大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

第144話 触れない距離が、触れたくなる距離に変わるまで

火曜日の夜。

会社を出て、並んで歩き始めた瞬間から、言葉が見つからなかった。

沈黙は嫌じゃない。

でも、沈黙が意味を持ってしまう距離は、まだ怖い。

横を歩く平田嵩は、手をポケットに入れたまま、前を見ている。

その横顔が、昨日より優しく見えるのは──気のせいじゃない。

「……昨日より、歩幅合ってますね」 朱里が言うと、嵩は少し驚いたように瞬きをしてから笑った。

「合わせようとした。
 気づけば勝手に歩幅が揃うのが理想だけど……まだ、強引なのは違うから」

そんな風に言葉を選ばれると困る。

期待してしまうから。

期待が形にならなかった時、きっと傷つくから。

なのに──期待してしまう自分がいる。

「……私も、ちゃんと合わせたいです。
 いつか、無理せず並べるように」

「その“いつか”を焦らないなら、ちゃんと待つよ」

歩くスピードが、ほんの少しだけゆっくりになった気がした。


■コンビニ前にて

横断歩道の前で立ち止まる。

信号が赤に変わった瞬間、車の音だけが世界を埋める。

嵩がポケットから手を抜いた。

朱里の手の近くに下ろす。

でも、触れない。掴まない。求めない。

風で少し揺れた指先が、朱里の指先にほんの一瞬──かすった。

胸が跳ねる。

それだけで涙が出そうだった。

気づいたのか、嵩はそっと距離を取ろうとする。 その動きが、逆に寂しくて。

「……離れないでください」

自分でも驚くほど小さな声だった。

嵩の足が止まる。

「……離れないよ」

それだけ。

それ以上も、それ以下も言わなかったけれど──十分だった。

信号が青に変わる。 二人はまた、並んで歩き出す。


■駅の前

「ここで……」

朱里が言うと、嵩が頷く。

「うん、無理はさせない。今日はここまで」

“今日は”

その言葉に、続きがある未来を匂わせる響きがあった。

別れ際、嵩が朱里の名前を呼ぶ。

「中谷さん」

「……はい」

「好きだよ。
 昨日言った気持ちは、一晩経っても変わらない」

心臓が大きく脈打つ。

思考が全部吹っ飛ぶ。

返事が遅れてしまう。

沈黙が落ちる。

でも逃げなかった。

「……私も、好きです。
 まだ怖いけど……逃げないで、言いたいです」

その言葉に、嵩は静かに息をついた。

安堵にも似た微笑みが、夜に溶けた。

「ありがとう。
 じゃあ、また明日」

「……はい。おやすみなさい」

背を向けた瞬間、膝が笑うほど緊張していたことに気づいた。


■帰宅後

部屋に着くなり、膝から崩れた。

床に座り込んだまま、スマホを握りしめる。

(嬉しい。怖い。進みたい。逃げたくない。

 全部いっしょくたで、どうしたらいいか分からない)

でも、分からないままでいいのかもしれない。

もう逃げてないなら、十分だ。

通知が鳴った。

《明日、また同じ時間で。
 無理なら言って。無理じゃないなら、一緒に帰ろう》

震える指で、返信を打つ。

《無理じゃないです。……一緒に帰りたいです》

送信。

もう後戻りはしない。
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