黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって
砂の城へ入場

1

 頬にくすぐったさを感じて目が覚めた。周囲は明るい。倒れ込んで寝ていたことにぎょっとして、さらは身を起こした。

 雑草が茂る空き地だった。草が触れむず痒さを感じていたらしい。

 (ここはどこ……?)

 そう辺りを見渡す前に重大事に気づく。何も身につけていない。文字通り一糸もまとわぬ姿だ。慌ててしゃがみ込む。

 恐怖と動揺が瞬時に襲い悲鳴が上がる。震えながら体を検めるが、異常はないようだ。暴行を受けた訳ではない。

 (なら、どうして?)

 乗っていた電車が止まった。それで電車を降りようとしただけ。たったそれだけ。

 状況の不可解さが怖かった。涙が溢れる。どれほどそうしていたか。

 泣いていても何の解決にもならない。そうようやく頭が動き始めた。

 (とにかく、服をなんとかしないと)

 しゃがみながら通行人を待った。通りかかった女性に助けを求めるしかない。感覚的に随分待ったが、人が通らない。子供の声が遠くに聞こえる気がする。気温はさほど低くない。しかし裸でいるため寒さが強い。

 耐え切れずに立ち上がった。小腰をかがめ目立たないように周囲を見渡す。人が来ないのは当たり前だった。何もない草むらの中だ。道路に出なくては通行人も気づけない。そろそろと歩き出した。草を踏み小石を踏む足裏が痛んだ。

 どれほどかして小屋を見つけた。他には建物もない。さらは小屋に近づき人の気配を探った。無人のようだ。小屋にガラスの窓はなく中がのぞけない。裏に回るとロープを渡した物干しがあった。そこに黄ばんだ布が干されている。

 人のいる様子はない。迷う心は焦りも大きい。

 一時借りるつもりで、さらは布に手を伸ばした。粗い感触の布だったが、何よりありがたい。大きさもあるそれで体を覆った。肌を隠せただけで辛さがほぼ消えた。

 (とにかくどこかで電話を借りて……)

 荷物も何もない。布で身を包み彼女は歩き出した。

 よほどの田舎のようで、舗装した道路の代わりに踏み固められた土の道が続くだけだ。所在地を記す標識も見当たらない。歩きながら訝しさを感じていた。辺鄙な場所とはいえ、電柱の一本もないのはおかしい。電気のないほどの僻地なのか。

 (そんな馬鹿な)

 それにしても、なぜこんな場所にいるのだろう。服や荷物がないのは盗まれたと考えられるが、見当もつかない場所で眠っていた理由がわからない。

 くたびれるほど歩いた時だ。後ろから大声が近づいてくる。怒鳴り声に振り返ると、体の大きな女性がこちらに走ってくる。手には縄が見えた。

 すぐに距離が詰まり、女性はおもむろにさらを縄で打ちつけた。その痛みとショックで彼女は倒れ込んだ。

 「薄汚い泥棒猫! お前なんか打首になっちまいな!」

 言葉からあの家の女性とわかった。続けて縄が振るわれ、さらは体を屈めてそれから逃れようとした。

 「ごめんなさい、借りただけだったの。お願い、聞いて下さい。本当に借りただけなんです。何も着ていなくて、慌てて……ちゃんと返そうと……!」

 「うるさいよ、流れ者の遊び女め!」

 理不尽な状況には混乱するばかりだ。女性の怒りが緩むのを待つしかない。そこで改めて謝罪をし、助けを求めよう。さらは目を固く閉じ唇を噛んで覚悟を決めた。

 どれほどか過ぎた。

 と、そこで誰かの声がかかった。

 「女、止めよ。私刑は禁じられている」

 男性でひどく硬い物言いだ。さらは瞬時理解できなかった。しかし声に女性の縄が止み、人々の気配も近くに感じた。そこで目を開いた。

 うずくまる彼女の周囲にはブーツを履いた男性が五人ほどもいた。いつからいたのか。近づいたことに気づきもできなかった。

 「旦那方、こいつは手癖の悪い遊び女でございますよ。懲らしめてやって何の咎がありましょう」

 女性は静止にも怯まず再び縄をさらに振るってみせた。目の近くで縄が落ち、さらは悲鳴を上げた。

 「それを決めるのはお前ではない」

 声の後でふわりと緋の布が降ってきた。それはさらの体をすっぽりと隠してくれる。拝借したさっきの布よりよほど都合がいい。彼女はそれで体を包み前の布を外した。

 地面に落ちた布をさらが拾うより先に誰かの手がつまみ上げた。さらから背を向けて立つ男性がそれを女性に差し出している。女性は身を低くし受け取った。

 振り返った男性がさらを見た。グレイの瞳の端正な顔立ちだ。深い銀髪が小首を傾げた時に揺れた。襟の大きなシャツにズボン。脚を長いブーツが包んでいた。

 (あ)

 違和感が襲うよりも前にさらは衝撃を受けていた。目の前の人物を知っている。背が高く逞しい様子も周囲から尊敬を受けるその立ち位置も。

 (ダニエル・フォード伯爵)

 それは本の中の人物だ。

 外国の小説『廃宮殿の侍女』の登場人物で、その彼に彼女は憧れ続けてきた。繰り返し読むうちに彼の姿は立体的に克明になった。ごく小規模の映像化でさらは目にしていない。だが、彼へのイメージは思いの中でくっきりと浮かび上がっていた。

 そのダニエルと目の前の男性がぴたりと重なった。実在しない人物なのはわかっている。鮮明なイメージは妄想の産物だとも。

 「そなたはどこから来た?」
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