温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛
夜。
黒瀬家のリビングには、静かなジャズが流れていた。
ソファに腰を下ろした美咲の前に、龍之介がワイングラスを置く。

「……落合さんの件で、真樹が動いた」
龍之介の声は低く抑えられていた。

「動いた?どういうこと?」
グラスを手にした美咲が問い返す。

「ああ。社内の人事部やコンプライアンス部門だけじゃない。顧問弁護士にも正式に調査を依頼することにした」

 美咲の瞳が驚きに揺れる。
「……そこまで……」

「放置できる話じゃない。彼女の名誉だけじゃなく、会社全体の信用にも関わる」
龍之介はワインを口に含み、ゆっくりと言葉を続けた。
「俺も同意した」

 美咲は視線を落とし、テーブルの縁を指でなぞった。
「……そうね。彼女の顔色、本当に悪かったもの」

 龍之介はうなずき、美咲の手に自分の手を重ねた。
「真樹も本気だ。……だが、それ以上に、俺たちが支えてやらなきゃならない」

 美咲は小さく息を吐き、夫の目を見つめた。
「わかったわ。私も……落合さんを守る」

 ワイングラスを置いた龍之介が、美咲をまっすぐに見つめた。
「美咲、このことは絶対に口外してはならない。……わかっているな?」

 美咲はわずかに背筋を伸ばし、その視線を受け止めた。
「……はい」

 短い返事に、静かな決意がにじむ。
夫婦であっても職務上の線引きは厳しく、守秘は当然の約束だった。

 龍之介はしばし彼女を見つめ、やがて小さく頷く。

 再びワインを口にしたが、その横顔にはまだ緊張が残っていた。
美咲は黙ってグラスを傾け、夫と同じ決意を胸に刻み込んだ。



長いヨーロッパ出張を終え、圭吾はようやく自宅に戻った。
重たいスーツケースを玄関に置くと同時に、ジャケットを乱暴に脱ぎ捨てる。

 その間もスマホを握りしめ、画面を睨むように見つめていた。
…今日も。

 波瑠からのメッセージは、ただ一言。
『お仕事お疲れさまでした』

 帰国の日だというのに、「お帰りなさい」の文字すらない。

 出張中のやり取りも、終始こんな調子だった。
業務報告のように事務的で、心の温度を一切感じさせない。

圭吾は苛立ちを抑えきれず、ソファに深く腰を落とした。
「……ふざけるな」

 グラスに注いだ水を一口であおり、低く吐き捨てる。
「会って、直接聞いてやる」

 彼の瞳には、久しぶりに燃えるような独占欲の色が宿っていた。



「今すぐ会いたい。今週末は予定があるのか」
低い声で畳みかけられ、波瑠は小さく首を横に振った。
「……いいえ」

間を置かずに返ってきた言葉に、彼の瞳が鋭く光る。
「なら、今から迎えに行く。住所を言え」

携帯を握る手がわずかに震え、波瑠は沈黙した。
声にならない拒絶が、空気を張り詰めさせる。

「隠すな、と言ったはずだ」
彼の声音は一段低くなり、息づかいに熱が混じる。
「お前が黙っていても、調べることはできる。どんな手を使ってでもな」

その強引さに、恐れと同時に胸の奥で疼くような熱が広がっていく。
逃げ場のない支配。それでも心のどこかが、彼に見つけられることを望んでいる自分に気づき、波瑠は唇を噛んだ。

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