桜吹雪が舞う夜に

「……未来のことは君が自分で選んでくれればいい」

日向さんの低い声が、静かに部屋に響いた。
私は思わず顔を上げる。大きな瞳で、彼を見つめ返してしまう。

「診療科も、働き方も、子供を持つかどうかだって……全部、君の人生だ。
俺が口を出して縛るものじゃない」

そう言う彼の表情には、優しさと同時に、深い葛藤の影があった。
――本当は子供が欲しいはず。家庭を築きたいはず。
その願いを聞いてきた。
それでも今、彼はそれを押し殺して、私に自由を差し出そうとしている。

「……だから」
彼は微笑もうとしたけれど、その笑みはどこか不器用で、胸が痛むほどだった。
「君がどんな選択をしても、俺は受け止められるようになりたい」

唇が震え、視線が揺れる。
「……日向さん……」
その言葉しか、出てこなかった。

頬に触れられた指先が温かくて、同時に残酷だった。
この人は、本当にすべてを受け止められるのだろうか。
未来を一緒に歩んでいけるのだろうか。
答えは分からない。けれど、今この瞬間だけは信じたいと思った。

「……怖がるな。俺も同じだ。未来なんて、まだ何も分からない。
だからせめて……今だけは、隣にいてくれ」

その声を聞いた瞬間、堪えきれずに涙が一筋、頬を伝った。
拭われるたびに、胸の奥が締めつけられていく。
私はただ黙って、彼の腕の中に身を委ねた。


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