旦那様は公安刑事

第十一章 国家と愛の狭間

 夜の都心は、無数のネオンに照らされながらも、どこか不気味な静けさに包まれていた。
 公安部の会議室には数名の刑事が集まり、地図や資料がテーブルに広げられている。
 悠真はその中央に立ち、冷徹な表情で仲間たちへ指示を出していた。

「標的は明日、都心で同時多発的に動く。駅、官庁街、それから……国際会議場だ。民間人を巻き込む可能性が高い」

 その声は鋭く、夫ではなく「公安刑事」のものだった。
 会議が終わると、彼は一人廊下に出て、深く息を吐く。
 ポケットの中で携帯が震えていた。画面に表示された名前は――美緒。

     

「今夜、帰れそうにない」
 短い言葉を告げると、受話器の向こうから沈黙が返ってきた。
 やがて震える声が届く。
「……ねえ、無事に帰ってきてくれる?」
「必ず帰る」
「約束だからね」

 電話を切ったあと、悠真はしばらくその場に立ち尽くした。
 公安刑事としての彼と、ひとりの夫としての彼。その間で、心が軋むように揺れていた。

     

 一方その頃。
 自宅のリビングで携帯を握りしめる美緒もまた、不安に押しつぶされそうになっていた。
 カーテン越しに街の灯りを眺めながら、つぶやく。
「お願い……帰ってきて」

 守られているだけでは嫌だ。自分も彼を支えたい――そう誓ったばかりなのに、実際に迫る危機の前ではただ祈ることしかできない。
 その無力さに、胸が締めつけられる。

     

 翌日。
 朝から街はざわついていた。警察車両が行き交い、人々は不安げに空を見上げる。
 美緒はテレビの速報を食い入るように見つめていた。

《都心で複数の不審物が発見され、警視庁公安部が対応にあたっています――》

 アナウンサーの声に、美緒の喉が乾く。
 その現場に、悠真がいる。
 国を守るため、そして自分を守るために。

     

 作戦は混乱を極めていた。
 悠真は無線で仲間に指示を飛ばしながら、逃げ惑う人々を誘導する。
 だがその胸の奥には、ひとりの女性の顔が焼き付いて離れない。

 ――必ず帰る。約束した。

 銃声が響く。
 閃光と煙が立ち込める中、悠真は全身で突き進んだ。
 国家の命運と、愛する妻。そのどちらも決して失うわけにはいかなかった。

     

 その頃、自宅のテレビ画面に映るのは、人々が避難する雑踏と、警察官たちの必死の姿。
 美緒は両手を組み、涙に滲む視界の中でただひたすら祈っていた。

 ――どうか、あの人を連れて帰って。

 その祈りは、嵐の中心にいる悠真へと、届くのだろうか。
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