『その秀女、道を極まれり ~冷徹な親衛隊長様なんてこうして、こうよっ!!~』
速やかに身に纏っていた衣裳を梢に手伝って貰いながら脱ぎ、後宮側が用意していた揃いの上質な白い衣裳に着替える。一番上に纏う羽織物と帯は自由とのことで、この秀女たちだけを集めた場こそが格の違いを見せつける最初の場だった。
あまりにも装飾が派手な物は事前に没収され、家に送り返されているので皆がそこまで華美な訳では無いが重要なのは質だ。
「お嬢様が薄桃色を纏われるのはとても珍しいですが、よくお似合いになっていますよ」
「小梢がそう言うなら我慢する。ええと、わたくしは重い物など持ったことも無いような姫……うう、肌が痒くなりそう」
父親から厳しく言われて出て来た。
とにかくおしとやかで、秀女の中でも余裕たっぷりの年長者として振る舞え、と。着る物も普段は渋く引き締まった印象を与える物を着ていたが今回は薄桃色を買い、持って来た。本当は可愛い梢の方が色合いも合っているのだが今回のこの案件は自分だけしか出来ない大切な役目なのだと琳華は自分に言い聞かせる。
「お嬢様の立派な勇士、私も拝見したいところですが」
集合を知らせる鐘の音が聞こえる。
「小梢、後はよろしくね」
「はい。かしこまりました」
どうかお気をつけて。
これは梢の口癖のようなものだった。いつ何時も、主人と離れ離れになる時や見送る時には必ず口にする思いやりの言葉。
「行ってきます」
す、と琳華の纏う気配が変わった。
すらりとした立ち姿にしなやかさを兼ね備え、年長者として髪は少し落ち着いた様子を見せるように低めに結い上げてある。そこには父親からの資金で購入した翡翠の小さな連珠が下がったお洒落な銀の簪が一本だけ、挿されている。
薄桃色の羽織も花柄などの刺繍は襟元に少し。気品さに重きを置きながらも甘さのある上級貴族の娘として琳華の見た目は完全に仕上がっていた。
そんな彼女が廊下に出れば他の秀女たちもぞろぞろと部屋から出て来る。皆が一様に自分を着飾り、良く見せる為の羽織り物に袖を通しているので自然と集合場所の上階の広間は花畑のようになっていた。
――全ては宗駿皇子から一番の寵愛を受けるために。
しかし琳華だけ、秀女としての逗留の趣旨が違っている。
父親からの話ではどうやら自分は最年長者。それだけでも目立ってしまうのでなるべく静かに、気配を消そうと努める。他の秀女たちも可愛らしく、綺麗な娘たちばかりだった。
まあ年増な自分など相手にされないだろう、と琳華は思い込んでいたが彼女の美しさは彼女の父親の贔屓目では無い。琳華は確かに綺麗な女性。それもそのはず、通いの教師として貴族の幼い女の子に作法を教えて回り、梢とはよく笑い合い、兄たちとは難しい話をする。
今でこそ手合せはしなくなったが琳華は武官がまず先に覚えさせられる武術の基本の型の全てを覚えており、それを兄たちに演武として今も見て貰っていたりもした。
お人形のように座っているのではなく体を動かし、逞しく健やかに育った琳華から醸し出される“生命力”のような気配は抑えようとしても流石に隠しきれない。おしとやかさを気取っているが、後宮には人となりを見る目が肥えた者も多い。
高位の女官もそこはかとなく、琳華の気配に気が付いていたがそれはお転婆娘程度だと思っていた。
「周家、琳華様」
今日は顔見せだけで一人ずつ名を呼ばれたのち、前に出て顔を皆に見せる。
とげとげしい視線もあれば自分自身以外に興味がないような者まで、十二名の秀女が一堂に介した場は終始緊張感が漂っていた。
挨拶の為に手を控え目に揃えて軽くかしぐその仕草、一挙手一投足が広間にいる全ての女性たちに見られている。
(早速、胃が痛くなりそう)
琳華たち秀女全員がまとまって逗留する『寄宿楼』は庇のある渡り廊下で近くの楼閣などとも一部、繋がっていた。どうやら普段は女官や女官候補の研修施設として使われているらしい。今回選ばれた十二名の秀女たちはそこで更にお花や裁縫、後宮での礼儀作法や慣わしを学びながら合間に皇子との謁見も予定に組み込まれていると説明を受ける。
「あ、お嬢様。お帰りなさいませ」
「ただいま……ああもう、疲れた……」
琳華は元布団部屋に戻って来るなり卓の前の椅子に腰を下ろして姿勢を崩す。部屋で荷物を整理していた梢はあらかじめ部屋に置かれていた寄宿楼の案内図や入っても良い場所、駄目な場所が記された紙を読んでおり、自分たちも自由に使える小さな炊事場を先ほど見に行って来たらしい。その隣には本格的な炊事場があり、食事を作る下女たちが既に夕飯の仕込みをしていたのも確認してきたと琳華に報告をする。
「お嬢様、とりあえずお茶にしましょう。お湯を貰ってきますね」
駆けつけ一杯でございます、と冗談を言いながら梢はしばし元布団部屋から離れていった。
くたりと崩れた姿勢を正すように椅子に座り直して深く息をする琳華も卓の上にあった案内図に目を通し、わりと自由に散策が出来る事を知る。その散策する時間がしっかり確保できるのかはまた別の話ではあるが……。
「ん……?」
その案内図に、ごくわずかにシミのような赤い点を見つける。
上質な紙なので汚れや塵でもなく、紙を手に取ってよくよく見ていると梢が盆に簡易の茶器を乗せて部屋に戻って来た。
「ねえ小梢、この針の先で突いたような赤いシミって」
「お嬢様もお気づきになられましたか?まるで何か意図されたような」
本当に注意深く目を通さなければ分からないような赤い点に二人ともが気づく。
それはまるで琳華と梢がそう言った図面を穴が開くほど読む習性があると知っていたかのように、意図的に細工が施されているようだった。