君の瞳で恋してよ
五月のとある平日。
「でもねえ……うちは今まで取材NGでやってきたから」
「そこをなんとか。巻頭のカフェ特集で絶対に素敵に紹介しますので!」
営業終了直前のカフェ『フュゼ』の店頭で頭を下げる私、二階堂椿(にかいどうつばき)、二十七歳。職業は編集者……と、ライターと、カメラマンもどき(・・・)と、スタイリストもどき(・・・)なんかにも時々なるかな。
ここ、樅木橋(もみのきばし)の街で『ヴェール・サパン』という 地域密着型フリーマガジンの編集をしている。
そして今は、次々号の特集の取材の申し込み中。このお店への、電話やメールでの取材申し込みはけんもほろろに断られてしまったから、こうして直接頭を下げに赴いた。
「私、このお店が大好きなんです!」
「そういうお世辞は好きじゃないのよね」
四十代くらいと思われる女性の店長、杏野(あんの)さんはため息をついた。
「お世辞なんかじゃなくて――」
「あれ? あなた見たことがある顔ね」
杏野店長の後ろで店を片付け始めていた店員の女性が、私の顔にハッとする。
「よく来てくださっているわよね? この前は季節限定パフェを食べて、たしかその前はパスタの大盛りだったかしら。気持ちの良い食べっぷりだったから目がいくのよね」
〝大盛り〟の情報はいらないでしょ……と赤面しているのが自分でもわかりつつ「覚えてくれていたんですか?」と明るい声で笑顔を作る。
「常連さんですよ」
「あら、そうなの? そういうことなら……お願いしてみようかしら」
「ありがとうございます!」
声を弾ませながら、深々と頭を下げた。



翌日。ヴェール・サパン編集部。
「おーやったな二階堂」
昨日のフュゼとの交渉結果を編集長のデスクで伝える。
「はい! やっと受けていただけました。密かに人気のカフェなのに今まで露出はほとんどないし、取材が楽しみです」
「毎度、二階堂の食い意地のおかげだな」
彼の言葉に眉を寄せる。
「編集長だってカフェ大好きじゃないですか」
編集長の梅島(うめじま)さんは四十代男性だけれど、私よりもよっぽどこの街のカフェ情報に詳しい。
まあたしかに、私はカフェ以外にもパン屋さん、ラーメン屋さん、焼肉屋さん……その他諸々のグルメ全般大好きだけれど。
そしてそれは仕事に活かされている。
「じゃあ取材の詳細スケジュールが決まったら、(たちばな)くんに共有してくれる?」
「え……」
〝橘くん〟の名前につい、身構える。
「その『え』ってどういう意味ですか?」
背後の少し上の方から呆れたような声が聞こえてきた。
振り向いた先に立っているのは……。
「俺と組むことになにか不満でもあるんですか?」
カメラマンの橘洋平(ようへい)、二十六歳。
「べ、べつに不満だなんて――」
「編集長、この間のスタジオのレンタル料なんですけど」
彼は私の言いかけた言葉を無視するように、編集長と別件の話を始める。
私はムッとしたまま自分のデスクに戻った。
「本当に嫌な感じ。橘くんて」
隣のデスクの二つ年上の先輩女子、栗須(くりす)さんに愚痴をこぼす。
「そうかなぁ。カメラの腕はいいし、仕事はすごくしっかりこなしてくれるじゃない」
「仕事〝は〟ですよね」
性格には大いに問題があると思う。



橘くんは二か月前にうちの編集部にやって来た。
『こちら、カメラマンの橘洋平くん。まだ若いんだけど、この間までファッション誌のカメラマンをやってたりして腕は一流だから』
朝礼での編集長の軽い紹介を聞きながら〝そんな人がなんでうちみたいなタウン誌に?〟なんて自分の雑誌に対して失礼なことを思ってしまった。けれど続く彼の自己紹介で、その気持ちはますます強くなるのだった。
『橘です。そんなに長くいるつもりはないんで適当によろしくお願いします』
橘くんがあまりにも淡々と表情を変えずに言ったから、編集部員八名はぽかんとして一瞬拍手や『よろしく』の挨拶の言葉すら出てこなかった。
『……え? 長くいるつもりはないってどういう意味ですか?』
やっと思考の追いついた私が質問した。
『そのままの意味ですけど』
『そのままって……』
仮に数か月で辞めるつもりで入社しているとしても……。
『なんでそんなことをわざわざこの場で言う必要があるんですか?』
あまりの冷たさに眉を寄せて聞く。
『変に仲間意識を持たれて期待されても困るから先に言っただけです。いる間はこき使ってもらっても構わないですけど、馴れ合いとか苦手なんで。そんな感じでお願いします』
トゲのあるような言い方に思わずムッとしてしまう。
『何それ、ちょっと失れ――』
『ははは。はっきりしてていいね。うん、じゃあこき使わせてもらおうかな』
笑いながら、私の言葉に被せるように言ったのは編集長だった。
それからみんなが『よろしく』と言いながら、その場は拍手の音に包まれた。
その様子で編集長が私が食ってかかろうとしているのを止めてくれたのだとハッとする。そして少し恥ずかしくなって、気持ちを落ち着けようとしている時だった。
(こわ)
目が合った橘くんが拍手に紛れて小さくつぶやいたのがわかって、落ち着きかけた気持ちがまた逆撫でされた。
とはいえ私は真っ当ないち社会人ですから……と思いながら、その場は口元をヒクつかせつつ笑顔で拍手をして乗り切ったのだった。
朝礼後、橘くんがどうしてうちに入社したのか気になって栗須さんにこっそり聞いてみた。
『編集長の知り合いの息子さんみたいね。ファッション誌を辞めたから次の職場を探してるって聞いて、編集長がぜひうちにって誘ったらしいの』
『編集長……何考えてるのよ、あんな性格の子』
要するにコネということかと、あの不遜な態度にも納得がいった。



そんなこんなで苦手意識の芽生えた橘くんだけれど、店舗や企業を回って取材をすることの多い私とコンビを組んで仕事をすることもすでに何度かあった。
今日も早速フュゼの取材の打ち合わせ。オフィスのミーティングスペースで机を挟んでノートパソコンを見る。
「この店って広いんですか? あと窓からの光の感じとか店内の照明の位置と数とか知っておきたいです」
栗須さんの言う通り、彼は仕事に関してはテキパキこなしてくれる。それに『腕は一流だから』という編集長の言葉通り、彼の撮った写真は今までと比べ物にならないくらいクオリティが高い。
まあ、今までは私がカメラ片手に走り回ることもあったくらいなのだから、プロを名乗るカメラマンならそのくらいは当たり前だとも思う。
「二階堂さん? どうかしました?」
橘くんの声にハッとする。
「え? あ、えっとなんだっけ店の照明?」
私は急いでフュゼの店名を入力して、画像検索をした。
「私がスマホで撮ってきた写真もあるけど。照明もこだわってる感じで席ごとにシェードが違っていて。こんな感じでわかる?」
写真フォルダもプレビューして見せる。
「あーはい。まあだいたい」
「なんか、私が実際に見た印象より暗く見えてるかも」
いつも訪れている店内は、画面の写真よりもナチュラルな光に照らされている印象だ。
「撮影用の照明使わずに撮ったらそんなもんだと思いますけど、あとは窓からの日光の影響とかあるんじゃないですか。その辺は当日対応します」
彼は照明のことだけで打ち合わせを終えようとしている。
まあそれだって、カメラマンとしては省エネで正しいのかもしれないけれど、ドライすぎない?
「なんかもっとこう……このお店のこととか興味ないの?」
口をついて出た言葉に、不思議そうな顔をされてしまった。
「どんなメニューが人気だとか、客層がどうだとか。橘くんて、いつも全然そういうことを聞かないよね」
「べつに、当日行けばわかるからいいでしょ。はっきりいって興味ないです」
無表情のままパソコンを閉じる彼に少しだけ腹を立てる。
「あのさ」
私はミーティングスペースの片隅のラックに置かれた、ヴェール・サパンのバックナンバー数冊を取り出して開いた。
「これ」
そこには、今までに取材した店舗や商品の写真がいくつも掲載されている。
「これがどうかしました?」
「橘くんの写真って、たしかにプロって感じで構図も綺麗でピントもバッチリなんだけど……」
そこまで言って、言い淀む。
「だけど?」
〝だけど〟に続く言葉はどう考えてもマイナスなことだとわかるからか、彼の視線がチクリと刺さる。
「なんていうか……その」
「はっきり言ってくれませんか」
ゴクリと小さくツバを飲み込む。
「毎回……同じっていうか」
「同じ? 担当者の要望に合わせて構図も照明も変えてますけど」
それは確かにそうだ。申し分のないプロの仕事をしている。
「そういうことじゃなくて、あんまり温度や匂いを感じないのよね」
「どういう意味ですか?」
「はっきりと言えるわけじゃないけど、無機質な感じっていうのかな」
「物撮りなんてそんなもんだと思いますけど」
「それはそうかもしれないけど……」
私だって、プロのカメラマンに偉そうに言いたいわけではないけれど。
「…………」
しばらくの気まずい沈黙に耐えかねて、壁の時計にチラリと目をやった。
時計の針はちょうどランチタイムの始まりを指そうとしている。
「橘くん……よかったらお昼一緒に出ない?」
< 1 / 1 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

冷徹エリート御曹司の独占欲に火がついて最愛妻になりました
  • 書籍化作品
[原題]チクタク時計ワニと雪解けの魔法

総文字数/95,303

恋愛(オフィスラブ)136ページ

表紙を見る
表紙を見る
Little yellow flowers

総文字数/54,143

恋愛(オフィスラブ)71ページ

表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop