黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

6

 簡素な部屋が居間になっていた。学校を訪れた大人たちがそれぞれ休憩に使う。最初にアンが窓から顔をのぞかせた部屋だった。

 仕事終わりにそこでアンとお茶を飲んだ。

 彼女は暖炉に火を起こすとカップを片手に書き物机に座った。

 「ごめんなさいね、これを書いてしまわないと」

 「いいえ、ごゆっくり」

 静かな中彼女のペンを走らせる音が耳に届く。それを聞き、さらの中でサラの記憶が広がっていく。サラもペン先を便箋に滑らせてたくさんの手紙を書いてきた。
 
 ふと思いつく。

 (リヴとは手紙をやりとりしたことがない)

 濃密な時間を送ったが、彼から手紙をもらったことは一度もない。アンのペンの音を聞きながらどうしてかそんなことを思った。

 もう一杯お茶を注いだ時に、アンがペンを置いた。便箋を振ってインクを乾かしてからさらに向き直った。

 「書いていた途中だったの。何かあると筆を止めるでしょ。書き上げるのに日を跨ぐことはしょっちゅうよ」

 ここに泊まり込む仕事をしているのだから、家族や友人への連絡に手紙は必須なのだろう。忙しい中時間を見つけてそれに取り組むのは、さらには眩しいような習慣に見えた。

 「こちらには長いのですか?」

 「いいえ、まだ二年ほど。知らない土地でわからないことだらけのよそ者よ。ようやく慣れた頃だわ。わたしは王都出身なの」

 意外な返答だった。てっきりアンはセレヴィアの人間だと思っていたから。キシリアやバラがよく知る家の令嬢だろうと。

 「ある方にここを頼まれたの。とは言っても、直接お会いしたこともないのだけれども。その方に宛てて月に一度報告の手紙を書くのが決まりなの。とは言っても、五日に一度は書いてしまっているわ。もっとかもかしら? お知らせしたいことが多いもの」

 「あなたはキシリア様のお知り合いではないのですか?」

 「いいえ。こちらで初めてお会いしたわ。わたしにここを任せた紳士はガラハッド家と繋がりがあるような感じね。先代様のお知り合いだとか聞いたわ」

 この時代だ。異世界から来た自分ほどではないが、知人もいない遠方から、女性がセレヴィアに一人移ってきた不安は大きかったに違いない。さらは思った。

 この仕事を引き受けたのはアンの熱意からなのだろう。子供たちを前にした溌剌とした様子からそんな想像が湧く。

 アンはカップを両手に包み、さらを見つめた。

 「あなたは身寄りがないそうだけれど、わたしもそうなの。両親を亡くして行き場を失ったわたしをある紳士が助けてくれた。彼はわたしが大人になるまで困らない環境を用意してくれたわ。その彼から「子供たちを見守ってほしい」とここを頼まれたのよ。とても断れなかったわ。自分の番だと思った」

 アンの告白に驚いてさらは相槌も忘れた。

 「妙な話よね。わたしもそう思うわ」

 「……その紳士はどこに?」

 「きっと王都にお住まいよ。裕福なのは間違いがなさそうね。わたしはその方の代理人を通して手紙を書いているの。指示も代理人を通じてあるわ」

 「あなたに手紙の返事は?」

 「一度もないわ。だから読んで下さっているのかもわからない。でも、手紙で本の話を書くでしょ、すると次の月にはどっさりと送って下さるの。そんなことはしょっちゅうあるの」

 「読んでる!」

 「わからないわ。こっちから望みがあったら送ってやるように代理人が命を受けているのかもしれないもの。でも、わたしも思いたいの、読んで下さっていると」

 アンはふんわり微笑んだ。

 つられてさらも微笑み返した。

 アンは彼女に書いた手紙の一部分を見せてくれた。生き生きした学校の日常が気取らない文体で描かれている。添えられた棒人間のようなイラストも味があっておかしい。

 その紳士がアンの手紙を読んでいるかは不明だ。代理人が代わって読んでいるかもしれない。手紙の中の彼女の意を汲んで、紳士の名で物資を送っているとも十分考えられる。

 (でも)

 さらは手紙は紳士の目に届いていると思う。

 それは、アンのような物語のヒロインが頭に浮かぶから。

 (『あしながおじさん』のジュディ)


 ベッドに入ってからも子供たちの声に起こされた。夜泣きする子を慰め、ミルクを飲ませて落ち着かせる。アンを手伝いながら眠気混じりの頭が考えていた。

 アンがジュディだとして、その目的は何だろう。

 ジジの場合は王子の身分の誰かとのハッピーエンドだったはず。それまでループし続けている。

 しかしジュディの『あしながおじさん』はハッピーエンドの物語だ。ラストはジュディとあしながおじさんが結ばれて終わる。

 そもそも、この世界に転生したヒロインに目的があると考えるのが誤りなのかもしれない。さら自身のものだって定かではないのだから。

 学校での生活は慌ただしく過ぎていった。十歳くらいまでの子供が三十一人いる。乳児はいないのが不思議で、アンに尋ねると、

 「教会の方にいるわ。二歳を過ぎたらこっちに移ってくるの」

 とのことだ。

 歌を歌って遊ばせるだけではない。小さな子供たちの食事の補助からその入浴の手伝い、夜泣きの対応、おやつ作りは日課になった。

 目まぐるしくて何の為にここに来たのか忘れてしまうほどだ。しかし充実感はあって、ほのぼのと楽しい。また笑うことが増えた。

 それは、アンのせいかもしれない。彼女はとにかく朗らかでよく笑う。子供たちを叱りつけたすぐ後で、もう何かに笑顔になっている。

 「ここの子供たちは幸せね」

 入浴後の小さな子の髪を拭いてやっている時だ。年も近いこともわかり、アンとは砕けた言葉を交わすようになっていた。その方が彼女も楽なようだったから。

 さらは口にしてしまってから、悔やんだ。

 ここは孤児院だ。身寄りのない子供が集められている。親の愛情から離された彼らをほんの上辺で幸せと決めつけたのは浅はかだった。

 視線を下げた彼女を見てアンが笑った。

 「サラは考え過ぎるのね。あなたの目にそう映ったのならそれでいいじゃない。わたしも嬉しいわ。伯爵(紳士のことをアンはこう呼ぶ)の保護の他ここはお城からの寄付もあるし、恵まれているのは確かよ」

 そう言いふっくりした子供の頬をやんわりとつまんだ。

 環境が恵まれているのは一つの条件に過ぎない。幼い頃はより愛情を求めるものだ。

 「ないものは仕方がないじゃない。他で埋められるものでもないのなら、なおのこと。しょうがないわ。ないのだもの」

 きっぱりとした口調に、アン自身の少女時代が匂うような気がした。幾つもを割り切ってあきらめて、乗り越えたに違いない。

 「ただね、このおチビちゃん達が大人になってここを振り返った時、嫌な思い出になっていて欲しくないの。それなりに……、それなりにしかできないけど、楽しい場所だったなと思ってもらいたい。わたしはそう願っているの」

 声は軽い調子だったが、言葉は重くさらの胸に響いた。今の子供たちに接することは、未来の彼らにも何らかの形で関わることになる。

 「女の子の一人か二人はここに残ってもらえたらな、とも思っているの。一緒に切り盛りできたら楽しそうでしょう」

 仕事の後でアンは居間の机に向かった。伯爵への手紙の続きを書く為だ。さらの目には長い手紙を日を跨ぎながら書き綴っている。この時代のやりとりはそういうものなのかもと思う。

 (サラが大伯母様に書いたものは長くもなかったけれど)

 挨拶に要件を繋いでもそう長くなならない。相手への想いや感情が筆を走らせるのだろう。

 (もしリヴが手紙をくれていたら……)

 そんな思いがなぜか浮かんだ。

 そう想像するだけで、サラの思いが跳ねるのがわかる。彼女に伝えたい何かがあったのなら、ぜひとも読みたかったと思う。手に残っていれば繰り返し読んだはずだ。

 (欲しかった)

 抱きしめられた。口づけもある。

 言葉でもらった彼の思いを彼女は知っているが、時間を超えたそれらはなんて儚いのかとも思う。ところどころ薄くなり、朧になっていくばかりだ。

 王子の彼女への思いも数年続き、このようにきっと褪せていくのだろう。

 その前にさらも彼の思いを形のある言葉で知りたいと思った。
 

 ベッドに横になり目を閉じた。眠りに落ちるその狭間に、頬にいつもの気配を感じた。

 くすぐるように気配は流れ、唇を触れるかのようにかすめていく。耳に吐息を感じた。これもあることで既に慣れた。

 言葉にならない声で何かを囁かれているかのよう。

 「……リヴ、何?」

 不意に気配に重さを感じた。肩を抑えるような力がある。強いものではないが、はっきりと存在を感じる何かがある。

 その力は肩から腕に移った。つかむのでもなく重さを持って気配が触れてくる。まるで誰かの意思がそうしているかのように。

 その時点でさらは目覚めていた。目を閉じながら力の動きに委ねるように弛緩していた。心地いいと思った。

 (リヴ……?)

 声にならない心の問いが吐息になった。返しはない。ただ口づけるようにやんわりと力が触れてくる。

 と、扉の奥から子供の泣き声が届く。

 そこで我に返った。体に触れる何かを払うようにさらはベッドから出た。

 ドアを開け廊下に備えたランプを灯し、子供たちの部屋へ急いだ。途中アンと合流したが、胸がまだざわめき続けている。

 暗がりでよかったと思った。頰が熱い。
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