失恋の痛みは後輩くんに奪われる

はじまりの宣戦布告

 沙織は誰もいないオフィスでひとり、深いため息を吐いた。

 東堂と取引先に赴いたあと直帰する予定だったのだが、予想外の告白で気まずくなってしまい、ひとりオフィスへと戻ったのだ。

 昼間のことを思い出して、沙織はひとり、うめき声をなんとか抑えて頭を抱えた。

「全然伝わってないみたいなのではっきり言いますけど。俺の好きな人は、宮内さんです」
 
 沈黙が落ちた。
 真っ直ぐにこちらを見つめてそう言った後、ぽかんと口を開けたまま何も言葉を紡げない沙織に、東堂は平淡な声で続けた。

「今日持っていく資料の確認してもらっていいですか」

 まるで告げた言葉が嘘であるかのように仕事に戻る東堂に、沙織は余計に狼狽えてしまった。
 おかげで会社を出る前に終わらせようと思っていた仕事は全然捗らなかった。終えるどころか丸々残してしまったことも当然気掛かりで、「寄りたいところがあるから」なんて適当な理由をつけて、東堂とは別々の電車に乗ったのだった。

 定時を二時間近く過ぎた社内に、残っている人はまばらだった。
 今日の打ち合わせは、ほとんど東堂が進めてくれた。動揺しているのに気づいていたのだろう。
 もうこれではどちらが先輩かわからないな、とまたしても沙織はため息を吐く。

 デスクに向かいパソコンを開いたけれど、いないはずの隣の席が気になって落ち着かない。
 沙織だって、これまでの人生で告白されたことはある。だから自分がこんなに狼狽えるなんて、思いもしなかった。

 でも。
 だってまさか、告白されるなんて思ってもいなかった。
 東堂に、国代と付き合っていたことを気づかれていたのも予想外だった。社内外の誰にも言ったことはなかったし、彼氏がいることすら誰にも知られていないと思っていた。
 もしかして、顔に出ていたのだろうか、と沙織は自分の頬を覆った。
 だとしたらはずかしい。国代と付き合っているときは、浮かれていたこともあっただろう。それを隣で見られていたなんて。

 しかも付き合っていたことに気づいていたけれど、東堂は沙織のことが好きだという。まさかの連続だった。

 でも東堂が冗談を言うタイプではないことは、よく知っているつもりだった。
 いつも真面目。どちらかと言うと口数も少なく、女性社員と喋ることもほとんどない。
 そこまで考えて、あ、と口元を抑える。社員のなかで、東堂とまともに喋る女性は、自分しかいないのだ、ということに気づいてしまった。
 それはもちろん、業務上必要だからだけれど。
 まさか、東堂がそんな想いを秘めていたなんて。

「ていうか、好きな人が恋愛ゲームにハマってたら、引かない……?」

 我に返ってぽつりと呟く。
 別に恋愛感情が脆く崩れたって構わないけれど、人として幻滅されるのは避けたい。これからもしばらくは一緒に仕事をこなすわけだし。
 会社でゲームアプリを開くことはほとんどないけれど、それでももしかしたら見られていたかもしれない。もうゲームにうつつを抜かすのはやめよう。

 いや、でも結末は気になるから、更新されたらストーリーは進めるかもしれないけれど。でもいつも甘い言葉を囁いてくれるイベントを周回したり、ファンタジー世界でキャラクターとデートしてワクワクするのは、もうやめよう。

 沙織は大きく伸びをして、ノートパソコンを手に立ち上がった。

 社内には、自由に仕事を持ち込めるフリースペースがある。十人近くが座れる大きなテーブルや、窓に面したカウンター席もあって、休憩時間だけではなく就業中も必要に応じて使用することができる。この時間なら、他に人はいないだろう。
 隣を気にして、仕事が進まないのではオフィスに帰ってきた意味がない。
 沙織は手帳とノートパソコンを抱えて立ち上がった。


 フリースペースに設置された大きな窓の外は、もう暗くなっていて、電灯や車のヘッドライトの眩い光が煌めいていた。
 予想通り、先客はいなかった。沙織が一歩踏み入れると、人感センサーで照明が灯る。

 せっかくだから広々使おうと、中央にある大きなテーブルに向かう。
 誰もいないのをいいことに、真ん中を陣取って、パソコンを開いた。
 メールチェックを済ませて、作成途中の企画書を開く。
 集中して終わらせてしまおう、そう意識を切り替えたときだった。

「なんで、」

 何かがコツンとぶつかるような物音に反応して顔を上げ、沙織は目を見開いた。
 フリースペースの入り口に、東堂が立っていた。走ってきたのか、シャツの袖が捲られ、髪が少しだけ乱れている。
 東堂は沙織の呟きには答えず、つかつかと室内に入ってくると、沙織の目の前で立ち止まった。

「何してるんすか」
「なにって……仕事、だけど」
「人は直帰させといて?」

 東堂が大きな目をすっと細める。沙織は思わず息を飲んだ。

「寄りたいところがあったから……」
「もう、嘘はいいです」

 ぴしゃりと言われて、沙織は唇を噛む。
 それでも「仕事が溜まってたし……」と続けると、東堂はぐっと拳を握った。

「じゃあちゃんと俺にも振ってくださいよ。同じチームなんだから」
「でも……これは私の担当だから」
「だから……」

 東堂はふーっと息をつくと、「もういいです」と吐き出した。
 その突き放したような言葉に、沙織の目が思わず揺れる。

 それを見て、東堂は目を逸らした。

「そんな……不安そうな顔しないでもらえますか。その、期待するんで」
「え……?」
「俺のことそういう目で見られないのわかってますけど。でも俺は全然好きなんで」

 目を逸らしながらもそう言う東堂の耳が、赤く染まっているのが見えた。

「その……」
「はい」
「そういうこと、会社で言われても困るっていうか……」
「……は?」

 今度は地を這うような低い声が響いた。

「会社じゃなければいいんですか」
「えっと、そういう意味じゃ」

 また一歩東堂が近づいてきて、沙織はおろおろと視線を彷徨わせる。

 手がまっすぐに伸びてくる。露わになった前腕が目に飛び込んできて動揺しているうちに、手のひらが沙織の頭に触れた。
 ほてったような熱を感じる。

 そのまま、ぐいっと東堂の方を向かせられる。
 見上げた沙織の視線と、それを受け止める東堂の目線が絡み合った。
 東堂の目が切なげに細められる。けれど一瞬ののち、大きな手がそのまま沙織の頭を撫でた。

「俺、本当に好きなんで。覚悟しててください」
「え?」
「そんなふうに言われたら、攻めることしかできないんで」

 どういう意味、という言葉は落ちてきた東堂の唇に飲み込まれた。

「ちょ、っとっ!」

 慌てて立ちあがろうとした沙織の肩を、東堂の手がやんわりと抑える。

「国代課長よりゲームより、俺に夢中になってもらいます」

 沙織の頬が一気に熱を持つ。
 それは、なにより甘い宣戦布告だった。
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