告発のメヌエット
第1話 異変
私はコレット。帝都有数の商会、ハイマー商会の三女。
父は貴族との親戚関係を望んだため、没落寸前だった地方領主へ金の貸し付けと引き換えに、私の縁談が決まった。
夫は南端ラタゴウ地方の領主の次男、カミル。
私より2つ年下。
長兄アルベルトは中心都市ギシマンを継ぎ、カミルは東の海沿いの町エダマで代官をしていた。
夫はいつもこう言った。
「仕方ないさ、中心都市は兄が継ぐって、昔からそう決まっているからね。」
そんな私たちも結婚して10年。
長女アリス8歳、長男カイル6歳の2人の子に恵まれた。
それほど裕福ではなかったが、穏やかな日々を送っていた。
転機が訪れたのは、国家事業としてエダマに港が整備されることになってからだ。
工事のため多くの労働者が移り住み、夫は代官としての才覚を発揮し始めた。
住宅や商店街の整備が進み、街には活気が戻り、学校も作られた。
だが、夫の実家である領主家が横槍を入れてきた。
兄、アルベルトは街の発展ぶりに、その手腕で勝る弟に、領主を奪われかねないと考えた。
嫉妬だろうか——いずれエダマを手中に収めようと画策していたようだ。
アルベルトは難癖をつけ始めたが、夫は取り合わなかった。
「ハイマー商会への借財の返済ができない。」
そう言い出して、増収分の半分を上納せよと要求した。
「理不尽だ」と言いながらも、夫は実家を切り捨てることはできず、要求を呑んだ。
ハイマー商会は、私の実家でもあるからだ。
エダマの人口は倍増し、税収は三倍に。
経済的には中心都市ギシマンにも迫る勢いだった。
当然代官の仕事も多忙を極め、私も帳簿や税管理、視察対応などで日々を埋め尽くされた。
夫は出張が増え、片道6時間かけて帝都から戻るころには
深夜になることもしばしばだった。
港が開業すると、街は国を代表する港湾都市となった。
通りには馬車と人が行き交い、商人たちも驚きを隠せなかった。
「昔は誰も素通りしていた街が、今じゃ帝都の商人が列をなして店を出す。
港のおかげだ。」
夫は泊まりがけの出張が多くなった。
はじめはハイマー商会が手配した宿に泊まっていたが、
「接待や商談後の予定が入ることが多いから、泊まらないこともあるんだ。」
そう言って、外泊が増えた。
実際、大きな商談や国家事業を成功させ、国からも高く評価されていた。
軍事倉庫や駐屯地整備まで受注し、彼の手腕は確かだった。
私たちは忙殺されつつも、街の未来に夢を描いていた。
カミルも、子どもたちには優しかった。
「お父さんみたいに、大きな船のお仕事をしたい。」
カイルが港で仕事をするカミルを見て、そう言った。
「そうか、それならもっとたくさん学ばないとな。」
その時の笑顔は、今でも忘れられない。
アリスは、学校で習う音楽の授業がとても楽しいと話を聞くと、
「私はピアノを弾きたい。
お友達の家で、サロンパーティーをするのが夢なの。」
そんな娘の夢のために、ピアノを購入していた。
子供たちの将来の夢を、私と一緒に、大切に育んでいた——。
最近、酒の量が急に増えたのが気がかりだった。
ウィスキーのボトルを空けてしまうほど、酒におぼれるようになった。
「眠れなくてさ。
これでもしないと、頭が切り替えられないんだ。」
そう言ってグラスを重ねる姿に、何かが壊れかけているような不安を覚えていた。
ある晩、久しぶりに家にいると思ったら、やはり酒を飲んでいた。
いつものように私がたしなめると、
「うるさい!お前は……いつも文句ばっかりだ。」
その声は低く、焦点の合っていない目をしていた。
「借金返すために、兄貴の言いなり、こっちじゃお前の言いなり、帝都じゃ貴族の言いなり。
どこに自由があるんだよ!
俺の気も知らないで……。」
疲れと怒りが滲むその目に、私は言葉を失った。
街は発展しているのに、彼の心は崩れていく。
帝都での滞在が長くなるほど、余裕が消えていった。
「限界だ……別れるぞ。
兄貴にも、お前にも、もう顔色をうかがいたくない。」
「お願い、それだけは……子供が……。」
「うるさい!」と空の酒瓶を投げつけた。
「兄貴やお前の声が聞こえるんだよ。
いつも見張って、邪魔してるだろ?
お前らそうやって、笑っているんだ……チクショウ。」
その目は、もう私の知っている彼ではなかった。
「少し休んだら……」と私が言うと、
「あ? 俺がいなきゃ誰がこの街を回すんだ?」
「大丈夫、私がいます。
今までも、あなたが不在でもやってきたわ。」
「そうか、お前は俺からこの街を奪う気か。
兄貴と一緒に!」
意味のわからないことを言い始め、さらに酒瓶を投げた。
額に当たり、血がにじんだ。
「ほら、『私たち』って言ったな。
望み通りにしてやる。」
そう言って立ち上がるが、足元がふらついて倒れ込んだ。
私は傷の手当てを行い、そのままベッドで過ごしていた。
——翌朝。テーブルの上には手紙と金が置かれていた。
コレットへ
俺に対する暴力は、誰にも言わないでおく。
帝都から戻る前に、子供たちを連れて出ていけ。
生活費は置いていく。
お前の実家と兄には俺が連絡しておく。
……力のない夫ですまなかった。
子供たちを頼む。
え……?
自分で転んでケガしたのに、
それを「私が暴力をふるった」ことにするの……?
私は涙を流していた。
夫を責める気にはなれなかった。
彼の苦悩にも、心がすり減っていたことにも、何一つ気づいてやれなかった自分が許せなかった。
私の中には、いつもカミルがいた。
——夫のため、家族のため——私も一緒に歩んできたはず——。
——そして気づいた。
私という存在そのものが、彼を追い詰めていたのかもしれない、と。
一度距離を置いたほうがよさそうね。
今の私では、カミルを追い詰めてしまう。
私は子供たちを連れ、帝都へ向かう馬車に乗った。
それが、カミルとの永遠の別れになるとも知らずに……。