桜吹雪が舞う夜に
やがて片付けを終えた日向さんは長椅子に腰を下ろし、わたしの隣に座った。
外から差し込む午後の光に、木の香りと古びた賛美歌集の匂いが混じっていた。
わたしはしばらく逡巡してから、思い切るように口を開いた。
「……あの、ずっと聞きたかったんです。信じるって、どういうことなんですか」
日向さんが少し驚いたように目を向け、すぐに穏やかに細める。
「急に難しいことを訊くな」
「……ごめんなさい」
けれどそのまま続けた。
「でも……皆さんが自然に神さまを信じてるのを見て、私にはどうしても分からなくて。
だって……悪いことをした人が必ず罰を受けるわけでもないし、良いことをした人が必ず報われるわけでもないのに」
言葉を吐き出すように言ったあと、わたしは視線を落とす。
「そんなの、不公平じゃないですか」
日向さんはしばらく黙ってわたしを見つめ、それから静かに答えた。
「……そうだな。不公平だよ。俺だって昔は、それが受け入れられなかった」
「……日向さんも?」
わたしはゆっくり顔を上げる。
「うん。でも、いつからか思うようになった。
信仰って、裁きを保証してくれるものじゃない。世界の理不尽を帳尻合わせしてくれるわけでもない。
それでも“生きていく力”をくれるんだ」
「生きていく……力」
意味を確かめるように、小さく繰り返す。
「見えなくても、そこにあるって信じること。
心臓を直接見なくても、鼓動を信じられるみたいにな」
わたしは唇を噛み、静かに頷いた。
「……でも、信じられなかったら?」
「それでもいい」
日向さんはあっさりと返した。
「信じない自由もある。信じることを強制されたら、それはもう信仰じゃないから」
「……じゃあ」
わたしは小さな声で、胸の奥にある不安を吐き出す。
「私が、日向さんの信じるものを……信じられないままでいたら。がっかりしますか」
日向さんはわずかに苦笑を浮かべ、首を振った。
「……しないよ。俺は桜を信じてる。それだけで十分だ」
胸に熱が広がり、なにも答えられなかった。
ーーやっぱり、この人は、わたしのずっと先を歩いている。