桜吹雪が舞う夜に

約束していた日は、運良く雲ひとつない晴天だった。

都内から一時間ほど車を走らせ、昼過ぎには鎌倉駅に着いた。駐車場に車を停めると、
「ここからは道も狭くて混むことも多いから、電車を使って回ろう」と彼女の手を引いた。



そうやって江ノ電を降りると、潮風が頬を撫でた。
線路沿いの小さなカフェに立ち寄り、二人でアイスコーヒーを片手に歩き出す。

「すごい……テレビでしか見たことなかったです」
桜は由比ヶ浜の砂浜を指差して、子どもみたいに目を輝かせた。
その横顔が眩しくて、つい視線を奪われる。

「海、好きか?」
「はい。なんだか、ずっと見ていられそうです」

潮の匂い。遠くから聞こえる波の音。
俺自身はただの海なのに、彼女と並んで歩くと、何もかもが新鮮に映った。

少し歩いて、鎌倉大仏の前に立ったとき、桜がふいにこちらを見上げた。
「日向さんって、学生の頃は……こういうとこ、誰かと来たりしました?」
「あぁ……サークルの旅行とかでなら何度か」
「そうなんですか……」
彼女の声が少し沈んで聞こえた。

だからだろうか。
自然と手を伸ばして、彼女の手を取っていた。
「恋人と来るのは、君が初めてだよ」

桜は一瞬、目を丸くしたあと、ぎこちなくも手を握り返してくれる。
それだけのことが、胸を熱くした。

ーーこの一日が終わらなければいい。
そんな願いを、潮風に紛らせるように深く息をついた。

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