告発のメヌエット

第2話 期待


 実家のハイマー商会の玄関に入ると、執事のトーマスが声をかけた。

「ようこそいらっしゃいました、お嬢様。
 中でご主人様がお待ちですよ。」

「ええ、ありがとう。」

 そう言ってドアを開けてもらった。

 子供たちは父との再会がうれしく、「おじいちゃん。」といってハグしてもらっていた。
 その様子を見て、涙が出てきた。

「お母様、大丈夫?
 顔が痛いの?」

 アリスが心配そうに顔をのぞいている。

「大丈夫よ、おじいさまにご挨拶なさい。」

「はい、お母様。
 おじいさま、アリスです、10歳になりました。」

「おお、それはご丁寧に。
 少しお姉さんになったかな?」

「僕も8歳になった。」

「おおそうかい、二人共学校は楽しいかな?」

「うん、僕は名前が書けるようになって、それから言葉もたくさん習った。」

「私は音楽の授業が好き、今度お父様がピアノを買ってくださるって言ったのよ。」

 父は私の顔をちらりと見てから、

「さあ二人とも、おやつをあげようね。
 メアリー。」

 卓上のベルを鳴らした。

「お呼びでしょうか、旦那様。」

 使用人のメアリーが入ってきた。

「この子たちに別室でおやつを頼む。」

「かしこまりました。
 それではアリスお嬢様、カイルお坊ちゃま、おやつにいたしましょうか。
 一緒に参りましょう。」
 
 二人はメアリーと連れ立って、ダイニングへ向かった。

「その様子は、ただごとではないな。
 何があったか話してみなさい。」
 
 父は静かに尋ねた。
 私も少し落ち着いてから、これまでのいきさつを話した。

 父の目には少し涙が浮かんでいた。
 自分がしたことが娘の家族を追い詰めていたことに。
 しかし許せないのは領主家のアルベルトである。

「領主家からは借財の返済が滞っている。
 それどころか自分の街の発展のために、金を融通しろとまで言ってきた。」

 父はこぶしでテーブルをたたいて悔しそうな表情を浮かべた。

「あの街が発展をつづけたこの2年間、お前たち夫婦はよく頑張った。
 私も街の発展とお前たちの頑張りには、心の底から喜んでいたものだ。
 何よりもカミル君が私に、礼を欠かなかったことがうれしくてね。
 ここまで忙しくなる前は、帝都に来るたびに私を訪ねてくれて、孫たちの成長ぶりを伝えてくれていたのだから。」

 ああ、気遣いのできるあの人らしい話だ。
 子供たちの成長を何よりも楽しみにしていたんだな。

 でもそうなら、なぜ夫は変わってしまったのだろうか。

「それでお前たちは仲良くやっていたのか?」

「ええ、もちろん二人で協力して仕事もしていました。
 それぞれの仕事の成果についてもお互い共有していましたし、子供たちのことも……。」

「一番に仕事の話、だったのか。」

 父が静かに言った。

 私は思わず息をのんだ。
 私は夫の支えになるように精一杯務めてきたつもりだった。

「まぁ、そんな彼のことだ。
 今まで我慢していたものが、はじけてしまったのだよ、きっと。
 お前たちがここにいると分かっているのなら、そのうちやってくるだろうさ。」

「そうよね。」

 そう言いつつも、酒瓶を投げたときの、彼の顔が思い浮かんだ。
 本当に憎むべき相手に恐怖を抱き、必死に抵抗している顔だった。

「子供たちもここにいるのだし、すまなそうな顔して帰ってくるわよ。」

「ああ、それまでは好きにさせてあげるといい。
 お前たちはそれまではここでゆっくりするといいさ。」

 私は父の言葉に励まされながらも、カミルが本当に戻ってくるのかという不安が胸をよぎった。

「ええお父様、ありがとう。」

 そう言うと、涙があふれた。


「そう言えば、カミル君が注文したピアノが届いているぞ。」

 父はベルを鳴らした。

「カミル君が注文したピアノだが、居間に置いてくれ。
 アリスに披露してあげようじゃないか。」

 トーマスが使用人数人がかりで居間へピアノを運んでくれた。

「さあアリス、ピアノだよ。
 これはおじいちゃんからのプレゼントだ。」

「嬉しい!
 おじいちゃん、ありがとう。」

 そう言うと、早速鍵盤を触っていた。

 カイルも満面の笑みで、鍵盤をたたいて大きな音を出していた。
 アリスがその様子を見て、

「ダメよカイル、それじゃ私が弾けないじゃない。
 ちょっとおとなしく見てて。」

 そう言って、たしなめていた。

 私はカイルの肩を抱き、アリスと父のやり取りを見ていた。

「トーマス、ピアノの楽譜は取り扱いがなかったかな。」

「ございますが、どの曲にいたしますか。」

「そうだな、メヌエットにしよう、バッハの。」

「かしこまりました。」

「うわぁ、メヌエットね。
 私知ってる。学校で習ったの。」

「そうかい、ならおじいちゃんも一緒に演奏していいかな。」

「ええ、喜んで。」

 父はサイドボードからアイリッシュフルートを取り出した。

「しばらく演奏していないからな。
 上手くできるかどうか。」

 私が幼いころに父の演奏を聴いていた日々が思い出された。
 ピアノを母が弾いて伴奏し、父がフルートを吹いていた。
 子供の頃の情景がよみがえり、涙が流れた。

「おじいちゃん、行くよ。」

「ああ、いつでも。」

 アリスは楽譜を追いかけながら、ようやく右手で旋律を引くのがやっとだった。
 父はそれに合わせて演奏していた。
 時々アリスが間違えるが、その時は二人で目を合わせて、また続きを演奏していた。

 ピアノの音色が部屋中に響いていた。
 アリスがぎこちなく鍵盤を叩く音に、私は微笑みながらも、胸の奥でざわめくものを感じていた。

「この音を、カミルも聴いたら喜ぶだろうか?」

 そう思うと同時に、

「もう二度と彼とこの時間を共有できないのではないか」

 そんな思いが頭をかすめた。

「ねえおじいちゃん、私が今度来た時までに、左手の練習をしておくね。」

「ああ、そうだな。
 頑張って練習すれば、アリスはピアニストになれるかもしれないな。」

「ふふっ、そうなったらいいな。」

 そう言って無邪気に笑っていた。

 そんな平穏な日々が、続いていくと思っていた。
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