恋するだけでは、終われない / 悲しむだけでは、終わらせない
第一章
第一話
扉が開くと、まず白い両腕が現れた。
「廊下を、走りませんよ」
「はぁ〜い!」
そんな小学生みたいな会話が、軽快にかわされると。
休日なのに『制服』を着た先輩が、その姿を見せる。
彼女は『抑圧』から解放された喜びから、満面の笑顔を僕に見せると。
僕も心の底から、安堵してほほえみ返す。
……はずだった。
学園祭の、代休日。
僕は、総合病院の待合室で。
非常に落ち着かないときを、ひとり過ごしていた。
ようやく、三番診察室の扉が開く。
するとこれ見よがしに、白い腕がチラリと見えて。
……と、ということは。
ろ、朗報だ。
腕の怪我とは、ついにきょうでオサラバだ。
だから、僕は。
「先輩、よかったですね」
ほかにも珍しく、気の利いたセリフでも伝えようとしていたのに……。
……波野姫妃が、険しい顔をしながら早足で近づいてくる。
「お・ま・た・せ」
一応これは。え、笑顔だ。
でも『作り笑顔』が、そこにある。
「先輩、よかったで……」
「ちょ〜っと、待って!」
ギプスが外れたばかりの腕と、その先の人差し指が。
意志を持って、真っ直ぐに僕に伸びてくるけれど。
あの……そんなに急に、動かして。
痛く、ありませんか?
「いいから! で。だ・れ?」
「う、海原昴ですけど……」
ま、まさか! 僕の名前を忘れたのか?
あぁ、せっかく腕が治ったのに。
また別の病気に、なってしまったとか?
「あ・の・ね、そんなわけないでしょ!」
「へっ?」
人差し指の先端が、さらに僕との距離を縮めてくると。
先輩のとは別の、慌てた声が。
僕の隣から、聞こえたかと思ったら。
「し、失礼しました。わたしはこれで……」
僕の『隣』に座っていた女子が、それだけいうと消えていく。
「……で。だ・れ?」
波野先輩が、いまさら人差し指を。
パタパタと走り去る、その子のうしろ姿に向ける。
なんだ……。
初対面だから、指差すのをためらっただけか。
「海原君、当たり前でしょ! わたしは常識人な・の!」
先輩には、あまり似つかわしくない言葉だけど。
ここは争わずにスルーしよう。
で。えっと、あの子は……。
「三組の女子です。お弁当を届けにきたとかで」
「だ・れ・に?」
誰かと聞かれても、そこまでは知りませんけど……。
「少なくとも、僕じゃないですよ」
「あっ、そ。それならさ・あ!」
波野先輩は、続いてなにかいいかけたのだけれど。
「姫妃、どうかしたの?」
診察室で、引き続き話していた先輩のお母さんが。
ここでようやく、合流してくれた。
「なんでもない! 会計わたし『ひ・と・り・で』いくね!」
先輩は、そういうと。
僕に手持ちのカバンを押し付け、やや大股で歩いていく。
「……しばらく固定していたのに。腕、痛くないのかしら?」
波野母は、そう娘を心配したあとで。
「それで先ほどの女の子は、どなたなの?」
しっかり見ていましたよと、僕に『圧』をかけてきた。
「……そうですか。お弁当を、ねぇ」
やや鋭い目で、僕を見ながらも。
先輩のお母さんは、それ以上は追求してこない。
もっとも、本当に偶然会っただけなので。
それ以上僕も、説明のしようがないけれど……。
でも、さすが大人だ。
先輩と違って、終始落ち着いている。
「あの、それで。ひ、額の傷は……」
「あら、ほかの女子と喋っている割には。娘のことも、気にかけてくれるの?」
……訂正しよう、さすが大人だ。イヤミもキツイ。
「まぁいいわよ。あと半年は、かからないいでしょうって」
「まだ、そんなに……」
「最長でのお話しよ。経過は順調ですし、もし跡が目立つとしたら……」
な、なんですか?
その、会話の『ため』は?
「……とっても近くで見つめ合うときくらいじゃ、ないかしら?」
「そ、そうなんですか……」
「まぁ、『そのとき』がきたら。確かめられるでしょう」
波野母が、なにかとても。
恐ろしいことを、口走った気がしたけれど。
……ちょうどそのとき、先輩が戻ってきた。
「チャラ男君、なに話してたの?」
一瞬ひるんだ僕よりも、先輩のお母さんが先に。
「海原君が。あなたの額の怪我が治った暁には、姫妃と近くで……」
と、とんでもないことをいいかけて。
慌てて、僕は。
「そういえば! ぶ、部長のお見舞いもいってきました!」
報告し損ねていた、業務連絡を割り込ませる。
波野母が、つまらなさそうな視線を僕に送るけれど。
やっぱり大人は、気が抜けない……。
……文化祭の準備期間中に、校門から続く並木道の立て看板が倒れて。
演劇部の部長、それに波野先輩が怪我をした。
骨折した部長は、固定の必要があっていまだ入院中なので。
僕は待ち時間を利用して、ひとり病室を訪れていた。
彼女は、どこかから文化祭締めくくりのステージ動画を手に入れたらしく。
「これは……役者冥利に尽きる!」
舞台に立っていなくても、とても喜んでくれていた。
「ぶ、部長……」
波野先輩は、そういって軽く言葉につまってから。
「よし! いまから。もう一回会いにい・く・よ!」
そう、僕に宣言したのだけれど。
「いえ、でも。この時間は確か……」
「な・に?」
「確か三階で、入浴中ですけど?」
「えっ……」
「なんですって?」
……えっと。
僕はただ、知りえた事実を。述べただけなんだけれど。
「なんで女子高生の、入浴時間とか知ってんの!」
「いえ、四階のお風呂が調子が悪いらしくて。ちなみに男湯は二階らしいです」
「海原君……。そういう問題では、ないのよね……」
どうもきょうは、旗色が悪いのか。
またしても波野母娘に、冷たい目で見られてしまった。
……支払い待ちの番号が、呼ばれると。
「わたし、いってくる!」
両腕が使えて、余程うれしいのだろう。
先輩がスキップするように、窓口に向かっていく。
病院でお金を払うだけなのに、あんなにうれしそうにする女子高生なんて。
きっと世の中に、そうそういないはずだ。
「それにしても海原君。あなた本当に『平気』なの?」
「あの……なんですか、その強調部分は?」
「それはまぁ。放送部のお妃さま『たち』のことかしら?」
あぁ、聞かなきゃよかった……。
「お、お見舞いと。ギプスが外れるという、『節目』でしたので……」
一年生にして、流れで放送部長を拝命した僕は。
我が『丘の上』高校の、妙なしきたりによって。
部長会の委員長兼、文化祭と体育祭の実行委員会の総まとめ役でもある。
だからお見舞い等は、ある意味で『公式行事』なので……。
「……あら。随分と、他人行儀ですこと」
「えっ……」
「娘を人として見ていないということだけは、理解しましたわ」
「え、ええっ……」
澄ました顔で、先輩のお母さんが僕を見る。
「とはいえ、いまは娘が『独占』しているんですものねぇ……」
「へっ?」
「まぁ、せいぜい『修羅場』を楽しみなさい」
「えっ?」
「これからもお付き添い、よろしくお願いしますね」
そういうと、波野母は駐車場に先に戻ると告げて歩き出す。
「……お待たせ海原君。あれ、ママは?」
「えっと、車を取りにいくと……」
「あ、じゃぁ帰りも。うしろに並んで、座れるね!」
し、しまった……。
電車で帰ると、伝え損ねた……。
それから、結局。
僕は途中で遅めの昼食も、ご馳走になってしまって。
お店でも先輩は、僕の隣に座るとゴネたけれど。
それはなんとかして、お母さんの隣に押し戻した。
「……ねぇねぇ! 二階、見てみたい?」
通学に使う乗り換え駅近くの書店は、波野家の店舗兼自宅で。
と、ということは……。
「そこって、先輩の部屋ですよね……」
「あら! リビングのつもりでいったのにねぇ、姫妃?」
「ねぇ〜ママ〜。海原君が、意外と積極的で困っちゃう〜」
な、なぜそんな話しに……。
「か、帰りますっ! 勉強あるので!」
「つまんないのー」
「次回は二週間後ですけど、どうなさる?」
「えっ……」
「通院、あと半年かかるってお伝えしたでしょう?」
「ぜ、ぜんぶ付き添うんですか……?」
「それがなにか?」
「毎回ただ待合室で座って、お昼をご馳走になるわけには……」
「あら。それならドクターいわく『お身内』になれば、診察室にも入れるそうよ」
うぉぉぉ……。
な、波野母が。とんでもなく暴走している。
「ちょ、ちょっとママ!」
「なにかしら、なにか問題でも?」
幸いにも、娘のほうが先に慌て出して。
「もうきょうは帰っていいから、ね! 海原君!」
なんだか先輩が、混乱したのか。
こうして僕を、解放しれくれた。
……どうにか、心臓に悪い付き添いが終わり。
ゲッソリしながら、僕は始発列車の座席に座る。
それから、連日の疲れか。
さすがに眠くなって、ついそのまま……。
……ふと、気がつくと。
誰かが、僕のヒザをつついている。
……って、えっ!
高尾先生の、お父さんじゃないですか!
「久しぶりじゃ。元気か?」
「若干、お疲れです……」
「そうみたいじゃから、寝かせておいた。ほれ、次が降りる駅じゃぞ」
「あ、ありがとうございます」
「なんのなんの。なんならこのまま、ウチで酒盛りでもするか?」
その、『ウチ』とは。
夏休みに僕たち放送部の合宿場として、お世話になったあの場所の。
副顧問でもある、先生のご実家でもある神社の。
いったい『どこ』を指すのだろう?
まぁ、飲んだくれ。
もとい、宮司のことだ。
「なんなら、社務所じゃのうて。本殿で飲み明かしてもいいんじゃが?」
……やっぱりそうか。
いつかバチ、当たりません?
あと僕、まだ高校生ですよ?
ただそんな正論が通用する相手でないのは、すでに十二分に理解しているので。
「いえ、ちょっと寝不足が続いているので……帰ります」
無難な理由で、僕は誘いを断る。
「つまらんの〜、まぁ、長生きせいよ。ニンニク醤油がオススメじゃ」
宮司は、そういってからふと思い出したようで。
「お、そうそう。おでこの女の子は、どうなった? いま、病院帰りじゃろ?」
いきなり、すごくナチュラルに聞いてきたけれど。
そもそもどうしてそんなこと、知ってるんだ……?
僕の答えも聞かずに、宮司節は勝手に続いて。
「もし落ち込んどったら、神社にくるといい」
そういって、ニコリとする。
えっ?
もしかして、割引価格で。ご祈祷でもしてくれるんだろうか?
「いや、原の婆さんを見習うんじゃ」
「へっ?」
今度は、境内で何百年か生きてるという。
参道のお社住まいの、原さんの話しですか?
確かに僕もこの夏、何度かお会いしたものの。
いったい波野先輩と、どんな関係があるのだろう?
「ほれ、あの婆さんは。両目がなくなっても、百年以上元気じゃからな!」
偶然横をとおり過ぎた車掌が、ギョッとした顔で僕たちを見る。
さすがにそんな原さんと、一緒にしたら……。
波野先輩、嫌がりそうだけどなぁ……。
「そうそう。そうやって笑っておくんじゃ青年。では、さらばじゃ!」
これはその、苦笑いなんだけれど。
そんな小なことなど、気にならないらしく。
僕は一応、起こしてくれたお礼を伝えてから列車を降りる。
宮司は車内からご機嫌に、合掌しながら僕を見る。
物の本によれば、神職が合掌することもあるらしいけれど。
僕はそれよりも、あの高尾先生の家だけに。
なんだか、極楽いきを祈願されていそうで……。
少しだけ、不安になった。
「……『婿殿』はのぅ、笑っとけばいいんじゃ」
そんな宮司のひとりごとを、僕は聞いてはいないけれど。
それでもあえて、記すとすれば。
「笑顔で、早いとこ誰か選んどけ。ダメなら娘を、くれてやるぞ」
……あぁ。やっぱり、聞こえなくてよかったようだ。
「……なんか、急に寒気がしたんだけど」
「響子、風邪でもひいた?」
……今朝買ってきたパンに、たっぷりのジャムをつけながら。
隣の部屋で暮らす親友・藤峰佳織がわたしを見る。
「響子のお父さんがどこかで、軽口でも叩いてるんじゃないの?」
「まだ夕飯前よ? さすがにご祈祷のひとつくらいして……ないかもねぇ……」
父が一応、宮司らしいことくらいはしているだろうと。
わたしは寒気が、気のせいだったんだろうと思うことにする。
「代休は、平和でいいよねぇ〜」
佳織と午前中は、買い物をして。
お昼からはずっと、大好きなパンをつまみながらおしゃべりをしている。
誰にも邪魔されない、仲良しふたりの休日。
お互いに、これはこれで大好きなのだけれど……。
ちょうど、互いの目が合った。
「……じゃ、例の『アレ』。ちょっと考えよっか?」
「ほんと、校長も人使い荒いよねー」
『あの頃』の、放送部気分の抜けないわたしたちには。
いまは、元顧問から出された『課題』がある。
そしてそれに『一緒に』、取り組むのは……。
「ねぇ、響子?」
「なに、佳織?」
「あの子たちがいない日って、さぁ……」
「ちょっとだけ、暇だよね〜」
……このときの、わたしたちは。
楽しみとか、期待とか、希望とか。
そんな、前向きの気持ちだらけの未来を考えていた。
だから、もちろん。
海原君たちが。
この先、悲しい思いをするなんて。
……これっぽっちも、考えていなかった。
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