温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛
「父が亡くなったあと、しばらくして母は再婚しました」
波瑠は、少し遠くを見るように言葉をつむぐ。
「年が離れていますが、弟ができて……今は三人でハワイに暮らしているんです」

 圭吾の視線が、彼女の横顔にとどまる。
「連絡はそう頻繁には取っていません。母の新しい生活の負担になりたくなくて」
そう言いながらも、波瑠の唇が自然とやわらぐ。
「あ、でも移住のときは『一緒に来ないか』って誘ってくれました。もちろん今日も……誕生日のお祝いのメッセージを送ってくれて」
その声は、抑えきれない嬉しさを帯びていた。

 ふと、圭吾の胸の奥に温かなものが灯る。
彼女は愛されてきたのだ。そう確信させられる笑み。
けれど同時に、その笑顔を誰よりも自分に向けさせたいという独占欲が、静かに姿を現していた。

「……どうして一緒に行かなかったんだ?」

 低く響いた圭吾の声に、波瑠の胸がかすかに震える。
 温かいはずの家族の記憶を語っていたはずなのに、その問いかけは鋭く、彼女の奥底に隠してきた思いをさらけ出す。

「……」
言葉に詰まったまま、波瑠は視線を落とす。
行きたい気持ちがなかったわけではない。けれど…。
母の新しい人生に、娘として甘えきってはいけないと思った。自分の居場所は、もう別に探すべきだと、そう思ってしまったのだ。

 圭吾は黙ってその表情を見つめる。
答えを急がせるでもなく、けれど逃がす気配も見せない。

「それは……私が、父の存在をものすごく大切にしていたからだと思います」
 波瑠は一瞬、胸の奥を探るように言葉を紡ぐ。
「私にとって、父親は亡くなった父、ただ一人なんです」

 静かに息をついたあと、彼女はまっすぐ専務を見た。
「母が再婚したとき、私はもう大人でした。再婚した相手の方はとてもいい人で……母が幸せそうなので、それはそれでいいんです」

 そう言い切った波瑠の横顔は、どこか晴れやかだった。
まるで、自分の中でとっくに決着をつけてきたことなのだと告げるように。
そのすっきりとした表情に、圭吾の胸の奥でざわめきが広がる。

こんなふうに過去と折り合いをつけて生きてきた女。

そしてふっと、彼女は笑みを浮かべる。
「なんだかしんみりしちゃいましたね。それで……次の質問は?」

 圭吾はその笑顔に目を奪われる。
重たい話題をさらりと明るさに変えてしまう…その強さと優しさに、胸の奥が静かに熱を帯びていく。

「結婚したことは?」
圭吾の低い声が、まっすぐに波瑠を射抜く。

「ないです」
波瑠は間髪を入れずに答え、ふっと笑みを添えた。
「……婚約破棄されましたけど」

 その言い方は驚くほどあっけらかんとしていて、深刻さよりも軽やかさが勝っていた。
だが圭吾の胸に広がったのは、妙なざわめきだった。
彼女を泣かせた男がいたという事実。
それだけで、奥底に眠る独占欲がざわりと目を覚ます。
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