温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛

首元には、すでに“タンザナイトという誕生石のネックレス”が輝いている。
小さな石が太陽の光を受けて揺れるたび、圭吾の声と温もりがすぐそこにあるようで、心がくすぐったくなる。

 ――あれはおとといの夜。
バーで偶然出会ってから、信じられないほど濃密な時間を過ごした。

 土曜日が誕生日で、昨日の日曜日は彼の隣で目を覚ました。
そして今日、月曜日の朝。
人々の流れにまぎれながら歩く自分が、まだ現実に戻りきれていない気がしていた。

 信号が青に変わり、人の波に合わせて歩き出しながら、波瑠は胸の奥でそっと呟いた。
「……夢じゃなかったんだ」

 誕生日に贈られたネックレスが、確かな証のように胸元で揺れていた。



職場での午後の休憩時間。
秘書課の前を通りかかると、数人の秘書たちの弾んだ声が耳に飛び込んできた。

「えー?! それって確かなの?」
「確かよ、見たのよ。経営企画部の落合さんが、松田商事の御曹司と手をつないで歩いていたところ!」
「さすがよね~! 誰とでも寝る女はやっぱり玉の輿狙いかぁ」
「でもさ、落合さんって普通の人でしょ? 釣り合うわけないじゃない」
「ま、愛人って立場ならあるかもね」

 乾いた笑い声が、波瑠の耳に突き刺さる。
さらに追い討ちをかけるように――。

「いずれにしても、やるわよね。なんてったって、あの佐倉さんのチームの人だもん」
「そうそう! 佐倉さんも松田専務と黒瀬さんを二またかけてたらしいし!」
「聞いた聞いた! 松田専務も見る目ないわよね、悪女二人にひっかるなんて」

 波瑠の足が止まった。
血の気が引き、手にしていた資料が震える。
胸の奥が冷え切り、呼吸が浅くなる。

 ――どうして、こんな……。



 その様子を、壁の向こうからひとりの男がじっと見つめていた。
黒瀬龍之介。
氷のような眼差しで秘書たちを一瞥し、次の瞬間には波瑠の青ざめた横顔に視線を移した。
(……今晩にでも、美咲と話さなくては)

 噂がここまで広がっている以上、黙っているわけにはいかなかった。

夜。
仕事を終えて帰宅した龍之介は、上着を椅子に掛けるとリビングのソファに腰を下ろした。
ダイニングでは、美咲が湯気の立つティーカップをテーブルに置き、彼の隣に腰掛ける。

「……疲れた顔をしてるわね」
美咲が小さく笑みを浮かべる。

「まあな」
龍之介は短く答え、カップに視線を落とした。
「……今日、秘書課の連中が噂しているのを聞いた」

「噂?」
美咲が眉を寄せる。
「ああ。落合さんが松田の御曹司とどうのこうのって話だ。それだけじゃない……」
龍之介は低く息を吐き、真剣な目で妻を見つめる。
「お前の名前まで出ていた。松田専務と俺を二またかけてた、ともな」

 美咲はしばし黙り込み、やがて小さく首を振った。
「……そう。そんな話が流れていたのね」

「俺はどうでもいい」
黒瀬はカップを置き、ゆっくりと美咲の手を取る。
「だが……落合さんは青ざめていた。放っておけない」

 美咲は夫の眼差しをまっすぐ受け止め、静かに頷いた。
「……ええ。彼女を守らなくてはね」
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