月と夜
「英語教師をしていた漱石の翻訳にまつわる話。I love youの訳は日本人なら月が綺麗ですね、ってやつ」
「えっ! 知ってたの?」
「有名な話だから……俺もそうやって想いを伝えたつもりだけど?」

 面食らってしまい、(つき)の話はそのままになってしまった。


   °.✩┈┈∘┈🌙┈∘┈┈✩.°


 あの日から1年半。
 (つき)の母親からの連絡で急いで病院へ向かう。

 前日に知らされた情報を整理してみる。

 (つき)の病気は遺伝性のもので、発症すれば助からないこと。発症する確率は50%で、発症がわかったのは1年半前。(つき)は物心ついた頃からそのことを知っていた。

 病室に向かう途中で(つき)の家族に会った。
 父親と母親、長い髪をまとめた女性……あの日、(つき)のアパートにいたのはこの人なんだろう。
 頭を下げながら「月也の姉です。長らく留学していたので覚えてはいらっしゃらないかもですが」と彼女は言った。
 (つき)の母親も涙を拭いながら何度も頭を下げた。
(よる)ちゃん、長い間月也に付き合ってくれてありがとう。月也はあなたのことをずっと気にかけていて、結婚されたことをとても喜んでいたのよ」
「残された時間も少ないです。会ってやってください」
 父親に促され病室へ入った。

 ベッドに仰向けに寝た(つき)の姿が目に飛び込んできた。
 痩せ細り顔の半分が人工呼吸器に覆われている。
(つき)……くん」
 私の呼びかけに反応して目をこちらに向けた。
 以前と変わらないやさしいまなざし。

 (つき)は、産み月ではちきれそうに膨らんだ私のお腹を見ると、うっすら涙を浮かべ「幸せだ」とつぶやいた。
「満月だよ」
 そう言うと(つき)はゆっくりとまばたきをした。

 病室のカーテンと送られてきた写真に写っているカーテンが合致している。窓からはビルや街路樹などが見える。夜になればあの夜空が見えるのだろう。

 その意味に気づいた瞬間、涙をこらえることができなくなった。

「あの有名なビルが写っていたら、この場所は特定できるものね」
「違うよ……昼は……月が見えないから」

「うん」
 (つき)の優しい嘘を台無しにしてしまうような気がして、それ以上何か言うのはやめた。
 手を握ると、(つき)も握り返してきた。もうあまり力は入らないみたいだ。



 数時間後、皆に見守られながら(つき)は旅立っていった。








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