大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

第139話 言葉になる前に、胸が先に溢れそう

 金曜日の夕方。

 会社を出たあと、しばらく無言で歩いていた。

 沈黙が怖いのに、言葉にしたら戻れない気がして──どちらも踏み出せない。

 駅までの道は、いつもより長く感じる。  

朱里は、何度も呼吸を整えようとして失敗していた。

(心臓、うるさい……。お願いだから静かにして)

「中谷さん」

 静寂を破った嵩の声は、驚くほど真っ直ぐだった。

「言わせてほしいことが、ある。今日こそ」
 
 その言葉に胸が跳ねる。

 けれど次の瞬間、通りすがりの自転車が急にベルを鳴らした。

「チリンチリンッ!!」

「わっ!すみません!」

 反射的に嵩の袖を掴んでしまう。

 自転車は去っていき、袖を掴む指先だけが取り残される。

(……触ってる。離さなきゃ。離れなきゃ)

 でも、離れなかった。

 嵩はそのまま歩みを止め、掴まれた袖に視線を落とす。

「……中谷さん。怖い?」

「はい。怖いです。……正直に言うと」

 認めた瞬間、足元がぐらつくようだった。

 けれど逃げないと決めたのは、自分だ。

「でも、もっと怖いのは──」

 言葉が喉で震える。

「……何も言わないまま終わること、かもしれません」

 嵩は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。

 優しい、けれど覚悟のある笑み。

「俺も同じ。ずっと同じこと思ってた」

 ひと呼吸。

 空気が張りつめる。

「だから今日、言うつもりだった。ちゃんと」
 朱里が袖を掴む指に、力が入る。

「中谷さん。俺──」

 その瞬間。

「中谷先輩〜!!」

 背後から元気な声。

 振り返れば、仕事帰りの瑠奈がコンビニ袋を下げて立っていた。

(よりによって今!?なんでこの子はタイミング神なの!?いや悪魔!?)

「やっぱり一緒に帰ってるんですね」  瑠奈の目は笑っているのに、決意が宿っていた。

「言いに来ました。平田さんが何を言うつもりなのか知らないし……聞く資格もないかもしれない。でも」
 
 まっすぐ、嵩を見つめる。

「私、まだ諦めてません」

 宣言。

 逃げ道を全部ふさぐみたいな言葉。

 朱里は息を飲む。

 嵩は瑠奈を正面から受け止めるように、わずかに頭を下げた。

「ありがとう、望月。……でも、今日は」

 嵩の視線が朱里に戻ってくる。

「中谷さんに話したいことがある」

 その一言だけで空気が変わる。

 瑠奈は寂しそうに笑って、しかし涙は見せなかった。

「……分かりました。じゃあ今日は退きます。でも終わりませんから」

 それだけ言って去っていく。

 後ろ姿は小さくても、気持ちは強かった。

 静寂が戻る。

 朱里と嵩だけの空気になる。

 袖を掴んでいた手を、朱里はそっと離した。

 逃げるためじゃない。

 自分の意志で立つために。

「……さっき、続きがありましたよね」

 朱里の声は震えていたけれど、逃げていなかった。

 嵩は一歩近づき、その距離を埋める。

「ある。言うよ。ちゃんと」

 朱里の胸が先に溢れそうになる。

 言葉より先に、感情が溢れそうで。

「中谷さん、俺は──」

 その“言葉”が告白になるかどうか。

 次の瞬間で、全てが変わる。

 金曜の夜風が、二人の間をそっと揺らしていた。
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