温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛
案内されたスパのドアをくぐった瞬間、甘いアロマの香りに包まれた。
静かな音楽と、柔らかな灯り。まるで別世界に足を踏み入れたようだった。

「落合様、こちらへどうぞ」
スタッフに導かれ、最初に受けたのはフェイシャル。
温かな蒸気と優しいマッサージに、体の奥から力がほどけていく。

(……こんな贅沢、私なんかに……)
そう思いながらも、ふと脳裏に浮かぶのは圭吾の顔だった。

“誕生日だから遠慮するな”
“俺が迎えに行く。逃げるなよ”

低く響く声が耳に残り、胸が熱くなる。

続いて受けた全身マッサージでは、凝り固まっていた肩も背中も、少しずつ解きほぐされていく。
ジャグジーに浸かると、肌を撫でる泡が心地よく、思わず目を閉じた。

(……専務じゃないだろう? 俺のことをどう呼ぶんだ)
(……圭吾さん……圭吾……)

耳の奥で再生される囁きに、胸が甘く疼く。
こんなにも誰かの声に縛られるなんて、想像もしなかった。

最後に軽食が運ばれてきた。フルーツとスープ。
口に運びながらも、味がよくわからない。
頭の中は、彼のことばかり。

(……きっと、迎えに来てくれる)
そう思った瞬間、心が震えるほどの幸福に包まれた。

すべてのトリートメントを終え、波瑠は用意されたラウンジチェアに腰を下ろしていた。
肌は驚くほど滑らかで、髪も艶やかに整えられている。
鏡に映る自分が、少し別人のように見えた。

そこへスタッフが控えめに声をかけてきた。
「落合様、こちらをお預かりしております」

差し出されたのは、大きな箱とリボンのかかった紙袋。
開けると、上質なコート、ワンピースと靴、繊細なアクセサリーが収められていた。

「……これ、まさか……」
思わず息を呑む。

色合いもサイズも、自分にぴったり。
普段なら手を伸ばせない高級品…でも、間違いなく似合うと断言されているようだった。

(……圭吾さんが、私のために……)

胸が熱くなり、そっとワンピースを身にまとう。
鏡の中の自分は、確かに“昨日までの私”とは違っていた。
艶やかに整えられた姿は、ひとりの女として誕生日を迎えた証のように思えた。

スタッフが微笑む。
「ホテルロビーでお待ちください、とのことです」

「……はい」
小さく頷き、胸の鼓動を抑えきれないままロビーへ向かった。

ホテルのロビーは週末の昼下がりで、人の往来がそこそこあった。
それでも波瑠は、胸の鼓動が高鳴って落ち着かない。
(……本当に来てくださるのよね)

光沢のあるワンピースの裾をそっと握りしめる。
鏡に映った自分は、スパを経てすっかり変わっていた。
「私なんかがこんな格好をしていいのだろうか」
そんな不安を抱えながらも、彼が選んでくれたものを身につけていることが誇らしくもあった。

そのとき。

「……待たせたな」

低く響く声に振り向いた瞬間、波瑠の呼吸が止まる。
圭吾がゆっくりと歩み寄ってきていた。
ロビーに現れた圭吾は、いつものビジネススーツではなかった。
濃紺のジャケットに、胸元を少し開いた白のシャツ。
休日らしい装いなのに、纏う空気はやはりただ者ではなく、周囲の視線をさらっていた。

波瑠は思わず見とれてしまう。
(……スーツ姿も素敵だけど、こんなふうに少し崩した格好も……)
胸が高鳴り、頬が熱くなる。
一歩、二歩。距離が縮まるにつれ、圭吾の視線が波瑠に吸い寄せられていく。
足を止め、わずかに目を細めて呟いた。

「……美しい」

短い言葉なのに、全身が震える。
その眼差しには、温厚な専務の顔はなく、ただ彼女をひとりの女として欲する強い光だけが宿っていた。

波瑠は頬を赤く染め、俯きそうになったが、圭吾の大きな手がそっと彼女の背に添えられる。
「行こう」

その一言に導かれ、波瑠は人の目も忘れて、ただ彼の隣に歩き出した。

「行こう」
圭吾は波瑠をロビーから車へと導いた。

「どちらへ……?」
隣に座りながら尋ねると、彼はちらりと視線をよこす。

「誕生日の昼を過ごすにふさわしい場所だ。……君のために用意した」

その言葉に、波瑠の胸は高鳴り、車窓の景色が夢のように流れていった。

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