根暗な貴方は私の光
第一章 決断

花びら

 それまで当たり前のようにあった何気ない日常が壊されたあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

「紬! 学校遅刻するわよー!」
「ごめーん。もう少しだけ待っててー」

 はきはきとした明るい少女の声が聞こえ、壁掛け時計に目をやる。と、すでに家を出ないと遅刻してしまう時間に差し掛かっていた。
 姿見の前から玄関先に向かって叫ぶと、誰かが玄関扉を開く音が聞こえた。
 結んでいた途中の髪を無理矢理一つに束ねて、歪んでいた制服のリボンを整える。傍に置いていた鞄を引っ掴むと忙しなく部屋を出て廊下を走った。
 玄関口に向かうと、同じワンピース型の黒い制服を着たおさげの少女が玄関扉の前に立っている。

「もう、また寝坊したんでしょう」
「ごめんってば、稚春(ちはる)。課題が終わらなかったのー」

 丸い顔を一層丸くして怒りを露わにする彼女は、同じ女学校に通う数少ない友人である。毎日紬の家まで迎えに来てくれて、共に学校へと向かうのだ。
 この日も普段通り寝坊したことを稚春に叱られながら黒いローファーを履くと、不機嫌そうな彼女の後を追って家を出る。
 玄関から一歩外に出ると爽やかな桜の匂いが鼻腔を掠めた。

「本当、いつになったら学習するのかしら」
「気を付けてはいるのよ。ただ、どうしても手につかないと言うか……」
「紬って焦らないと何もできないわよね。そんなんじゃ、いつか絶対に困るわよ」

 綺麗に束ねられたおさげを揺らしながら稚春は説教を垂れる。気が強く真面目な稚春は、いつもこうしていい加減で不真面目な紬に説教をするのだ。毎朝毎朝互いに懲りずに似たような会話を繰り返す。
 正直、面倒くさいと思うことは多々ある。けれど、稚春の説教は本気で紬の身を案じてのものだと紬は理解していた。友としての愛情からの説教であるから面倒ではあっても不快ではないのだ。

「特に殿方を見つけた時なんかはね」
「えっ、殿方って……。稚春、もしかして!」
「ええ、そのもしかしてよ」
「嘘、抜け駆け!? 稚春だけは味方だと思っていたのに!」
「この時代の女子は早く殿方を見つけるのが何よりも重要。ぐずぐずしているとあっという間に置いて行かれてしまうのよ」

 紬にとっては耳が痛い話題だが、殿方に関する話をしている間の稚春は随分と楽しげだった。
 気が強く、常に眉間に皺を寄せている稚春もこうして見れば何処にでもいる恋する乙女である。
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