黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

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 「夢」について何もわからないまま日々は過ぎて行く。

 今はまださらの中で鮮やかな「夢」も日常に紛れて記憶も薄れ、淡くなっていくのかもしれない。

 説明のつかない怪異など不思議な話も世の中にはある。その一つと考えるのが彼女の落とし所だった。

 (考え過ぎても答えなんて出ない)

 一人の時間にネットで検索してみた。もしかしたら自分と同じようなことを誰かも体験しているかもしれない。「リアルな夢」「異世界」「実体験」……、思いつく言葉打ち込んだ。

 都市伝説関連の記事がたくさんヒットする。動画も多い。その中の幾つかを見てみた。

 「地下階段の先に」「ドアを開けた向こうに」「道に迷って」さまよい込んだ世界は読めない文字が溢れ、言葉が通じないなどもあるという。そこで食事をしてしまうと帰れなくなる、との記述にふっと笑いがもれた。

 さらは三ヶ月ほども「夢」にいたが、食事をしない日はなかった。

 それぞれ体験談に共通するものがないかと探したが、絶対的なものはないようだ。性別も年齢も様々だ。

 ただ目を引いたのが、駅に絡んでの情報だった。ある線の某駅~某駅の区間に複数の体験事例があること。または実際はないはずの駅に誘い込まれてしまったという事例は目を引いた。彼女の経験も通勤電車の中でのことだ。

 『駅は異界に繋がり易い』とあるが、科学的なデータはなく体験者やこれらの情報を収集した人々の見解に過ぎない。しかしそのいずれも、さらの体験に比べればまだしも信憑性がある。

 都市伝説や恐怖体験の一環で人に話してみたい衝動に駆られそうなものばかりだ。だからそこに真実味も感じる。創作にしては捻りもなくオチもない。他人にそんな作り話を披露したくなるものだろうか。

 さら自身の体験はその長さもあるが、内容が濃過ぎてとても人に話せそうにない。そこにダメ押しの腕輪の存在もあり、都市伝説や怪談の域を超えてしまっている。

 「夢」は思い出すのではなくふとその断片が頭を過ぎる。ダリアの面影に胸が締めつけられることもあった。リリ、ココ、スーを懐かしく思い出すこともある。

 クリーヴァー王子については考えたくなかった。不快な記憶が多い。彼を思えば「夢」の最後にどうして繋がってしまう。ジジらに襲われた出来事は癒えない大怪我を振り返るようだった。

 (駅か……)

 あれ以降も同じ電車を利用し続けているが、異変は起こらない。さらには一度限りのことなのかもしれない。

 (もう懲り懲り)

 そう思うどこかで、もう一度ダリアに会いたいと願っている。いつかこの「夢」が色褪せてしまうのが惜しくて切ない。



 仕事帰りだった。

 ここ数日は行事の都合で残業続きだった。いつもの時刻より遅い電車に乗り込んだ。乗客はまばらだ。

 充電が乏しいスマホの代わりにバッグから文庫本を取り出した。『廃宮殿の侍女』S・クロウワー。初めて手に取ったのは高校生の時だ。それ以来繰り返し読んできた。半年に一度は読み返すだろうか。

 表紙をめくった裏には作者のメッセージがある。『私の中の生きている彼らに息吹を』。もう覚えたそれを目がなぞる。そこでさらの目が留まった。

 『物語の中で生きるヒロインに息吹きを』。

 (嘘!)

 もう十回は読んだ本だった。表紙裏のその文言は絶対に覚えていた。『私の中の生きている彼らに息吹を』。これで間違いはない。

 しかし今開いたページには『物語の中で生きるヒロインに息吹きを』となっている。

 息をつめて何度も字面を追った。

 (思い込み……だった?)

 自身が揺らぎそうになってスマホを取り出した。ネットで調べればいい。寡作だが人気作家だ。検索すれば絶対にヒットする。

 本のタイトルと作者名で検索をかけた。その中の幾つかを拾って読むが、欲しい情報はない。作品のあらすじや解説ばかりだ。

 諦めてスマホをしまう。帰ってからにしよう。

 改めてメッセージを眺めた。『物語の中で生きるヒロインに息吹きを』。

 以前のものならば意味は伝わる。読まれることによって登場人物が動き出すことを指すのだろう、と考えていた。

 しかし、今目にしているメッセージではヒロインのみを指していた。更に他の部分も『私の中の』から『物語の中で』に変わり、作者のこの著書を指すのかも曖昧になっている。

 さらはめまいを覚えて本を閉じた。バッグにしまう。車内の電灯が一瞬弱まりまた戻った。

 「次は『かげろう』。『かげろう』に停まります」

 さらの降りる駅の一つ手前の駅だ。ドアが開いた。車両から数人が外へ出ていく。しばらくしてドアは閉じた。しかし発車のはずが動かずに、閉じたドアがまた開いた。

 電子的な不具合ですぐに閉まるだろうと思われたが、ドアは開いたままだ。何のアナウンスもない。

 奇妙な現象だった。さらは身を固くしてドアを注視した。

 どれほどか待つと、また電灯がちらつきぱっと照明が落ちた。車窓から明りは入らずに車内は闇に沈んだ。誰一人声を上げるでもない。

 さらはこの狭間を知っていた。
 
 (まさか……?!)

 恐怖にのまれ溺れるより前に思考が淡くなっていく。
 
 彼女は何かが自分を包んでいくのを感じていた。空気の層のような見えないものが圧をもって彼女を包む。その中では声も出ず呼吸も浅くなる。

 感覚のみが研ぎ澄まされ、自分の存在だけを抱きしめていた。 

 息苦しく感じ始めた時、ふつっと意識が途切れた。
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