様子を伺っている。
それでも周囲の目など無いことのように扱う稚春は、締め上げるように紬の身体を抱き締めた。
「素敵な殿方を見つけて、互いに幸せになろうって……約束したじゃない!」
目の前に掛かっていた霧が晴れたようだった。稚春の叫びが紬の心の奥底にあった扉を押し開ける。
そうだ、そうだった。約束した。親友といつか幸せになろうと、約束したのだ。
「ええ、ええ! なる、幸せになる!」
失いかけていた光を取り戻すには、やはり傍にいてくれる存在が必要であった。
紬にとってのその存在は、親友であった稚春だったのだ。