5分だけのデート ―時給10,000円のボディーガード―
二
それから駅前まで、どう歩いたのか覚えていない。
ましてやその時の俺がどんな顔をしていたのかなんて、想像したくもない。
一歩進むごとに透花の柔らかいものが俺に触れ、何だかいい匂いに包まれ……俺の反射神経がそれらに律儀に反応して、離れようとする。
飛び退こうとする俺の身体を透花が押さえて止め……振り出しに戻る。
それが何度続いただろうか。
「私から離れないでください。もっとくっつきましょう」
囁かれた甘い台詞は現実か。それとも、健全すぎる男子高校生の夢見がちな妄想か……。
喫茶店・チャンドラーから駅までは、普通に歩けば五分とかからない。その距離が、今日はえらく長く感じられた。
絡みつかれている腕は既に感覚がなくなっている。十七歳の男にはいささか強すぎる刺激に耐えられず、脳が指令を断ち切ったのだろう。
まさに人体の神秘だな。うん。
「このお店に入りましょうか」
やがて、そんな言葉とともに俺の腕がやっと開放された。再びしがみつかれることがないように、俺は一も二もなくその言葉に従う。
入ったのは、駅前のファーストフード店だった。
例の『勉強・昼寝はご遠慮願います』の貼り紙が目に入る。あまり好きな場所じゃないが、この辺で他に入れそうな店もないので、まあ仕方ない。
「須崎さんは席に着いていてください。私、何か買ってきます。ご希望はありますか?」
そう聞かれて気付いた。異様に喉が渇いている。とんでもないことになって汗をかいたせいだな、多分。
「食べ物なら適当で。飲み物なら冷えたやつを」
「分かりました」
透花はレジの方へ駆けていく。店内は学校帰りの高校生で込み合っていたが、俺は奥まった場所に何とか二人分の席を見つけて腰を下ろした。
椅子にもたれた瞬間、どっと力が抜けていく。同時に、ついさっきまで俺の神経を支配していた感触が蘇ってきた。
俺の腕にしがみついた、女の子の柔らかい……。
いやいやいや、忘れろ! 思い出すな!
「お待たせ致しました」
「うわっ!」
突然声を掛けられて、思わず変な声が出た。
慌てふためく俺を見て「どうしたんですか?」と尋ねる透花に、まさかあなたのDカップを思い出してましたなどとは言えず、なんでもないと濁す。
「これでよろしかったでしょうか?」
俺の目の前に、ポテトとハンバーガーと炭酸飲料の載ったトレイが差し出された。透花自身は飲み物が入った紙カップだけを持っている。
とりあえず、俺はカップにストローを突き刺して、キンキンに冷えた炭酸飲料を一気にすすった。
「……ああ」
やっと人心地ついて、溜息が漏れる。そんな俺に向かって、透花が言った。
「振り回してしまって申し訳ありません。お疲れですよね」
「疲れたなんてもんじゃねーぞ……」
落ち着くと、切断されていた思考回路が再接続を始めた。心の底に仮置きされていた疑問が、ふつふつと湧き上がってくる。
「これは一体どういうことなんだ。っていうか、そもそもお前は誰だ? 俺の名前とか、何で知ってたんだよ」
聞きたいことはまだまだある。
チャンドラーに現れた洒落たシャツの男のこと。さっきの五分間密着そぞろ歩き。そして……。
「時給一万円って、何なんだ?」
矢継ぎ早に質問を繰り出した俺を、透花は軽く手で制して微笑んだ。
「それについては、順を追ってご説明させていただきたいのですが」
「ああ。とっとと説明してくれ」
「では、まず自己紹介から。……私は清学舎女子高校、一年薔薇組所属の、伊集院透花と申します」
「清学舎女子だって?」
思わぬ固有名詞が出てきて、俺はドリンクのカップをドンっとテーブルに置いた。
清学舎女子高校といえば、大正時代から続く清楚可憐なお嬢様学校だ。この辺でその名を知らぬ者はいない。
通っている女子生徒たちは『清女』と呼ばれている。全員が全員、社長令嬢や議員の娘など、要するにぎっちぎちに梱包されている究極の箱入り娘だ。
送り迎えは運転手付きの自家用ハイヤーだったりするので、ペーペーの庶民は滅多にナマ清女を見ることはできない。
清女はみんなにとって……特に普段から飢えている俺たち男子高校生にとっては高嶺の花。ソシャゲで言えばSSRだ。
そのレアキャラが、こうして至近距離にいるのが信じられない。
だがよく見てみれば、透花が着ている制服はまさしく清学舎女子のものだった。ちょこなんと座っているのは、紛れもなく『SSR清女』だ。
なるほど。今時珍しいくらい真っ黒な髪の毛はそのせいか。喋り方がちょっと堅すぎるのも恐らくそのせい……だよな?
ふと周りを見て見れば、店内の客が透花の方をチラチラ見ている。ナマ清女が珍しいんだろう。
透花はそんな視線を気にしてか、俺の方に少し身を寄せ、声を潜めた。
「うすうすお気づきかもしれませんが、今回は須崎さんに彼氏のフリをお願いして、しつこい男性を撃退したんです」
何となくそういうことだろうとは思っていた。
そして『しつこい男性』っていうのはおそらくアイツのことだろう。
「あの、洒落たシャツを着てた男に付きまとわれてたってことだな」
「そうです。かなりしつこく交際を迫られまして、いくらお断りしても聞き入れてくださらず……。やむを得ず、このような方法を取りました」
「このような方法ってなぁ。随分強引な手段だと思うぞ」
「私も多少強引とは思いましたが、ベストかと。『しつこい男の撃退マニュアル~ストーカーに付きまとわれないために』に載っていた方法ですので」
何だその胡散臭いマニュアルは。……そして、それ以前に。
「ストーカーだったのか、さっきの奴」
「いえ。まだそこまでしつこくありませんでした。ですが、こういうのは早いうちに芽を摘んでおくのがいいかと。先ほどの喫茶店を出てからも、あの方はまだしばらく尾行してきていたようですが、仲睦まじく歩く私たちを見て無事に諦めていただけたと思います」
「仲睦まじく……ね」
確かに、あれだけ身体を寄せ合っているのを見せられたら、並の男なら引く。
あの洒落たシャツの男は、透花のことを諦めてどこかへ行ったようだ。俺が五分間の甘すぎる地獄に耐えた価値はあった。
「……で、お前は何で俺の名前と学校とクラスを知ってたんだ? 初対面のはずだよな」
その疑問に、透花はにっこり笑って答えた。
「それは、簡単に分かりました」
「簡単に?」
「まず、あなたが今お召しになっているその制服は、東川高校のものです。そして、よくあの店でお勉強の道具を広げていらっしゃいますが、ノートにクラスとお名前が大きく書いてありました。私はそれを見ただけです」
「あの店って、髭面のマスターの店かよ」
「はい。『喫茶店・チャンドラー』。私もよく行くんですよ。コーヒーが美味しいので。普段は奥のテーブル席にいます」
それは気付かなかった。俺の定位置からじゃ、奥の席はよく見えないしな。
……というか、あんな店に足繁く通う物好きなんて俺しかいないと思ってた。清女の舌を唸らせるなんて、マスターもなかなかやるじゃねーか。伊達に髭生やしてないな。
「須崎さんは、ほぼ毎日あそこでお勉強なさっているので嫌でも目に入ります。もっとも、普段はあまり教科書やノートをお使いにならないようですが」
マンガ読んでたの見られてたか。
しかし、一言多いぞ。俺はマンガの中の海賊たちから、愛と勇気と友情を学んでるんだ。放っとけ!
「私は『しつこい男の撃退マニュアル~ストーカーに付きまとわれないために』や『未成年のための彼氏・彼女マニュアル』『勘違い男撲滅対策・これ一冊』など、各種の本を熟読し、どなたかに彼氏のフリをしていただく作戦を思いつきました。そこで、須崎さんにお声を掛けさせていただいたというわけです」
涼しい顔で、透花は謎のマニュアルを羅列する。
それぞれに対するツッコミはこの際脇に置いておくことにして、俺は一番の疑問を口にした。
「何で、この俺に『彼氏のフリ』を頼んだんだ?」
ちょっと前に流行ったコントのネタで知ったことだが、地球には七十億人の人がいるという。その半分が男だとしても、三十五億人。
その中から、なぜこの俺を『彼氏代理』なんぞに選んだのか、ぜひとも知りたい。
少なくとも俺は透花と初対面だし、同じ喫茶店に通ってるだけでは、選ばれる理由として弱すぎる。
だってなぁ……いくらフリとはいえ、彼氏だぞ、彼氏! しかもSSR清女の彼氏なら、もっとこう、相応しい相手がいるだろ?
俺は決してモテないわけじゃねーけど、身の程くらいわきまえてるっつーの。
それに、だ。
「ストーカーがいるなら、警察に相談しろよ。それか、親に言ってボディーガードでも雇ったらいいじゃねーか。清学舎に通ってるくらいだから、家は金持ちなんだろ?」
俺が口にしたのは、ごく当たり前のことだ。俺ほど勉強熱心じゃなくても、みんなが思いつくことだろう。
しかし透花は、力なく首を横に振った。
「しつこく言い寄られただけで、危害を加えられたわけではないのです。むしろ、あの方は私にとても親切にしてくださいました。少々熱心すぎるだけで、根はいい方だと思います。今回も、私に彼氏がいると分かったら身を引いてくださいましたし。……それに、両親には心配をかけたくありません」
うーん、俺はアイツがいい奴とは思えない。少なくとも、シャツのセンスは最悪だった。
とはいえ、透花の気持ちは分からないでもない。なるべくなら大袈裟にしたくないしな。
「もろもろのことを考慮して、私は各種のマニュアルを元に、どなたかを彼氏に仕立ててしつこい男性を追い払う作戦を練り上げました。須崎さんに彼氏のフリをお願いしたのは、二つの条件を検討した結果、一番適任だと思ったからです」
しばらくして、透花は細い指を二本ピッと立てて見せた。Vサインみたいだ。
「何だよその条件ってのは」
「一つは、体格が普通より少しいいことです。ただし、並はずれていないこと。体格で人を差別するつもりはありませんが、今回のようなケースではあまり軟弱だと相手に舐められてしまいます。かと言って過度に肉体派を連れてきてしまうと、しつこい男性を追っ払うための工作だということが本人にばれてしまいますよね?」
なるほど。普通の高校生を逸脱しない程度で、かつ少し強そうなのがいいってわけか。
俺はさほど高身長でもないしガチムチでもないが、一応柔道部だからそこそこ腕や首が太い。透花の挙げた条件に当てはまる。
「じゃあ、もう一つの条件は何だ?」
納得しつつ先を促すと、透花はさらりと答えた。
「条件その二は、特定の恋人がいないことです」
「はっ……?! 恋人っ……ごっごほっ……!」
飛び出した答えにむせた俺を無視して、説明はさらに続く。
「仮とはいえ一時的に彼氏になっていただくのですから、恋人がいらっしゃる場合は、さすがにお願いできません」
確かに、俺には彼女はいない。生まれてこの方、いたことがない。
が……。
「俺に彼女がいないなんて……何でそんなこと知ってんだよ。ノートにそんなことを書いた覚えはねーぞ!」
身を乗り出した俺に、透花は微笑みながら軽く首を右に傾けた。その拍子に、銀フレームのメガネがキラリと光る。
「ノートには学年とクラスとお名前しか書いてありませんでしたが、彼女がいらっしゃらないことはすぐに分かりましたよ。……まず、須崎さんは毎日、喫茶店・チャンドラーにお見えになります。特定の恋人がいらっしゃるなら、少しは来ない日があってもよさそうなものです。デートなどがありますから」
「ぐっ……」
透花の言う通り、俺は毎日、あの店の特等席を独り占めしている。
だが、まだ引かない。俺も男だ、負けてたまるか!
「あの喫茶店で毎日暇つぶ……勉強してるからって、俺に彼女がいないとは限らないだろ? 遠距離恋愛かもしれない。北海道とかサンパウロに彼女がいたら、会えるのは長期休暇ぐらいだ。普段は一人で過ごしてたっておかしくない」
ふつふつと湧いてくる謎の闘志を胸に、俺は反論を試みた。だが透花は、そんな俺の異議を涼やかな顔で受け止める。
「遠距離恋愛の線は私も考慮しましたが、すぐに消しました。須崎さんの持ち物を見て、特定の恋人がいないと確信できましたので」
「えっ……」
俺は無意識のうちに足元にある自分のカバンに視線を落とした。
何だよ。俺のカバンには『彼女がいません』とでも書いてあるのか……?
「喫茶店にいる時に確認しましたところ、須崎さんはキーホルダーや携帯電話のストラップの類を一切つけていらっしゃいませんでした。彼女がいらっしゃるならこのあたりはお揃いが定番ですので、何か可愛らしいものをつけていて然るべきです」
「うっ……」
「これだけでも十分に彼女がいらっしゃらないことは推測できていましたが、それに加えて先ほどの、須崎さんとマスターさんの会話が私にも聞こえてしまいました。ですから、須崎さんに恋人がいないことは確定したわけです」
女っ気がないことをからかわれた俺が、マスターだって独身だろ、と言い返したあのくだりか。
あの時は店内に誰もいないと思ってたからな。となると……。
「……参った」
俺の負けだ。彼女なんていないことを、素直に認めるしかない。
「では、以上で説明を終わります」
透花はついっとメガネのフレームを押し上げた。
うーむ、綺麗に華麗に論破されてしまった。箱入りのお嬢様にしては、なかなか観察眼が鋭いみたいだな。
……っていうか、俺、無防備すぎだろ。個人情報垂れ流しすぎだろ。
「俺に彼女がいないとか、そういう分析の仕方も、さっきのナントカマニュアルに載ってるのか?」
おずおず尋ねると、透花は大きな瞳をパチパチさせた。
「ナントカマニュアルとは……私が先ほど挙げた『しつこい男の撃退マニュアル~ストーカーに付きまとわれないために』や『未成年のための彼氏・彼女マニュアル』『勘違い男撲滅対策・これ一冊』のことですか?」
「そう。そういうの」
「いいえ。須崎さんの人となりに関しては『年代別・恋人同士の行動マニュアル』と『これで解決☆ケース別パートナー選択マニュアル』を参考に、分析させていただきました。これらのマニュアルから須崎さんに恋人がいないことを導き出し、体格などの点も考慮して、今回のお仕事を依頼したのです」
聞けば聞くほど、何が何だか分からない。
世の中には、俺の知らない謎の書籍が氾濫しているようだ。
「須崎さん」
何だか改まった感じで、透花が俺の名前を呼んだ。
「な、何だ?」
俺は思わず居住まいを正す。
「……というわけで、この度はお勤つとめご苦労様でした」
目の前で深々と頭を下げられた。
おいおい、娑婆しゃばに出たヤクザかよ、俺は。
「喫茶店・チャンドラーからこのお店まで、彼氏のフリを五分ほどしていただいたので、こちらの軽食の代金を私がお支払いするということで、お給料に代えさせていただきます」
透花は笑顔で俺の目の前のトレイを手で示した。
その可憐さにあやうく頷きそうになったが、辛うじて踏みとどまる。
「ちょっと待て! これが給料かよ。時給一万円って言っただろ」
「はい、その通りです。時給一万円……五分なら八百三十三円強になりますね。一円単位では細かすぎるので、切りよく八百四十円ほど。ちょうど、この軽食と同じ値段になります」
しれっとぬかしやがった。
何かご不満ですか、とでも言いたげな表情だ。
「高い時給を提示しておいて、実際は五分しか雇わないとかインチキだろ!」
「そうでしょうか? これは『求む・エリート社員! 経営者のための人材雇用マニュアル』に出ていたやり方なんですけれど……」
ああ、透花。その本にはきっと、隅に小さく『求人詐欺マニュアル』って書いてあるぞ、読み直せ。
……とでも言ってやりたかったが、俺は別の切り口から攻めることにした。
「俺の仕事が『しつこい男を撃退する』ってことなら、まだ完了してないぞ」
「どういうことですか?」
「お前はさっき、ストーカーの話になった時にこう言ったな。『まだそこまでしつこくない』『こういうのは早いうちに芽を摘んでおくのがいい』」
「はい。言いました」
「『まだ』とか『こういうの』とか……何度も別の男に付きまとわれた経験があるみたいな言い方だった。そうだろ?」
俺の問いに、透花は眼鏡の奥の瞳を僅かに見開いた。そして、ゆっくりと頷く。
「……その通りです。今回ほどしつこい方はいらっしゃいませんでしたが、実は今までにも、何度か男性に無理やり言い寄られたことがあります」
やっぱりな。思った通りだ。
透花は舌戦ではなかなかのやり手だが、何といっても天下の『清女』。清楚可憐で金持ちな高嶺の花だ。恋人にしたい男はいくらでもいる。
そして小柄な透花を見て、よからぬことを考える奴もいるだろう。華奢なのにDカップなんて、正直たまらん。
……っていやいやいや、俺はそんなこと考えてねーぞ! 胸の感触も忘れるつもりだ。一週間後くらいに!
「あー、透花。いいか、歴史は繰り返すものなんだ」
俺は脳内を占領しているDカップの感触を消すために、わざと咳払いなんぞをしつつ言った。
透花はキョトンとした表情を浮かべる。
「と、言いますと?」
「今後も誰かに言い寄られたらどうするんだ。また俺みたいな、暇でそこそこ体格がよくて……彼女がいない男をイチから探すのか? なかなか難しいと思うぞ」
「それは……確かに仰る通りですね。とても難しそうです」
よし、とりあえず肯定の言葉を引き出した。
その勢いを消さないよう、俺はさほど間を置かず口を開く。
「だったら、このまま俺を雇用し続けるっていうのはどうだ」
「それは……今回の作戦を継続するということですか?」
黒目がちな瞳に、まっすぐ見つめ返された。
「そういうことだ。俺をこのままニセ彼氏として雇用し続ければ、面倒臭い男は寄ってこないと思うぞ。万が一寄ってきても、俺が話をつけるくらいはしてやれる。どうだ?」
これ以上ないくらい、いい提案だと俺自身は思った。
が、透花の表情は曇ったままだ。
「どうした。何かマズいこと言ったか? 俺」
「いえ。正直なところ、そのお申し出はとても助かります。……でも、こんなに迷惑なことを続けるなんて、須崎さんに申し訳なくて」
目の前で、小さな頭がシュンと項垂れている。どうやら、迷惑をかけたという自覚はあったらしい。
実際、すげぇ迷惑だった。五百円ぽっちじゃとても足りないほどな。
しかし逆に言えば、そうせざるを得ないほど透花は困っていたということだ。そして、今後も困る。
しがみつかれた時、頭の中の半分はやましいことだった。それは否定しない(俺は健全な高校生なんだ、仕方ない)。が、残り半分はこう思った。
――華奢すぎてくしゃっと丸められそうだな。
困るたびに、言うのか、こいつは。どこかの誰かに『彼氏になってください』って?
世の中、俺みたいに善良な男だけじゃないんだぞ。引き受けるふりして逆に組み伏せられたらどうするんだ。
考えれば考えるほど、放っておけない。俺は基本的に、人には優しいんだ。……女子の扱いには慣れてないが。
簡潔にまとめてしまえば――正義感が疼く。
そんな陳腐な言葉しか出てこないが、やはり放っておけない。どうしても。
「どうだ透花。このまま俺を雇用し続けないか?」
「ですが……」
「お前はさっき『助けて』って言っただろ。放っておけない」
「……!」
ファーストフード店のちっぽけなテーブルの上で、視線が交錯する。
先に目を逸らしたのは透花だった。
「私は、須崎さんに時給を一万円も払い続けることなんてできません。放課後に四時間ほどご一緒していただくとしたら、一日四万円。休日は半日お付き合いいただくとして、十二万円。私個人の貯金はいくらかありますが、それを切り崩しても三か月も持たないでしょう。先ほど言った通り、両親には心配をかけたくありませんから、金銭的な援助を申し出るわけにもいきませんし……」
顔を伏せながら、ごにょごにょと呟く透花。
ああ、これが経済格差ってやつか。同じ条件なら、俺の貯金は一日も持たないぞ。
と、それはさておき。
――時給一万円。
この不景気の世の中、そんな誘い文句に引っかかるほうが馬鹿だ。だから金のことなど気にするなと言いたいが、目の前の箱入り娘はどこまでも律儀な性格らしい。さっきから何度も「無理です、払えません」と繰り返す。
やめろよ。これじゃまるで、これじゃまるで、俺が美少女を食い物にする悪どい借金取りみたいじゃねーか。
「じゃあ、こうしよう」
バン、と軽くテーブルを叩くと、伏目がちだった透花が再びこちらを見た。
「俺も今から、お前を時給一万円で雇う」
「え……お互いに雇い合うということですか?」
「そうだ。二人で雇用し合って、発生する賃金は互いに相殺。これでいいだろ」
「相殺……」
透花はしなやかな手を口元に添え、少し間を取った。そんなポーズもいちいち可憐で、思わず見惚れてしまう。
「お互いに雇用し合う……そんな方法は、私の読んだマニュアルには書いてありませんでした」
そんな言葉のあと、花びらみたいな唇の端がほんの僅かに上がった。
「でも、とてもいい方法だと思います」
「だろ?」
俺の肩から、安堵で力が抜ける。
「ただ、一つだけ」
「何だよ」
ううむ、じれったい。
「須崎さんのお仕事は、私に言い寄る男性の盾になってくださること。では……私は須崎さんのために、何をしたらいいのでしょうか」
「はぁ? 何をしたら……って」
ぶっちゃけ、別に何かをしてもらおうとは考えてなかった。言うなれば、俺がお節介で首を突っ込みたくなっただけで……。
しかしまぁ、この際だ。
「俺は時給一万円で彼氏のフリをする。お前の時給も、同じ一万だ。だから、同じ仕事でいいんじゃないのか?」
「つまり、私が彼女のフリをする、ということですか?」
「そういうことだ」
「私たちが恋人のフリ、ですか……」
彼氏だの彼女だの恋人だの。さっきから出てくる単語が微妙にくすぐったい。
こそばゆさに耐えながら、俺は一つ咳払いをする。
「まあそんなに難しく考えず、ただ会って世間話でもしてればいいんじゃないかと思うんだが……ダメか?」
そこでようやく、透花の顔がぱっと綻んだ。
「……それでしたら、私にもできそうですね」
まるで、今年初めて咲いた向日葵みたいだと思った。
清浄な空気が、辺りにふわぁーっと広がっていく。可憐な光は、俺みたいな煩悩の塊などあっという間に消し去りそうだ。
「じゃ、ひとまず話はまとまったな」
消し炭になる前に、俺は目の前にある紙カップを持ち上げた。透花もすぐに同じポーズを取る。
縁と縁を軽く合わせて――契約成立だ。
「須崎さ……いえ、恋人のフリをするのですから、大輔さんとお呼びしますね。大輔さん、ふつつかものですが、これからよろしくお願いいたします」
「いやいや、こっちこそ」
……っておい。何だこの挨拶は。見合いか!
しかもこのタイミングでDカップの感触が蘇ってきて、俺の煩悩が沸騰しそうになる。
「い、言っとくけどこの店はお前の奢りだぞ!」
動揺しすぎて、ツンデレ娘みたいな台詞になってしまった。
熱くなった顔を隠すように、そして微妙に照れくさい空気を吹き飛ばすように……俺はわざとそっぽを向く。
透花は唇の端を持ち上げたまま、こう答えた。
「はい。承知しています」
こうしてめでたく、時給一万円のボディーガードが誕生した。
――これが俺、須崎大輔と、伊集院透花の出会いである。
(了)