黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

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 思いっきり腰が引けているさらをよそに、萩原氏はにこにこと彼女を眺めている。伯父も話を引き出そうとあれこれ会話を振った。

 「きれいな方で嬉しいな。保育士をしているんですよね? 子供好きなのかな。将来は何人ほど予定していますか?」

 お見合いみたいではなく、お見合いそのものだ。さらは呆れて伯父を見た。

 その目を伯父は威圧を込めて見返してくる。いつもこの目で黙らされてきた。

 「会社でお前の写真をばら撒いておいた。この萩原君は専務の息子さんだ。ご両親もさらの環境をよくご存知で息子さんに勧めて下さったんだ」

 「そうよ。両親のない気の毒な娘さんは早く結婚して家族を持った方がいいって、先方様もわかって下さっているの。私たちも親代わりとして引け目があったのよ。だからなおのことありがたいわ」

 伯父伯母の話を萩原氏は頷きつつ聞いている。

 写真を勝手に社内でばら撒かれたのも許せないが、二人の言葉もさらの心を逆撫でた。

 挙句に記念写真と偽った騙し討ちのお見合いだ。

 これまで「強引だけれど」と伯父夫妻に従順だった。親族として敬意と信頼を土台にして、世話になった感謝があったからだ。

 しかし今日の不意打ちはそれを踏みにじった。

 さらは不快さを隠し押し黙って時間をやり過ごした。その場を蹴って出て行かなかったのは、伯父の面子を慮ったからだ。そんな自分の甘さを痛感してもいる。

 三十分も過ぎたあたりで出前の仕出しが届いた。伯母はさらを手伝わせ、給仕をさせた。これはいつものことなので当たり前に動いた。その動きを萩原氏がじろじろ無遠慮に眺めているのが不快だった。
 
 高価なのだろうが、味のわからない食事が済み、萩原氏は腰を上げた。

 見送りから戻った伯父夫妻が、さっそく見合いを振り返ってお小言だ。

 「もっと愛想良くしないと気に入られないじゃないか。容姿や年齢は好みのようだから納得してくれていたようだがな」

 「専務さんの家は地主の家系なのだって。アパートを三つも持っているらしいわ。本人も堅いお仕事だし、滅多にないくらいいい条件よ。次のデートではちゃんと頑張らないとね」

 「お見合いのつもりなら、お断りです」

 さらの言葉に二人は顔を見合わせた。逆らうことを予想しなかったようだ。

 しばらくの間の後で伯父が低い声で言う。

 「お前、選べる立場だと思っているのか? 散々世話をかけさせて何様のつもりだ。死んだ弟の為だと思えば文句も堪えたが、見過ごせないぞ。我がままもいい加減にしないか」

 (我がまま?)

 両親の死の後、伯父夫妻には確かに世話になった。一時居候させてもらうなど面倒もかけた。しかし、その間も率先して手伝いに動き、遠慮しながら過ごしていた。不平を言ったことはない。

 「一人暮らしがしたいと言い出した時も、腹が立ったが認めてやった。ここで住めば、弟の空いた家は売るなり貸すなり有効に使えるものを。どうしてもと言うから折れてやったのも忘れたのか?」

 忘れていない。高校を卒業を機に伯父の家を出る条件が、週末のお宅訪問だった。

 それとは別に、伯父の言葉は妙だった。彼からすればさらの父は弟だが、別世帯だ。父と母が買った家で名義も二人のものだった。伯父にその家をどうこうする自由はない。

 そもそもこの家を出る直接の原因が、功輔がさらの風呂をのぞいたことだ。

 伯父は身近な人間には支配的な思考の持ち主だ。両親亡き後はさらと同様にその自宅も好きにできると考えたのかもしれない。

 その勘違いを正してやる心の余裕もなかった。早くこの家を出たかった。そして、意味のないこの晴れ着を脱いでしまいたかった。

 さらは財布を出し、見当で五千円を卓に置いた。仕出の料金だ。残したし味もわからなかったが、伯父は「食わせてやった」と絶対に恩を着せてくる。食べた分は払っておきたい。

 彼女にすれば五千円は小さくない。それで買えるはずのあれこれが浮かぶが、この際しょうがない。

 「あら、さらちゃん水臭い。お金なんて要らないのよ」

 さらの態度に伯母が機嫌を取るような声を出した。

 さらは立ち上がり、

 「当分お邪魔しません」

 と頭を下げた。

 空いた襖から廊下へ出た。背後で伯父が「待ちなさい」と声を荒げているが、振り返らなかった。玄関のところで従兄弟の功輔がリビングから顔を出した。

 不在だと思ったのにいたらしい。

 「駅まで送ってやるよ」

 と彼女を促した。

 過去の遺恨はあるが、すでにこの家を出た身でもうさらに害はない。何度も送ってもらった経緯から、甘えることにした。タクシー代を節約したかったこともある。
 

 「お前にしては頑張ったな」

 ハンドルを握る功輔が言う。そのセリフから伯父との会話を聞かれていたようだ。お見合いのことも知っているのかもしれない。

 「謝らないから」

 謝罪を勧めるのかと思った。伯父は悪人ではないから、さらがきちんと詫びれば関係修復は見込めるだろう。もちろん今日の見合いを受け入れることも込みだが。

 「親父から見合いの話を持って行ったらしいぞ。次の人事で希望のポストが狙えるからって。お前なら強めに言えば承諾すると踏んだんだろうな。ちなみに、あの見合い相手三十九だってさ」

 「え」

 それ以上さらには言葉がなかった。出世の道具に使われたのがわかり、少なくなくショックだった。毎度の強烈な善意の思い込みだとばかり思っていたのに。

 「これは最近おふくろがもらしたので知ったんだ。叔父さんたちの保険金、半分ほど使い込んでるぞ。家のリフォームに借用したってさ。どうせ返すつもりもないだろうけど」

 「え」

 数年前に伯父宅は大掛かりなリフォームを行なっている。真新しい立派なキッチンや浴室を伯母が自慢していたのはまだ記憶に新しい。

 それらがさらの両親の死亡保険金から賄われていたという。

 両親を失った衝撃が大き過ぎ、半年は茫然自失だったようにも思う。また高校生には遺産だの保険金だのの知識がなかった。

 (全て伯父さん任せだった)

 幾らを使い込まれたのかは不明だが、「半分ほど」という功輔の言葉通りなら相当な金額になる。腹立ちとは別のひたひたと胸に冷たい感情が満ちてくるのがわかる。保険金は両親がさらの為に遺してくれたものだ。

 「しばらくうちに近寄らないのは正解だな。悪いな、俺も知らなかった」

 それに返事もできず、さらは駅前で従兄弟の車を降りた。

 着付けてもらった美容室で着物を脱いだ。楽な服になってほっとしたのも束の間、重い気分が襲ってくる。

 近くのカフェに寄り、ミルクティーを頼む。それを持って窓際の席に着いた。カップルが多い。会話のざわめきの中考えた。

 両親の遺してくれた金額はおよそ四千万円。全てが死亡保険金ではなく、加害者側が慰謝料として支払った分も含む。伯父宅から自宅に戻るあたって四千万の入った預金通帳はさらが持って出た。

 その以前に、伯父たちは多額の金を抜いていたに違いない。

 泣かない日はないほど喪失感にまみれていた間に。不憫な姪を慰める体で手元に置き、こっそり遺産を盗んだ。

 伯母曰く「借用」らしいが、さらに借りた事実も明かさないのだから、返す気がないという功輔の見立てはきっと正しい。

 取り戻すには、弁護士を立てるなどすればできないことはない気がする。金額も金額で、そうするべきだ。未熟だが大人になった今、学生の頃とは違い取れる手段は増えている。

 しかし、その気力が湧かない。

 不意打ちの見合いに続いて伯父との諍いなど、衝撃のせいもある。でも、どうでもいいような捨て鉢な気もしていた。

 決心までいかないが、伯父たちが使い込んだ両親の遺産を手切れ金にして、縁を切ろうかと思う。

 週末の伯父宅訪問も消える。そこでの数時間も消える。代わりに自分だけの週末が生まれる。そう考えるのが、今さらには楽だった。

 (何か言ってきたら「お金を返せ」で伯父さんも黙るだろうし)

 カップを置き、ふと左手首を触っていた。当たり前に何もない。硬い銀の大ぶりな腕輪が指に触れない。

 つきん、と胸を刺すように切なさが襲った。

 (終わったの)

 胸の痛みが波を越えた時に自分に言い聞かせた。証拠も消えた異世界の思い出に耽るのは、亡霊を見ているようなものだ。

 自分は何を切ながっているのかもよくわからない。

 学校の庭の草の匂いも浮かぶ。蹄の音も耳に懐かしい。巧みにそれを御していたダリアの姿も沁みるように振り返ってしまう。優しいキシリアとの時間。その娘のイアの愛らしさ。城の涼しい午後。砂糖を焦がした香ばしい菓子の口触りまで舌に残っている。

 (ついでにリヴも)

 SNSで偶然見つけた海外のあるアーティストが彼によく似ていた。思わずフォローしてしまった。ついつい毎日のぞいている。黒髪に青い瞳、タトゥーだらけの腕はともかく、ほっそりとした姿形が彼を彷彿とさせた。

 画面の凝らした瞳が見つめられているかのようで、目が離れない。最近スタッフを殴って怪我をさせ暴行罪で逮捕されたらしい。泥酔状態で薬物検査も行われたとか。

 そんな素行の悪さも、

 (リヴっぽい)

 他人に異世界の影を重ねている。これも亡霊を見ることだ。ぶちっとちぎるような思いで画面から視線を逸らした。
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