桜吹雪が舞う夜に

その後はテイクアウトの店で軽い食事を取りつつ、小町通を少し散策していた。

細い路地を抜けた先に、小さな銀細工の工房があった。
ショーウィンドウに並ぶ指輪を、桜が足を止めて見上げる。
その横顔があまりに無邪気で、俺は立ち止まらずにはいられなかった。

「……気になるのか?」
「え、あ……! いえ、ただ、可愛いなって」
慌てて手を振る彼女に、俺は静かに扉を押した。

中は小さな作業台と金槌の音が響く、温かな空間だった。
「ペアリング体験できますよ」と店員に声をかけられると、桜は困ったように俺を見上げる。
「……いいのか?」
「……はい。すごく、作ってみたいです」




案内されて奥に入ると、木の香りと金属の匂いが混じった空気が漂っていた。
作業台の上には細い銀の棒と小さな金槌が並べられている。

「まずは、リングのサイズを測ってくださいね」
店員に言われ、桜はおそるおそる指を伸ばした。
「……えっと、これ、薬指ですか?」
「好きな指でいいんですよ」
店員が笑って答えると、桜はちらっと俺の方を見た。

「……桜に、合わせるよ」

俺がそう優しく頭を撫でると桜は数秒考えたのちに震える唇を開いた。

「……じゃあ、右手の薬指で」
小さな声でそう言って、耳まで赤くなる。

無言で自分の指を差し出しながら、心臓が少し速くなるのを感じていた。
薬指。そこに並ぶ二つのリングを想像すると、まだ完成前なのに、不思議と特別な意味を持っているように見えた。


指のサイズを測り、刻印のデザインを選び終える頃。
店員が笑顔でペンを走らせながらふと顔を上げた。

「結婚指輪ですか?」

その一言に、時間が一瞬止まった気がした。
桜が驚いたように目を見開き、頬にぱっと朱が差す。

「……い、いえ、違います」
慌てて首を振る声は、か細く震えていた。

俺は咄嗟に表情を整え、店員に微笑を返した。
「ペアリングです。学生なので、そういうつもりではなくて」

「あぁ、失礼いたしました」
店員はさらりと頭を下げ、再び書類に視線を落とした。

桜はまだ耳まで赤いまま、視線を彷徨わせている。
ーー結婚指輪。
その言葉だけで胸がざわめく。
頭では早すぎると分かっているのに、もし彼女がそう望むなら、と一瞬でも考えてしまった自分に苦笑した。

椅子に並んで腰を下ろし、金槌を握る桜の手元を横から眺める。
細い指が震えながらも一生懸命に銀の輪を叩いている姿に、思わず胸が熱くなる。
「力を入れすぎると曲がる。……ほら、ここを支えて」
自然に、彼女の手に自分の手を重ねていた。

「……日向さん、近いです……」
頬を赤くしながらも、視線は指輪から逸らさない。
その真剣さに、俺の方が不意を突かれて息を呑んだ。

仕上げの刻印を終え、互いに指にはめてみる。
銀色の輪が太陽を反射して、眩しく輝いた。
「……似合ってるな」
思わず口にした言葉に、桜は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。


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