黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

5

 ひと時の驚きが去り、さらは王子を邸に促した。

 告白が冗談ではないのはすぐに知れた。内容が内容で、軽口とはとても思えなかった。

 二人は居間に戻り暖炉の前に立った。思いがけず体が冷えていて、火の直接の温もりがありがたい。

 非常な告白の為か王子は紙のような青白い顔をしていた。

 「嫌われてもいい。僕の側から去らないと誓ってくれ」

 「どこにも行かないわ。……何があったの?」

 さらは彼の手を取った。絡まった指先を王子が握る。

 「この手が血にまみれていても?」

 背筋の寒くなる表現だったが、彼女は握り返した。そんな口ぶりで彼女を試しているのがわかったから。

 (わたしはあなたの姉やよ)

 彼の手を引いて床に座った。隣に王子も座る。

 話したり話さなかったり。火の前でこんな風に二人でよく過ごしたものだった。過ぎてしまえばあっさりと過去なのに、時間だけは尽きずにあると信じられたあの頃。

 「聞かせて」

 王子は火を見つめながら膝を抱えた。そうしていると少年の面影が差す。

 「父の妻と言ったのは、彼女はもう妃の身分を剥がれていたから。元の王妃のことだ」

 その女性の存在はサラにも禍根を残す。後宮にあった王子と母のエイミに嫌がらせでは済まない仕打ちを繰り返した人物だった。後、王妃は王子の暗殺まで企て、その結果サラは命を落とすこととなった。

 口を挟むのは止まったが、疑問が湧く。

 王妃は王宮を追われ第一王子と共に離宮に住っていると聞いている。前のトリップでダリアと十七歳の王子から耳にした話だった。ダリア曰く「幽閉」状態だそうだ。

 殺された側としては甘いと感じるが、身分を剥がれ王宮からも追い出された。古びた離宮に幽閉など、栄華を極めた身には極刑に近いものがあるはずだ。

 王子はそれに満足しなかった?

 襲撃から二年以上も経ってから、なぜ?

 「離宮に移ってもかびのようなシンパがいた。母上が一度殺されかけた。毒を仕込まれて危険な状態までいった」

 「え」

 「実行した者は自ら死んだ。証拠はそれで消えた。あの女以外にあり得ないが、証拠がない。どうしようもなかった。自衛しかない。母上は療養を理由に里帰りをしていた」

 散々苦しめられ、ようやく王妃の地位に就いてまでも安穏と暮らせない。エイミの境遇に同情が湧いた。

 「……その頃、僕の縁談が決まった。ギルーアの姫だ」

 異国の姫との縁談だ。さらは相槌が打てなかった。火を見ながら胸がひりつくような感覚に耐えた。知りたくないが、耳を塞げないでいる。

 「慶事には恩赦がある。元王妃を復位すべきだという声が上がった。義母に当たる彼女を幽閉したままでは外聞も悪いと、父に囁く者がいた。兄上だ。彼はそんな判断ができる人物じゃない。必ず、後ろにあの女がいる。父はかなり揺らいでいたよ。切々と訴える様は不憫だと周囲にももらしていた」

 「リヴは陛下に逆に何か訴えたの?」

 「何も。その時には殺そうと決めていた」

 深夜に宮殿を忍び出て、王妃の離宮に向かった。たった一人だったという。暗い衝動のエネルギーは怒りなのか憎しみなのか。

 「ここと同程度のあまりいい邸じゃなかった。忍び込んでも誰何もされない。窓を割って中に入った。あの女は寝室にいた。僕がわからず、誰かと勘違いしていた。「若過ぎるのは嫌だ」と文句を言っていた。無聊の慰めに男を買っていたんだろう」

 「あなたの顔もわからないなんて……。驚いたでしょう?」

 「うん。頭が白くなるほど腹が立った。惨めに命乞いをさせてからなぶり殺してやろうと考えていたのに。気づけばすぐに剣を抜いていた」

 枕をつかみ顔に押し当てる。声を封じた上で胸に刃を突き立てた。

 「弱い獣のようだった。すぐに死んだ。清々したしたよ。もっと早くこうしておくべきだったと悔やんだ」

 復位することもなく元王妃は病死として葬られた。

 「……知られていないの?」

 「婆やは知っている。血まみれで帰ったから。他は知らない」

 さらは王子の横顔を見つめている。「清々した」と言うが、その達成感は長続きしたはずがない。悪人を成敗したそれが残るのなら、彼はこんなに暗い影を引きずっていない。

 「嫌われてもいい。僕の側から去らないと誓ってくれ」。そんな言葉で縋ったりしない。

 さらは彼の手に触れた。そこに血の色はないが、血に染まっているのは彼自身が気づいている。そして、告白を受けてさらも忌まわしい過去を嗅いだ。

 「エイミ様のお為よ。リヴはエイミ様を守ったの」

 恩赦が下り元王妃が復権することにでもなれば、エイミはきっとまた狙われた。王子の覚悟はその禍根を断ち、守るべき者を守った。正当ではなくても防衛だったのは違いない。

 「婆やは平静にしていろとしばらくうるさかった。何も起こらずに時間が過ぎた。その頃には気づいていたんだ。あんな女を殺したって姉やは喜ばない。よくやったと褒めてもくれない……」

 さらは王子の言葉に絶句した。

 元王妃を殺害したのは母を守る為ではなく、サラへの復讐だった。

 サラの死から二年以上が過ぎて凶行に及んだのは、彼の中の抑えが外れたからから。息子を使い恩赦を勝ち取ろうとする元王妃の呪わしいほどの浅ましさ。

 彼の心の制御を砕いたのは元王妃の飽くなき権力欲だ。

 「僕は人殺しだ。丸腰の女を相手に剣を振るった。何で飾ってもそれは事実だ。悔いはないが、自分が汚れているのは知っている」

 「リヴ……」

 彼女は王子の手を取り頰に当てた。見えない血のシミがあるのなら、自分に移ればいいのにと思う。

 「喜ばないし、褒めたりもしない」

 王子は彼女へ視線を流す。

 自分の落ち度を知っていて、それに彼女がどう反応するのかを彼は確かめている。彼女に叱られそうな時の小さなリヴを思い出す。

 「でも、わたしはきっとその場にいたの。あなたの持った剣の柄にわたしも手をかけていた。一緒に力を込めてあの人を貫いたの。リヴだけじゃない、わたしも一緒に罪を犯したの」

 彼女を見つめる瞳を受けて彼に寄り添った。背を撫ぜて囁く。

 「忘れないで。わたしもあなたと一緒だった」

 「……僕はいつも君を守れないでいる」

 「わたしはあなたの姉やだもの。これでいいの」

 罪を共有することで彼の中の暗い罪悪感が薄まればいい。そう願った。一人で抱えるには重過ぎて、彼はきれいに笑えなくなってしまっている。

 (二人で負っていくもの)

 「考えていたことがある」

 王子は立ち上がり、さらを連れて居間を出た。階段を上がる。大階段の踊り場に飾られていたはずの婦人の肖像画がない。記憶を探り、エイミがその絵を気味悪がるので王子が外したのを思い出した。

 そこで彼に遅れた。

 「ご婦人には他に移っていただこう」。

 その時の彼の声が甦った。しかし、それは彼の声だっただろうか。『廃宮殿の侍女』の登場人物ダニエル・フォードのセリフであったかもしれない。物語には同じようにダニエルが絵を階段から移す場面がある。

 「サラ」

 王子が彼女を振り返った。スカーフが肩に垂れている。すんなりとした背に照明の灯が辺り壁に影が伸びた。

 (知っている)

 その光景に憧れ彼女は夢見てきたから。思いと現実のピントが合わさって、隠れていた事実が浮き彫りになる。彼女の心を揺さぶった。

 ダニエル・フォードは王子だ。そもそも古い邸にまつわるのは彼で、ダリアではない。

 ここは葬り切れない過去の墓標だ。そこに長く王子は一人で留まっていた。『廃宮殿の侍女』はさながらこの邸そのもので、物語という檻の中に閉じ込められていたかのよう。

 ヒロインはそれを知るが、決して檻に手をかけることはない。彼女は物語の傍観者だから。朽ちていく邸と共に愛した世界が終わるのをただ眺めているだけ。

 その感傷を長くさらは楽しんできた。侍女と自分を重ね、あきらめと切なさのほろ苦さに酔っていたのかもしれない。

 それでは何も生まれない。何も変わらない。

 傍観者でいるということは舞台から降りるということだ。痛みもない代わりに、喜びも嬉しさも借り物のまま通り過ぎていく。

 胸が絞られるような焦ったさを感じた。

 (傍観者でいたら駄目)

 「サラ」

 王子が手を差し伸べた。そこにさらは手を伸ばす。
 
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