桜吹雪が舞う夜に
金曜の夕方。循環器内科カンファレンスルーム。
「じゃあ、この症例に関して考えられる鑑別診断は?」
ホワイトボードの前に立つ日向さんの声は、いつも通り落ち着いていて、少しも揺らいでいなかった。
(……信じられない)
昨日の夜、ほんの短い時間だけLINEで会話した。
「論文の加筆で今夜は徹夜だ」なんて軽く言っていたくせに。
私はその一言だけで胸が詰まって、徹夜なんてしたらきっと死んでしまう、と真剣に思ったのに。
今こうして彼を目の前にすると、全く疲れた様子なんて見えない。
目の下に隈もなく、姿勢もまっすぐで、声にも力がこもっている。
むしろ研修医や学生たちを一人ひとり見渡しながら、柔らかく諭すように議論を導いていた。
(どうして……こんなに強いんだろう)
周りの研修医や学生たちが次々と発言しては、彼に訂正されたり導かれたりしている。
そのやり取りを眺めながら、私は胸の奥でじわりと熱が広がっていくのを感じていた。
尊敬と、羨望と、そしてほんの少しの焦り。
(私なんて、徹夜をしたら倒れる自信があるのに……)
(こんな人に並ぶなんて、できるのかな……)
日向さんの声がまた淡々と響く。
その背中を見ているだけで、私が背負っているものと彼が背負っているものの、圧倒的な差を突きつけられる気がした。