野いちご源氏物語 三六 横笛(よこぶえ)
乳母(めのと)のところで寝ていらっしゃった若君(わかぎみ)は、起きて()()しなさった。
源氏(げんじ)(きみ)のお(そで)を引いてまとわりついていらっしゃるのがとてもおかわいらしい。
白い薄い上着の下に赤いお着物をお召しなのだけれど、はいはいなさっているうちに脱げかかって、お体が見えてしまっている。

色白で上品で、口元はおかわいらしく、目元はおっとりとしている。
(かお)り立つようは()(だか)さは亡き衛門(えもん)(かみ)様によく似ていらっしゃるの。
<しかしこれほど格別に美しい男ではなかった。母親の(みや)様にも似ていない。こんなに小さいうちから気高い重々(おもおも)しさがあって、他の赤子(あかご)とはまったく違う>
むしろご自分に似ているのではとお思いになる。

若君はよちよち歩きをするくらいになっていらっしゃる。
めずらしいものがあるのを見つけて近づいていかれるの。
(たけのこ)をつかもうとしているのかしら、お手を大きく動かされるので、入れ物から落ちて散らかってしまった。
そのうちのひとつにかじりつきなさる。
「いけないいけない。筍は隠してしまいなさい。()意地(いじ)の張った若君だと口の悪い女房(にょうぼう)(うわさ)するではないか」
源氏の君は笑って若君をお抱きになる。

「目元がお美しいな。小さな子どもをあまり見たことがないからだろうか、このくらいの年齢の子はただ幼いだけだと思っていたが、すでに風格がある。心配の種になりそうだ。明石(あかし)女御(にょうご)様がお生みになった姫宮(ひめみや)様もこの六条(ろくじょう)(いん)でお暮らしなのだから、若君が元服(げんぷく)なさるころには面倒なことになっているかもしれない。
いや、そんな先のことまで見届けようと思うのは贅沢(ぜいたく)だろうな。命がなければ心配したところで無駄(むだ)なのだから」
優しく若君を見つめてつぶやかれるので、
縁起(えんぎ)でもないことを(おお)せにならないでくださいませ」
と女房たちは申し上げる。

先ほどかじりついた筍を、若君はまだ抱きかかえていらっしゃる。
ちょうど歯が生えてくるころで、むずむずするのでしょうね。
お口のなかのかゆいところに筍をあてようとなさるから、筍がよだれでべたべたになっている。
<宮様と衛門の督のことは忌々(いまいま)しいが、この無邪気な子は見捨てられない>
若君のお手から筍を取り上げておっしゃる。
「そんなふうにかわいがったら、筍は気味(きみ)悪がって逃げていきますよ」
若君は楽しそうに笑うと、泣くこともなさらず源氏の君のお(ひざ)から下りて別の遊びをお見つけになる。

成長なさるにつれて、若君はどんどん美しくなっていかれる。
忌々しかったことなんて忘れてしまわれるほどなの。
<世にも美しいこの若君がお生まれになるために、あのような忌々しいことが必要だったのだ。避けられない運命だったのだ>
今では少し納得なさっている。
それでもやはり、ご自分の完璧なご正妻(せいさい)になるはずだった(おんな)(さん)(みや)様が、悲しい尼姿(あますがた)でいらっしゃるのをご覧になると、おふたりの(つみ)を許しがたくお思いになる。
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