桜吹雪が舞う夜に
夜の医局、また延々と続いた会議の後。
書類を抱えたまま椅子に沈み込んだ俺は、もう抑えが効かなくなっていた。
「……セックスしたい」
低くぼやいた声が、やけに乾いた。
思わず口にしてしまった瞬間、隣の席から吹き出す声がする。
「ははっ、御崎。君がそんなこと言うなんてね」
向坂先生はにこにこと笑いながら、ペンをくるくる回している。
「いやぁ、愚直な聖人君子だと思ってたけど、結局そこに行き着くのか」
「……俺だって人間ですよ」
額に手を当てながら吐き捨てる。
向坂はさらに笑みを深め、軽く肩を竦めた。
「安心したよ。やっぱり君もちゃんと男なんだな。
……でもそれ、僕に言う?普通」
顔を上げられず、ただ黙り込む。
自分の情けなさと、笑われている悔しさと――でもどこか救われたような奇妙な気持ちが胸に残った。
俺は唇を噛みしめ、思わず低く呟いた。
「……くそ。性欲なんて、先生の歳になると綺麗さっぱり消えるんですよね?
……そうだって、言ってくださいよ」
向坂先生は一瞬きょとんとし、それから声を立てて笑った。
「残念。消えないよ。むしろ“綺麗に誤魔化すのが上手くなる”だけだ」
にこにこしながらさらりと返すその態度に、さらに苛立ちと虚しさが募る。
(……ほんと、嫌な人だ)
心の奥でそう呟くしかなかった。