桜吹雪が舞う夜に
「……もっと知りたくなりました」
その言葉が耳に残っていた。
桜はジンジャーエールを両手で抱えるように持ち、恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべている。

俺の知らないところで、彼女の中に「俺をもっと知りたい」という気持ちが芽生えている。
ただそれだけのことが、胸を妙に熱くさせた。

「おかわりどうする? ジンジャーエールでもいいし、他のカクテルっぽいのも作れるよ」
朔弥が気を利かせるように声を掛けた。
「甘いやつならシンデレラとかシャーリーテンプルとか」

「……名前、全然覚えられないです」
桜は苦笑して肩をすくめた。
「どれがどんな味かも、全然想像できなくて」

その素直さが、彼女らしかった。
無理に背伸びしようとせず、分からないことは分からないと口にできる。
その真っ直ぐさに触れるたび、俺は彼女に惹かれていく。

「……別に覚えなくてもいいだろ。飲みたいものを、飲みたいときに頼めばいい」
口をついて出た言葉は、自分でも少し驚くほど柔らかかった。

「でも、なんか恥ずかしいです」
桜は唇を尖らせ、ストローをぐるぐると回す。
「皆かっこよく名前言って頼んでるのに、私だけ……」

「君は無理して背伸びしなくていい」
気づけば、思ったままを口にしていた。
「背伸びしてる姿より、分からないことは分からないって言ってる君の方が、俺は好きだ」

その瞬間、彼女の頬がぱっと赤く染まった。
グラスに視線を落とし、耳まで赤くして俯く桜。
胸の奥で心臓が強く鳴る音が、隣に座っている俺にまで届いてきそうだった。

氷にストローが当たる小さな音が、沈黙を埋めるように響く。
その音さえ、今はやけに愛おしく感じる。

朔弥が横で「へぇ……」と意味ありげに目を細める気配がしたが、俺は表情を崩さなかった。
ただグラスを持ち上げ、一口飲み込む。
……これ以上、言葉を続けたら、自分の気持ちが抑えきれなくなる気がしたから。
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